【法顕】玄奘より200年以上前に天竺に仏教の経典を求めた者(4)
最後の7年間、法顕は戒律の普及を志し、老齢の身体で翻訳に勤しみました。外国の禅師である佛馱跋院羅(ぶつだつばついんら)と共に、南京の道場寺で『摩訶僧戒律』など、合計24巻、100万文字の経典や律論を翻訳しました
【法顕】玄奘より200年以上前に天竺に仏教の経典を求めた者(2)
公元402年、法顕一行はシルクロードの「死の地」として知られる葱嶺(パミール高原)を越えました。この地域で盗賊が横行し、数え切れないほどの商人が命を落としました。山の積雪は一年を通じても溶けず、法顕は何度も雪崩を目撃しました