「迫害は中国国民全員に深いダメージを与えた。特に、小さい子供と10代の若者たちに」と、中国出身の若者は語る。
梅梅(Meimei、仮名)さんはその日、学校に遅刻した。「どうしてだろう」と彼女は思った。お母さんはいつも私を起こしてくれるのに。ふと見ると、お父さんも仕事に遅れていた。お母さんが起こしてくれなかったみたい。お母さんはどこ?
そのとき、電話が鳴った。
16歳の少女が電話をとると、相手は交番の責任者だと名乗った。「あんたの母親は公園で法輪功を煉功していたから逮捕された。父親に頼んで5千元(約10万円)を交番に持ってこい。さもないと、次はあんたらの番だぞ」と伝えられた。
刑務所で看守を務めていた父は知り合いに電話をかけ始め、なんとかしてその地元公安局に連絡がつく者がいないか探した。
その日の午後にまた電話が鳴った。母親が交番から警察署へ連れて行かれたことを知らせる内容だった。
「すごく怖かった」と梅梅さんは当時を振り返る。その少し前に知り合いの別の法輪功学習者がまさにその警察署で打ちのめされ死んだことを聞いていたからだ。
「お母さんを助けないと」
彼女は父親に懇願した。彼女の父は体制(中国共産党)側で比較的地位のある人間だった。
父は裕福な叔父に頼み込み、叔父はすぐに至る所でお金と引き換えに情報を集め、目的の人物を探し当てた。
叔父はおよそ4日後になんとか面会の許可をもらったが、唯一梅梅さんだけが面会を許された。
年の瀬も近く、警察署は暗く冷たかった。梅梅さんがある部屋へと案内されると、そこには家族ぐるみで仲良くしていた友人がいた。その者は遠慮がちな様子だったが、彼女にはその顔に足跡があるのが見えた。
部屋の隅では2人の警察官がサングラスをかけてチェスに興じ、一層暗い雰囲気に包まれていた。その時、母親が部屋へ連れてこられた。梅梅さんは15分間ほとんど何も話せず、ただ泣き続けた。
叔父は公安局の上層部にお金を渡し続け、ついに母親の釈放を実現した。
梅梅さんは母親の傷だらけの体を見て「誰がこんなことやったの!」と叫んだ。梅梅さんは無力ながらも、怒りと復讐心につつまれた。
すると母親は、「彼らも被害者なんだ」「彼らは自分たちのしている事が間違っていることを知らないのだから」と言って梅梅さんの気持ちを落ち着かせた。
梅梅さんは驚いた。法輪功の本を読んだり、五式の功法を実践したことのある彼女は、法輪功の原則が「真・善・忍」であることを知っていた。けれども、その本当の意味を理解したのはその時が初めてだった。
「その瞬間、善とは何かがわかったような気がする」と梅梅さんは語った。
25年前に中国共産党による残酷な迫害が始まって以来、数百万の中国の子供達が自分と家族の命を心配しながら育ってきた。梅梅(仮名)さんはその1人だ。
エポックタイムズの取材を受けた他の人と同様、彼女も中国に暮らす親戚の身の安全を考慮して実名の非公開を求めた。
あべこべ
法輪功は「五式の功法」と呼ばれるゆったりとした5つの煉功動作と道徳的な原則をもつ修煉法で、その伝承過程は古代までさかのぼる。他の多くの佛家修煉法や道家修煉法と同様に、1970年代から中国社会に「気功」という呼び名で広まった。
気功修練法は主にその健康効果で人気を博し、精神的な教えは控えめに伝えられた。文化大革命後期の伝統破壊運動の中で気功は登場し、中国人が自らの文化に接触できる場所を残した。
法輪功は、法輪大法とも呼ばれ、気功ブームの出現からかなり時間が経った1992年に、李洪志氏によって公に伝えだされた。李洪志氏は各地で講習会を行い、気功に対する認識がある程度広まった世の中でより一層深い精神的な側面を掘り下げた。法輪功は、「真・善・忍」の原則に従って自らの品行を正すことこそが、健康な身体を獲得し、修煉において向上するカギだと説く。
人々の口コミによって、法輪功は瞬く間に全国へ広まった。1990年代末の政府による世論調査では、7千万から1億人が法輪功を修煉しており、そのほとんどが身体的な改善と精神的な幸福を実感したという。修煉を始めた両親がその功法と道徳的な教えを子供にも伝えるというのが、典型的なパターンだった。
エポックタイムズが取材を行った人のほとんどは、5〜15歳の頃にすでに法輪功学習者となり、真剣に修煉に取り組んでいた。
1999年7月20日、国中の政府系メディアが一斉に法輪功を非難し、法輪功は中国共産党によって禁止されたと報じた。その前夜、野外で煉功していた法輪功学習者のボランティアたちが中国全土で逮捕されたのである。
多くの法輪功学習者、特に若い学習者には、この知らせは大きな衝撃を与えた。
「ものすごい違和感を覚えた」と当時11歳だった莉維亜(Livia、仮名)さんは振り返る。
莉維亜さんと彼女の両親はよく地元の学習者と一緒に外で法輪功の煉功をしていた。
莉維亜さんは、「たくさんの政府職員が私たちのことを知っていて、とても友好的だった」と当時を思い出す。
しかし突然、法輪功は完全に邪なものであると報道され始めた。
「両親と私は、ただただ信じられなかった」
その時8歳だった艾米(Amy、仮名)さんによれば、メディアの法輪功に対する報道姿勢がほとんど一夜のうちに肯定から否定へと切り替わった。
報道は不快なものに満ちていた。
「天地をひっくり返されたかのようだった」と、当時13歳だった于さんはその感覚を思い返す。昨日まで認められていたものが一夜のうちに否定される。そして、荒唐無稽な主張が、今や疑う余地のない事実として報じられる。
法輪功学習者の多くは、何かの間違いに違いない、すぐに状況は元に戻るだろう、と思っていた。
当時18歳の菲比(Phoebe、仮名)さんは、「きっと何か誤解があるんだ」「彼らに、(逮捕された法輪功学習者たちは)みな善良な人間であるということを知らせないといけない」「何かしなければ」と考えていた。
数千の法輪功学習者が地元当局や北京政府へ赴き、訴えを提起したり、天安門広場にいる人々に「法輪功はすばらしい」と伝えたりした。
これを受け中国共産党は大量の法輪功学習者を拘束し、拷問を行った。
初めは、警察は何をすべきか困惑していた様子だったという。北京で逮捕された法輪功学習者は個人情報を記録されたのち、数日で解放された。
しかし、状況は一転する。
中央からの圧力か、地方当局は北京での法輪功学習者による訴えを重罪とみなし、彼らを強制労働収容所で数か月あるいは数年間拘束し始めた。
その後、すぐに拷問に関する証言が出現し始めた。数時間にわたる殴打、電気棒で焼かれた皮膚の匂いが部屋を充満するまで続く電気ショック、数日にわたる尋問と睡眠はく奪、飽和した食塩水を使って鼻からの強制摂食、関節の破壊、指の爪の下への竹串の挿入、正体不明の薬物投与、強姦、その他極度の痛みを与えるために編み出された様々な手段が用いられた。
迫害が始まってすぐに法輪功学習者たちはチラシを印刷し始め、その内容は主に法輪功学習者に対する不当な逮捕に関するものだった。後に、中国共産党のプロパガンダを暴露するより総合的なパンフレットをつくるようになり、それらのパンフレットはたいてい人目のつかない深夜に人々の郵便受けに投函された。
これらの資料を携えた状態で逮捕された場合、刑務所あるいは強制収容所に数年間投獄される。
莉維亜さんの両親は少なくとも10回、強制収容所やその他の拘置施設に送り込まれたという。
しかし莉維亜さんが中学生だった頃、両親と祖父母が同時に拘束された。他の親戚は巻き込まれるのを恐れ、莉維亜さんは一人取り残された。彼女は学校給食や貰い物を頼りに苦しい日々を切り抜けるしかなかった。
「本当に苦しい時間だった」
ただ、彼女にとって本当の問題は食べ物や生活必需品ではなかった。
「精神面が一番辛かった。両親に会いたいし、彼らを心配していた」
プロパガンダマシーン
迫害開始後の1か月間、テレビ、ラジオ、新聞といったメディアでは法輪功を攻撃する言論で溢れかえっていた。
法輪功をよく知る者にとって、そのようなプロパガンダはばかげたものだった。法輪功修煉は殺生を明確に禁じているにも関わらず、殺人、自殺、テロリズムを助長していると非難された。
しかし、プロパガンダがあまりにも大規模だったため、人々の多くが少なくともその主張の一部を受け入れることになった。
中国共産党による法輪功迫害が始まって以降、法輪功に対する攻撃は国家全体の義務的な運動となった。
その初期に見られた最も典型的な中傷の一つが、法輪功学習者が「法輪を見つける」ために胃の切開を行う、というものだった。そのような出来事があったことを示す証拠は一つもなく、中国共産党によるまったくのでっちあげであると思われる。しかし、それでも中国人の多くが疑う事なくそれを真実として受け入れたのである。
法輪功への攻撃は全国民の義務となり、人々は、反法輪功嘆願書への署名、法輪功創始者に対する踏み絵、公的な建物の入り口での法輪功非難を要求された。反法輪功プロパガンダは小学校の教科書、受験問題、学校での「政治教育」科目の一部に組み込まれた。
プロパガンダを信じる者にとっては、法輪功学習者は犯罪者以下の存在となっていた、と艾米さんは語る。
多くの者にとってそれは、毛沢東の言葉を暗唱しなければ買い物すらもできなかった文化大革命の頃を思い起こさせるものだった。
ただし、人々はすでに現実的な態度をとるようになっていた。必ずしもプロパガンダを信じていなかった者も、国家の誹謗中傷に逆らって信仰を固守するのは愚かでばかげていると法輪功学習者を冷笑した。
「人々は私たち家族全員を愚かだと思っていた。ただ法輪功を放棄すれば済む話なのに、どうして固執し続ける必要があるのか、と」
信仰は人々にとってなんら意味を持たなかった。莉維亜さんは語る。
艾米さんは、「政治教育」クラスでのある場面を回想する。先生が反法輪功プロパガンダを次から次へ口にすると、艾米さんは「法輪功はそんなものではありません!」と大声を上げた。先生はすぐさま、「証拠はあるのか」と艾米さんを抑え込み、授業後、廊下で艾米さんを怒鳴った。
艾米さんはすぐに仕返しを受けることになった。翌日、艾米さんは除け者扱いされ、他の同級生は彼女を不快な呼び名で呼んだ。
同級生の数人は艾米さんに味方していた。彼らは、先生から教育活動に「影響」が出るという理由で艾米さんに話しかけないよう言われたが、その指示を拒み艾米さんと友人でいたいと言ってきた。
艾米さんはその姿勢に励まされたものの、彼らをトラブルに巻き込みたくなかった艾米さんは、友人関係を公にしないこととした。しかし、時間の流れとともに艾米さんは唯一の友人とも引き裂かれ、最後には1人になってしまった。
法輪功学習者ではなかった艾米さんの父は艾米さんに学校に残るよう言い、絶え間ない冷遇と中傷に遭いながらも、艾米さんは学校に通い続けた。
艾米さんは「毎日が拷問のようだった」と言う。
(続き)
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