孝悌と仁義【雅(みやび)を語る】
中国の文化には、広く伝えられているムーランの物語があります。ムーランという未婚の少女が、国の王による集団徴兵に遭遇し、軍記物に父親の名前が書かれていました。 父親はすでに高齢で、家族には父親以外の男性もいません。
CSR・CG・ SDGs ~ 日本企業には素地があった
Corporate Social Responsibility(企業の社会的責任)、Corporate Governance(コーポレート・ガバナンス/企業統治)、Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標) 、という、英語ばかりをみると、元々日本企業には無かった概念かと誤解するかもしれません。
しかし、これもまた「欧米発」というのではなく、日本には昔からあった考え方でした。
唐文化が日本文化にもたらしたもの(下)
日本の中心的な知識層は中国を敬慕し、唐の文化を見習って、中原の国風、文体を模倣し、当時の中国の最も核心的で、最も本質的な文明——敬神崇仏、天地の秩序、人倫綱常などの理念を、そのまま東瀛(日本の雅称)に植えつけた
「孝道」:親子間に結ばれる神聖なる美徳
信仰をもつ人々は、万物は創造主がつくっことを信じ、人間も神によって創造され、家族や親子関係もまた、神や天に与えられたものと考えた。そこに親や祖先を敬い、無条件に尊重する美徳が生まれ、古来よりそれを「孝道」と呼んだ
【古典の味わい】貞観政要 4
太宗が、学者の孔頴達に問うた。
サムライの心でビジネスを 「士魂商才」唱えた渋沢栄一の功績
「武士道の魂は(孔子の)『論語』にあり、経営の理念も『論語』から見出せます。『論語』を熟読し、中の意味をじっくり味わえば、多くの人生における智慧を悟ることができるでしょう。したがって、私の生涯は孔子の教えに従い、『論語』を金科玉条とし、常にそばに置いています」――日本経済の父・渋沢栄一氏
渋沢栄一著『論語と算盤』から悟った儒学の真諦
今日の中国人たちの心の中では、孔子と孟子の思想を時代遅れの骨董品だと思っているでしょう。しかし、日本の近代資本経済の根基、文化理念、価値観など、全て渋沢栄一氏(1840年-1931年、日本資本経済の父、商業界の父、企業界の父として称えられています)が生涯の師とした孔子の教えによって築き上げてきたのです。つまり、孔子の『論語』の知恵は日本の資本家に活用され、今日の日本社会の基盤を築き上げました。
インフラ事業等で現地国にて親しまれる日本企業
論語に「仁者は先ず難んで後に獲、仁と謂うべし」という項があります。
ビジネスの話に置き換えると、事業では初めのうちは難しいことや苦労することがあり、果実は後でやってくるものだ、といえるでしょう。
論語は西洋近代経営学に先んじていた
「近代経営学」の父と言えばP.F.ドラッカーでしょうが、その「完全雇用」とはあくまでも「自由主義」という、アダム・スミスの説いた理論が土台でした。
つまり、アダム・スミスは「近代経済学の父」であるのみならず、「近代経営学の大地」でもあるでしょう。
「論語」は、このスミスの思想に影響を与えたと思われるのです。
三猿から智慧を学ぼう
日本でよく知られている目、耳、口を両手で塞いでいる三猿は、現在、スマートフォンの絵文字として使用されるほど、すっかり市民権を得ており、世界中の人々に愛用されるようになりました。
仁愛な孔子が人を処刑した理由
紀元前496年、孔子は魯(ろ)の国の大司寇(司法官)に就任し、宰相(現在の総理大臣)の職務を代行することとなった。しかし孔子は就任して間もなく、「政を乱す者」として少正卯を処刑したと伝えられている。少正卯は人を殺したわけでもないのに、なぜ処刑されたのだろうか。
【名言警句】 人の己を知らざるを憂えず、人を知らざるを憂うなり
「不患人之不己知 患不知人也」。これは『論語』の中にある孔子の言葉です。人が理解してくれないと悩むのではなく、自分が人のことを理解できないことを悩むべきだという意味です。 今の
文化と教育の古城 足利学校の伝統
「日本最古の学校」「坂東の大学」と称される、足利学校のある栃木県足利市を訪れたのは8月1日。この日も猛暑だったが、クーラーの排気で熱せられた東京とは全く違う、澄んだ空気を感じら
ゴルフ、乗馬、そして毛沢東思想 「富二代」育成コースが中国で流行
【大紀元日本8月10日】中国では改革開放が実施されて30数年が経った今、710万人いると言われる民営企業家は、世代交代を迫られている。起業当時、経済的にも時間的にも余裕がなく、子どもへの教育をおろそ