香港の「一国二制度」を裏切ったのはジミー・ライではない 壊したのは北京だ

2026/01/15 更新: 2026/01/15

寄稿

1月12日から数日間にわたり、香港高等法院(高裁)では量刑軽減に向けた審理(情状酌量の申し立て)が行われている。この手続きは有罪か否かを争うものではない。有罪はすでに確定しており、焦点は判決内容にある。「リンゴ日報」の創業者であり、実業家、カトリック信徒、そして香港で最も著名な自由の守護者の一人である黎智英(ジミー・ライ)に対する有罪判決は、すでに下されているのだ。

今、法廷で行われているのは、疑いの余地など微塵もなかった有罪判決の後に続く、狭い手続き上の段階に過ぎない。法はすでに宣告を終えており、寛大な措置が取られる余地は限られている。

ライの事件は、香港が何を失ったかを象徴する定義的な出来事となった。これはもはや、一人の人間や一つの新聞社だけの問題ではない。かつて香港を中国の他の地域とは異なる存在にし、世界の信頼を勝ち得ていた法的・政治的システムが解体されたことを意味している。

英国のある国会議員は、ライに有罪を言い渡した3人の裁判官(杜麗氷、李運騰、李素蘭)を直接批判し、マグニツキー制裁の対象として検討すべきだと主張した。3人のうち2人はロンドンで法廷弁護士の資格を取得し、かつて香港の司法を定義づけていた英米法(コモン・ロー)の伝統の中で訓練を受けてきた。平和的な出版人に対して国家安全法違反の有罪判決を下すという彼らの役割は、司法の独立、職業倫理、そして国際的な説明責任について深刻な懸念を呼び起こしている。

今日、香港で起きていることは通常の司法執行ではない。政治的な結果を正当化するために、法の形式を悪用しているに過ぎない。

植民地時代の香港で人生を築いた亡命者

ライの個人史は香港の隆盛と重なる。中国本土に生まれ、12歳で共産党の支配から逃れ、一文無しの難民として香港にたどり着いた。英国の植民地支配下で、彼は工場で働き、執拗なまでに貯蓄に励み、最終的にはアパレル事業を成功させ、メディア産業へと参入した。

彼の成功は政治的な特権によるものではなく、法の支配、経済的自由、そして私有財産の尊重に基づいたシステムの結果であった。

「リンゴ日報」はそのような環境から生まれた。それは率直で、物議を醸し、激しく独立的であったが、それが存在できたのは、かつての香港が表現の自由を保護し、異議申し立てを容認していたからである。ライの富と影響力は、難民を歓迎し、個人の意欲や努力が報われるシステムの下で築かれた。そのシステムは今、組織的に解体されてしまった。

中国共産党によって破壊された「一国二制度」

数十年にわたり、「一国二制度」の枠組みは香港の自治の憲法的基盤であった。1997年の返還後、少なくとも50年間は独立した司法、自由な報道、そしてこれまでの生活様式を維持することを約束していた。これは単なる政治スローガンではなく、「中英共同宣言」に明記された国際的な公約であった。

その約束は破られた。

2020年半ばに導入された国家安全法は、香港の法的景観を根本から変えてしまった。「外国勢力との結託」や「扇動」といった曖昧に定義された罪状により、言論、ジャーナリズム、国際的な支援を訴える活動は国家安全保障への脅威として再定義されることになった。こうした事件を扱う裁判官は行政長官によって指名される。保釈は例外的なものとなり、法より政治が優先されるようになった。

ライの有罪判決はこの文脈で理解されなければならない。彼が有罪とされた行為――外国の政治家との交流、批判的な論評の出版、制裁の呼びかけ――は、2020年以前の香港では合法であり、ごく一般的なことであった。それらが犯罪となったのは、中国共産党(CCP)がルールを書き換えた後のことだ。これは英米法体系で理解される「法の支配」ではない。異議申し立てに対する遡及的な処罰である。

国際ビジネスが香港を信頼していた時代

失われたものの大きさを理解するには、「リンゴ日報」がまだ自由に発行されていた頃の香港を思い出す必要がある。

国際企業が香港に集まったのは、予測可能性があったからだ。裁判所は独立していた。契約は執行された。資本は自由に流れ、情報はオープンに循環していた。自由な報道は、透明性と説明責任が重要視されていることを示す目に見える保証として機能していた。

「リンゴ日報」はそのエコシステムの一部であった。その存在は、権力への批判が許容されていることを示していた。グローバルな投資家にとって、これは極めて重要な意味を持っていた。報道が自由であれば、財産権や株主保護も安全である可能性が高いからだ。

2021年の「リンゴ日報」の強制閉鎖は、その信頼を打ち砕いた。編集局は捜索を受け、役員は逮捕され、資産は凍結された。それは市場の失敗や民事責任のためではなく、国家安全保障という旗印の下で行使された行政権力によるものであった。

凍結された資産、失われた信頼

ライの事件が国際ビジネスに与えた最も憂慮すべき影響は、財産権に関する前例を作ったことかもしれない。

ライの会社は、裁判が完了する前に資産を凍結された。上場企業の株式は、行政命令によって事実上、使用不能にされた。銀行はこれに従った。世界中の投資家がその様子を見守っていた。

香港の魅力は、単に低い税率や地理的条件にあったのではない。システムへの信頼こそが重要だったのだ。国家安全保障という広範な主張に基づいて資産が凍結され、企業が麻痺させられる事態を目の当たりにしたことで、香港のリスクプロファイルは根本的に変化した。

この変化は大規模な流出を引き起こした。起業家、専門職、ジャーナリスト、そして家族連れが英国、カナダ、オーストラリアなどへと移住した。香港のディアスポラ(離散者)たちは、単にイデオロギー的な理由だけで去ったのではない。かつて自分たちを守っていた法的安全装置が消え去ったからこそ、去ったのである。

沈黙させられた透明性、すり替えられた法の支配

政治や資本の流れを超えて、「リンゴ日報」は香港でのビジネスに対する信頼を維持する上で、不可欠な――しばしば控えめに評価されるが――役割を果たしていた。自由で、調査報道を行い、時には不都合な真実を突く報道機関は、汚職が暴かれ、不正が精査され、権力が問われ得るという信号を世界に発していた。

「リンゴ日報」が存在していた頃、投資家は透明性が香港のシステムに組み込まれており、その透明性が法の支配を強化していることを理解していた。

2019年9月29日、香港で行われたデモ行進後の衝突で、警察は民主派デモ参加者に催涙ガスを発射した。香港では中国共産党建国70周年を控え、民主派デモは4ヶ月目に突入した。翌月には親中派と反中派の抗議デモが予定されている(Chris McGrath/Getty Images)

中国共産党が恐れたのは、まさにこの開放性であった。「リンゴ日報」を沈黙させることは、単に新聞社を閉鎖することではなかった。透明性そのものに対する直接的な攻撃であった。透明性が破壊されたことで、法の支配は骨抜きにされ、法的確信ではなく、政治への従順と恐怖に取って代わられた。残されたのは「法の支配」ではなく「専制による支配」である。

「不介入」という神話

かつて香港の当局者は「積極的不介入」を誇らしげに掲げていた。北京は自制と地方自治の尊重を約束した。後知恵だが、この約束は常に脆弱なものであった。

2020年よりずっと以前から、兆候は明らかであった。メディア所有者への圧力、基本法の再解釈、そして政治的空間の縮小。国家安全法は、以前から明白であったことを形式化したに過ぎない――中国共産党は、真に自律した香港を50年間容認するつもりなど、最初からなかったのだ。

ライの運命は、神話の背後にある現実を露呈させている。不介入の約束は条件的で一時的なものであり、最終的には使い捨てにされるものだったのである。

世界への試練

ライは暴力的な犯罪者でも、分離主義者でも、テロリストでもない。彼は国家の転覆を主張したこともなければ、混乱や憎悪を助長したこともない。彼は「一国二制度」の原則的な守護者であり続け、香港が中国の一部でありながら、自由、法の支配、そして世界への開放性を維持できると心から信じていた。その信念はナイーブなものではなかった。それは北京が国際合意に刻んだ厳粛な約束に基づいていた。

真に恥ずべきは、ライの行動ではなく、自らが交わした公約を信じた人々を犯罪者として扱う中国共産党の振る舞いである。約束を真に受けた人々を罰することは国家の権威を示すものではなく、法のルールを無視してでも異論を封じ込めるという、司法への冒涜を露呈させたに等しい。ライのいわゆる『罪』とは、北京が自ら掲げた公約を守るはずだと信じたことに他ならない。 その当然の期待に対し、彼は今、あまりに重い代償を支払わされているのだ。

今日、ライは残りの人生を刑務所で過ごすという現実に直面している。彼の事件は単なる量刑の問題ではなく、香港にまだ正義が存在するかどうかの試金石である。沈黙は中立ではない。国際社会はライを支持し、彼の即時解放を求めて、明確かつ力強い声を上げなければならない。

エドワード・チンは、運用資産残高で最大規模を誇る英国の上場ヘッジファンドにおいて、かつてカントリーヘッド(国内代表)を務めていた。ヘッジファンド業界以外では、「2047香港モニター(2047 Hong Kong Monitor)」の招集人であり、国境なき記者団(RSF)のシニアアドバイザーも務めている。ミネソタ大学でスピーチ・コミュニケーションを学び、トロント大学で経営学修士(MBA)を取得した。
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