「羅生門」を利用する中共の姑息さ(続編)【現代中国キーワード】

2023/02/02 更新: 2023/02/01

羅生門(再)】

前回の「芥川の羅生門を利用する中共の姑息さ」について、筆者の考察が十分でなかったため補足させていただきたい。読者各位には誠に恐縮ではあるが、前回の続きとしてお読みいただければ幸いである。

ここで芥川龍之介の小説『羅生門』を紹介する紙幅はないが、主人公の「下人」と死人の髪を抜く「老婆」との会話のなかに、次第に追い詰められていく人間のエゴイズムが見事に描かれていることは言うまでもない。

一方、現代中国語の語彙である「羅生門(ルオシェンメン)」について、その用例を詳細に見ていくと「多くの人間が、自分の言いたいことを勝手に言って、結局真実が分からなくなる様子」を指している。

これは、例えばSNS上の話題が熱を帯びることに関して、第三者が冷ややかに見る場合などにも使う。

芥川の別の小説である『藪の中』に、殺人事件の4人の目撃者の証言が食い違うという話がある。黒澤明監督の映画『羅生門』のモチーフは、こちらである。

そうすると、前回の小欄で取り上げた中共宣伝部の胡錫進(こしゃくしん)がSNSに書いた「結局、皆が勝手なことを言うから、解読できない“羅生門”になったのさ」は、小説の『羅生門』ではなく、黒澤映画の『羅生門』から取ったと考えられるのだ。

いずれにせよ、日本映画の『羅生門』の名を、中共が姑息な世論操作に利用するとは実に許し難い。ましてや15歳の命が失われた案件の真実が、これで糊塗されてよいはずがない。