【大紀元日本2月13日】「マフィア組織取り締まりの英雄」とされていた重慶市副市長で、公安局長を兼ねていた王立軍が2月6日、四川省成都の米総領事館を訪れて政治亡命を求めたことにより、中国の政局が大きく乱れ、中共の天下大乱の始まりとして世界中から注目されている。
以下は複数の情報に基づいてまとめた、事件に関するあらすじである。
中共重慶市書記の薄煕来は、もともと総理や総書記、せめて副総理を目指していたが、ウィキリークスに公開された米国政府の機密電文によると、商業部部長の任期満了後、彼が法輪功迫害により世界数カ国で告訴されたため、副総理の人事として妥当ではないと、温家宝総理らに否決され、彼の副総理の夢は叶わなかった。
薄煕来は将来、権力中枢に入り、胡錦濤の勢力と対抗する「上海組」の政治路線を継承してほしいと、江沢民から期待されていた。しかし、商業部部長の任期満了後、薄煕来は中共重慶市書記に回され、かつそのポストは彼の政治生命の終点とされていた。
その恨みを晴らすため、薄煕来は重慶市トップについてから、可能な限り新奇をてらって、世論の注目を集めつつライバルで前任であった現広東トップの汪洋が在任中に抜擢した官員らを、いわゆる「マフィア組織一掃する」運動の中で、数多く逮捕、判決して、それをもってライバルを牽制しつつ己の勢力を伸ばそうとした。
その重任を担ったのは、遼寧省から呼び寄せてきた腹心で後に副市長で重慶市公安局長を兼ねた王立軍であった。
しかし、薄煕来の異動に対して、胡錦濤らは最初から警戒し密やかにそれに反撃する対策を練っていたようである。胡錦濤と温家宝が、薄煕来の「革命歌を歌い、マフィア組織取り締まり」運動に対し一言でも賛成の意を表したこともなければ、薄煕来の就任後に重慶をただの一度も視察したこともない。この異常な状況から胡錦濤と温家宝の態度は明らかだ。
昨年末、中共中央規律検査委員会(賀国強書記が重慶市元トップでもあった)が秘密に王立軍を召喚し、彼の汚職問題と拷問など司法乱用の数々の問題を指摘した。確たる証拠の前で、王は弁ずることができず、自分の政治生命は終わりだと感じた。一方、中紀委は、もし薄煕来の問題を摘発し、中紀委の薄煕来への調査に協力してもらえば、寛大に処理することもできると示唆した。それで、王は実名で薄煕来の汚職など多くの問題を摘発したという。
王の裏切りを中紀委にいる薄煕来の情報員から通報され、薄煕来は1月4日に王立軍と突っ込んで会談を行った。その詳細について知られていないが、2月2日に王立軍は重慶市公安局長の職を免じられる羽目になった。
王の裏切りを知って、薄煕来は先手を取って運転手など彼と親密な関係をもつ19人を逮捕し、王の行動を24時間監視するように命じた。
身の危険を感じ、途方に暮れた王立軍は、四川省成都の米領事館を秘密に訪れ、政治亡命を求めたのである。情報を知った薄煕来は命令を下し、重慶市黄奇帆市長が装甲車を含め70台のパートカーを率いて、四川省首都の所在地である成都にある米領事館を包囲し、王を出すように迫った。
一方、胡錦濤は国家安全部副部長ら7人を派遣し、王を領事館から受け取り、北京に連れ帰ったのである。
王は政治亡命を拒否され、米領事館から出る際に、国家安全局の官員らに、薄煕来は義理人情のないもので、おれは彼と徹底的に戦っていくと叫んだという。
重慶市は、中国の中央直轄市の一つであり、その幹部は省・部クラスである。副市長の王立軍は副省級であり、すなわち日本の副大臣に相当する高級幹部である。中共の高官が海外で政治亡命を求めたケースはあったが、副省級の高官が国内で米国の領事館に逃げ込み、政治亡命を求めるのは、前例のない非常に異常なことである。
それゆえ、中国問題専門家たちは、この事件で中共の内部闘争が米国をはじめとする国際社会に公開化されると共に、中共中枢部の権力闘争のバランスがすでに崩れ、もしかしてこの事件が中共を崩壊させるドミノの始まりであるかもしれないと見ている。
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