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セーフスペースが言論の自由を奪う

2021/04/15 更新: 2021/04/15

オックスフォード辞典によると、セーフスペース(安全な空間)とは「差別や批判、嫌がらせに晒されることのない環境」を指す。これは社会的少数派が安心して自分を表現できる場所であり、言論の自由を追求するのが前提だ。しかし、アメリカの大学に出現したセーフスペースは、その理想を放棄したようである。

大学のセーフスペースはオープンな表現を促進するよりも、反対意見を封じ込めることに特化している。「不快感を与える可能性がある」という理由で反対のイデオロギーを遮り、学生を保護している。その結果、学生は居心地のいいバブルに包まれ、自分と違う意見を聞くことができなくなった。大学は、閉鎖的なコミュニティの中で同じ意見ばかりが響きあう「エコチェンバー現象」に陥っている。

2015年、ニューヨーク・タイムズはブラウン大学での講演会を巡るセーフスペースについて報道し、注目を集めた。大学側は学生が講演者の言葉に傷つくことを懸念し、感情を落ち着かせるための枕、毛布、音楽、子犬のビデオ、クッキー、塗り絵、粘土を用意した。以来この現象は全米に広がり、ますます愚かさを増した。学生を知的不快感から守るために、大学は講義案内にトリガー警告(閲覧注意)を付け、スピーチ・ポリシーで講師の発言を制限するようになった。

物議を醸す講演者を遠ざけた結果、学生は多様な視点から物事を見る事ができなくなった。最も有名な例は2017年にミドルベリー大学で開かれた、政治学者チャールズ・マレー氏の講演会だ。マレー氏が登壇すると、会場の学生が一斉に立ち上がり、スローガンを歌ってスピーチを妨害した。同年、カリフォルニア大学バークレー校は政治評論家ベン・シャピロ氏の講演会警備に60万ドルをかけた。有名なコメンディアンのジェリー・サインフェルドでさえ、過剰反応を示す学生のためのパフォーマンスを公然と拒否している。

学生の先入観が常に正当化されるのであれば、大学に通う必要があるのだろうか。異なる視点を見聞きすることが学問の中心であり、議論は前提を再考するのに欠かせない。教育における個人の権利財団(FIRE)の調査によると、64%の学生がゲストスピーカーの話を聞いて意見を変えた経験があるという。それにもかかわらず、異端なゲストを招く大学はますます少なくなっている。

従業員のためのセーフスペースを設ける大手企業も少なくないが、調査によると、若者の間でこのポリシーが支持されているようである。ピュー・リサーチの2015年の調査によると、ミレニアル世代の40%は政府が不快な発言を検閲しても構わないと答えている。

今日、ますます多くのアメリカ人が耳障りな言論を封じるべきだと考えている。しかし、彼らはアメリカの真髄を忘れている。つまり、「あなたの意見は気に入らないが、あなたがそれを言う権利は守る」。これが我々の原則だったはずだ。

言論の自由という権利は、人類の歴史において前例がない。これを放棄しようとするアメリカの若者は、歴史的な認識に欠けている。「政府による検閲」というパンドラの箱を開けたらどうなるのか。歴史を振り返れば、数えきれない程の前例がある。言論の自由を奪うことがいかに危険であるかは、全体主義政権のもとで生活した事のある人たちが教えてくれる。皮肉にも、言論の自由がない生活を体験した事のない人々が、それを抑制しようとしているのである。

(文・Rikki Schlott/翻訳編集・郭丹丹)
 


執筆者:リッキー・スコロット

ニューヨーク在住の学生でライター。メーガン・ケリー・ショーに従事し、デイリー・ワイヤー、コンサバティブ・レビューにも寄稿している。

※寄稿文は執筆者の見解を示すものです。

 

 

 

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