神に祈るからAIに聞くへ 中国の若者と『サイバー玄学』の時代

2026/02/04 更新: 2026/02/04

ロイター通信は、中国当局が3年間にわたり実施した新型コロナ感染防止対策の「ゼロコロナ」政策が、中国経済に深刻な打撃を与え、失業率を歴史的高水準にまで押し上げたと報じている。中国大陸ではここ数年、「卒業=失業」や「35歳でリストラ」といった言葉が、もはや一部の例外ではなく、一世代の若者が共有する集団的体験となりつつある。

現実の出世ルートが次第に閉ざされる中、若者たちは就職を願って寺院を訪れ、神仏に祈りを捧げることで心理的な慰めを求める現象も見られる。そして次に目を向けたのが、目に見えず手にも触れられないが、あたかも「答えを与えてくれる」かのように映る領域、すなわち「AI玄学」である。

いわゆるAI玄学、または**サイバー玄学(Cyber Divination)**とは、アルゴリズムやモデル、データを用いて(それらしく構築)された占いや算命、運勢分析を指す。昨年、この種のコンテンツの中国SNS上での再生回数は、累計で1千億回規模に達した。

本来は無機質な計算の集合体にすぎないAIが、人々の不安や期待を映し込まれ、「未来を見通す存在」であるかのように扱われている。その姿は、かつて人々が水晶玉に運命を託したのと変わらない。

「神に祈る」から「AIに聞く」へ 同様の不安

中国メディア「21財経」によると、昨年の中国AI心理消費市場規模は約38億6600万元に達し、2028年には595億元を突破すると予測している。サイバー占い、AI運勢分析は、回数課金や年額サブスクリプションといった形で、標準化した商品として流通している。

しかし、若者が「超現実的な力」に希望を託すのは、今回が初めてではない。2023年、北京の雍和宮では一日の予約者数が6万人に達し、行列は旧正月の期間さながらの光景となった。ネット上では「オファー寺」と揶揄され、香を焚けば履歴書が神仏に(推薦)されるかのように語られた。

中国メディア「新浪財経」の統計によれば、寺院経済は昨年から今年にかけて市場規模が一千億元を超える見通しで、1990年代、2000年代生まれがほぼ半数を占める。現実に希望を見いだせない若者が、伝統的手段へと回帰している実態が浮かび上がる。

寺院経済とAI玄学は表裏一体の関係にある。前者はオフライン、後者はオンライン。片方は線香を焚き、もう片方はQRコードを読み取る。寺が「効かない」と感じればAIへ、AIが外れれば別のモデルへと乗り換える。その様は、ECサイトで価格比較をする消費行動と酷似している。

アルゴリズムの中の「信仰」

3年間のゼロコロナ政策がもたらした経済的重圧の下で、寺院やAIが若者にとって「精神的鎮痛剤」となった背景には、一定の必然性がある。

ただし、今日の寺院は数十年前のそれとは異なり、今日の占いもまた、伝統文化における修行や内省とは別物である。伝統的信仰が敬虔さと長期的な内面化を重んじる「弱火で煮込む老湯」だとすれば、現代の玄学消費は、3秒で結果が出るインスタントコーヒーに近い。

かつて人々が仏を拝んだのは、因果や徳を信じたからであり、今の「信仰」は、押せばすぐに「幸運」が表示される心理的スイッチに過ぎない。神仏は機能別に分解され、求財、求愛、求職と用途別に並べられ、使い捨てのアプリのように消費されていく。

この極端な功利化(効率重視)は偶然ではない。1966年に始まった「破四旧(旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣」を打破する社会運動)」と文化大革命は、伝統文化を体系的に根絶した出来事だった。画家の馮驥才は『一百個人的十年』で、家具の龍鳳彫刻を削り落とす人々を描き、北京大学の季羨林教授は『牛棚雑憶』で、書物や先祖伝来の陶磁器が破壊される光景を記している。それは自然な文化衰退ではなく、継承の血脈が根こそぎ断たれた過程だった。

文革後、寺院は再開されたが、「観光地」「文化遺産」として再定義され、信仰は制度の外に置かれた。結果として、表向きは「文化復興」、実態は「信仰の真空」という矛盾の中で世代が育った。

なぜサイバー玄学は不安を解消できないのか

それは欲望には答えても、魂には答えないからだ。東西の伝統思想はいずれも、内面の修養を重んじる。聖書『伝道の書』は「すべてのことには定まった時がある」と説き、シラーは「運命は自分自身の胸の中にある」と述べた。孔子にとっての「天命」とは、自然と社会の法則、そして個人の道徳的責任を理解することであった。

サイバー玄学は、不安を数値に置き換え、確定的に見える答えを返すだけで、道を照らす灯ではない。無神論と近代化、不安の時代を映す歪んだ鏡に過ぎない。

若者が寺を訪れ、AIに問いかける現象は、1980年代の気功ブームと同様、表層は迷信でも、実質は生の意味を求める行為である。物質が苦しみを説明できず、現実が「なぜ」に答えられないとき、人は必ず天を仰ぐ。

問題は信じるか否かではなく、何を、どのように信じるのかにある。神仏を道具とせず、アルゴリズムを神託と見なさなくなったとき、AI玄学は自然と忘れ去られるだろう。本当の答えは、最初からスクリーンの中には存在しない。

肖承恩
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