一党支配の下では、どれほど大胆な改革も一時的なものにすぎない。
論評
計画経済の後進国だった中国を世界的な製造大国へと押し上げる改革を主導した、強硬派の改革者で元中国首相の朱鎔基が今月、97歳で死去した。
税制の中央集権化、大規模な人員削減、中国の世界貿易機関(WTO)加盟、そして今では忘れ去られた法輪功に対する一時期の寛容な姿勢――。朱が残したこれらの遺産は、現代中国の経済的繁栄の基礎となった一方、その進歩がいかに容易に逆戻りし得るかを示す鮮明な教訓にもなっている。
朱鎔基が残した経済改革の遺産
10年に及んだ文化大革命によって中国共産党(中共)政権が瀬戸際まで追い込まれた後、当時の中共指導者、鄧小平は中国を市場経済改革へと方向転換させた。鄧は硬直した青写真に従うのではなく、現実的な試行錯誤を重視し、一歩ずつ改革を進める手法を「石を探りながら川を渡る」と表現した。
その構想を実行に移したのが朱鎔基である。1991年から2003年にかけて副首相、首相を務めた中国経済の「剛腕トップ」朱鎔基は、強力な改革を断行して中国の台頭を主導した。その中には、財政政策の再構築、非効率な国有企業の整理・改革、中国の世界貿易機関(WTO)加盟の実現などが含まれていた。
朱鎔基は1990年代、中国の画期的な「分税制改革」を推進した人物として公式に評価されている。この改革によって、中国の税収の多くが北京の中央政府に集中するようになった。これが中央政府の財政力を大幅に強化したことは間違いない。
しかしその一方で、地方政府は安定した税収源を失い、地方財政を賄うために土地売却に依存せざるを得なくなった。これに土地の国有・集団所有制度が組み合わさったことで、「土地財政」と呼ばれる仕組みが形成された。このモデルは住宅価格を急騰させ、現在も続く不動産危機を引き起こす要因となった。
もっとも、その責任を分税制改革だけに帰すことはできない。そもそも大規模な土地売却を可能にしたのは、中国における土地の国有・集団所有制度だったからである。

その追悼記事では、朱鎔基が香港の国際金融センターとしての地位を守ったことも高く評価している。
皮肉なことに、今日の香港の地位低下は、主として中国共産党の習近平指導部の下で導入された政策に起因している。そのため、朱への称賛は、暗に現在の中国指導部への批判ともなっている。
WTO加盟とその代償
朱鎔基の最も重要な功績の一つが、2001年の中国の世界貿易機関(WTO)加盟を主導したことである。
世界貿易への本格的な参入に備えるため、朱は非効率な国有企業の再編を強力に推し進めた。これによって経営効率は向上したものの、大規模な人員削減を招き、数千万人もの労働者が職を失った。
冷戦後の米国とは異なり、当時の中国では民間部門がまだ十分に成長しておらず、急増した失業者を吸収できるほどの力を持っていなかった。

この強引な再編によって、数百万人の労働者が生活の糧を奪われ、事実上ほとんど何のセーフティーネットもない状態に置かれた。
こうした改革は最終的に中国の大幅な経済成長をもたらしたものの、その代償を負った労働者の多くは取り残され、十分かつ公正な補償を受けることもなかった。
粗悪工事を糾弾した首相
1998年夏の洪水で長江の堤防が決壊した際、朱鎔基は江西省九江市の決壊現場を視察し、工事で手抜きが行われ、粗悪な材料が使われていたことを知った。激怒した朱は、この堤防を公の場で「王八蛋工程(ろくでもない工事)」と痛烈に批判し、さらに「豆腐渣工程(おから工事)」と呼んだ。崩れやすいコンクリートを、豆腐を作った後に残る、もろく価値のないおからになぞらえた表現である。
中国で汚職が繰り返し社会問題となり続ける限り、「豆腐渣工程」という言葉は今後も中国の政治用語として残り、朱の功績を象徴する言葉の一つであり続けるだろう。
法輪功の声に耳を傾けた首相
朱鎔基の経済改革の功績とは一線を画す、もう一つの出来事がある。内部関係者の証言によると、1990年代後半、朱と中国共産党中央政治局常務委員会の全メンバーは、当時の中共指導者・江沢民が法輪功を弾圧するとの決定に反対していた。

1999年4月25日、約1万人の法輪功学習者が北京にある中共の中枢・中南海付近に平和的に集まり、信仰の自由を求めて当局に陳情した。同月初めには、天津で数十人の学習者が信仰を理由に地元警察によって拘束されていた。
政府高官としては異例の対応として、朱鎔基は学習者の代表者と直接面会し、彼らの訴えに耳を傾けた。そして、拘束されていた学習者の釈放を指示するとともに、学習者が合法的な環境の中で修煉を続けられることを保証した。
法輪功は1992年に中国で一般に伝えられ、その後広く普及し、1990年代後半までには少なくとも7千万人が実践するようになった。
内部関係者の証言によると、翌日に開かれた指導部の内部会議で、朱は法輪功を弾圧すれば中国のイメージを損なうとして、学習者をそのままにしておくべきだとの考えを示した。これに対し、法輪功の人気拡大を恐れていた江沢民は、そのようにすれば共産党が倒れると反論したという。
その数か月後、江は法輪功に対する全国規模の大規模な弾圧を開始した。これにより、現在まで続く迫害が始まった。
改革は一夜にして覆される
朱鎔基の死去は、江沢民を中共の建国世代と並ぶ存在として位置づけるため、異例の高い政治的待遇で追悼しようとしていた習近平の計画に、思いがけない影を落とした。江の功績に注目が集まるはずだったが、朱の死去によって、中国が最も繁栄した時代の改革は、江よりもはるかに朱の功績によるものだったことが改めて人々に意識されることになった。
1990年12月に上海証券取引所を開設する際、鄧小平と中共を支え、その実現を推進したのも朱だった。上海証券取引所は現在、主要な国有企業が上場する世界有数の金融市場へと成長している。
中国の改革開放時代を推進するうえで最も大きな役割を果たした政府高官の一人が朱鎔基だった。しかし現在、習近平の政策によって、朱鎔基が築いた改革の多くが事実上解体されつつある。
この対照が示すものこそ、朱鎔基の遺産から得られる究極の教訓である。全体主義体制の下では、どれほど改革を進めても、その成果が保障されることはない。すべてが一夜にして覆される可能性があるのだ。

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