1990年代初め、スランゲル・ウィップス・ジュニア氏がカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で経営学修士(MBA)を学んでいたころ、同級生たちは就職活動に励み、実入りのよい仕事を追い求めていた。だが、ウィップス氏には別の道が見えていた。
同級生たちは、なぜ就職活動をしないのかと不思議がった。ウィップス氏の答えは明快だった。「私はここへ学ぶために来た。だが私の計画は、故郷へ帰って家業を手伝い、やがては公のために尽くすことだった」
ウィップス氏は、米国人の母親とパラオ人の父親の間にボルティモアで生まれた。そのため、当時は米国市民権を持っていた。一方、パラオの憲法は、選挙で選ばれる公職者が二重国籍を持つことを禁じている。
「一時は、自分の半分を手放さなければならないように感じた」という。それでもウィップス氏は、米国市民権を放棄する道を選んだ。
「私はそのことを母に相談した。実際のところ、私たちはほとんど生涯をこの地で暮らしてきた。母は『ここが私たちの故郷だ』と言った」と、ウィップス氏は振り返る。
「私は、パラオ人であること、そして私たちが『手つかずの楽園』と呼ぶこの地に暮らせることを、幸せに感じている」
ウィップス氏は2020年に初めて大統領に選出され、2024年に再選を果たした。
現在、ウィップス大統領が率いるパラオは、その戦略的な位置と高まる地政学的重要性を背景に、同大統領自身が「標的の中心(ブルズアイ)」と呼ぶ国となっている。

「私は、レーガン大統領が語った『平和を望むなら、それは力によってもたらされる』という考え方を信じている。トランプ大統領も、同じことを言っている」とウィップス氏は、大統領府での取材で、大紀元の対談番組「米国の思想リーダー」に語った。
そのうえで、自由、民主主義、法の支配という共通の価値観を持つ国々を、適切なパートナーとして見つけることが重要だと強調する。

また、自国が現在の地政学的な競争から距離を置いていられるとの見方も退けた。警戒を促すのは、ウィップス氏が「誤った安心感」と呼ぶものだ。
それは、「自分たちは太平洋のこんなところにいるのだから、誰も関心を持つはずがない。ただ暮らして、幸せでいられる」という思い込みである。
パラオは1994年、米国の信託統治から完全に独立し、米国と自由連合盟約(コンパクト)を結んだ。
2024年3月には、更新された盟約見直し協定が発効した。これにより米国は今後20年間で、教育、保健、環境、司法運営、公共の安全、会計監査のために、総額8億8900万ドル(約1330億円)を補助金や信託基金への拠出金としてパラオに提供することを約束した。
中国共産党政権の圧力に対抗
パラオの長年の外交パートナーには台湾もある。両国は1999年以来、正式な外交関係を維持してきた。一方、中国共産党政権(中共)は、パラオを台湾から引き離し、中国と外交関係を結ばせようとしてきたという。
ウィップス氏によると、中共の当局者は、まず中国側の魅力を強調して接近する一方、要求に従わなければ不利益を受けると警告してきた。
「彼らはまず、自分たちがいかにすばらしいかを語る。そして次の瞬間には、『まあ、おとなしくしていないと、痛い目に遭うぞ』と言うのだ」と述べ、「それがどうやって人を口説くことになるのか、私には分からない。ふつう、そんなやり方で人を口説くことはない」と語った。
観光も、中共が圧力をかけるために用いてきた手段の一つだという。
「彼らは私たちにこう言ってきた。『ああ、望むだけホテルを建てられる。100万人の観光客を連れてきてやろう』」
ところがその一方で、パラオが外交上の承認を台北から北京へ切り替えなければ、中国人観光客の流れを断つと脅してきたという。
「これが、これまでのナラティブだ」

ウィップス氏は、仮に台湾を支持していなかったとしても、年間100万人もの中国人観光客を受け入れることが魅力的だとは考えていない。それほどの規模の流入は、自国の「美しく手つかずの自然環境を破壊してしまう」としている。
パラオの人口は約1万7600人。観光関連の経済活動は、同国経済の最大40%を占める。
経済監視分析プログラム(EconMAP)は、観光関連の経済活動が2026会計年度に28%伸びると予測している。
観光がパラオ経済で果たす役割は、国際通貨基金(IMF)の報告書にも表れている。同報告書によれば、観光客による支出は、パラオの国内総生産(GDP)の50%に相当したこともある。
中共はこれまでも、海外旅行を圧力の手段として繰り返し利用してきた。団体旅行の認可を絞り込んだり、渡航勧告を出したりすることで、中国人観光客に依存する国々に圧力をかけてきた。
日本や韓国、台湾も、政治や安全保障をめぐる対立を背景に、中共政権による同様の非公式な渡航制限に直面してきた。こうした事例は、中共が観光を威圧の手段として利用し得ることを示している。

2017年、中共は中国の旅行業者に対し、パラオ行きのパッケージツアーの販売を禁じた。その後、観光客数は急激に落ち込んだ。
パラオ政府のデータによれば、中国人観光客数は、2015年の9万1000人あまりから、2017年には約5万5000人、2019年には約2万8000人にまで減少した。
その圧力は8月中旬、再び表面化した。中共が、窃盗や強盗への懸念を理由に、自国民に対してこの島国への渡航を控えるよう警告したのである。一方、パラオは犯罪率が低く、旅行先として安全だという国際的な評価を得ている。
中共がこの渡航警告を出したのは、パラオが第55回太平洋諸島フォーラム(PIF)首脳会議を主催するわずか数週間前だった。同会議には、オーストラリアとニュージーランドを含む太平洋の18か国が参加し、9月4日に閉幕した。

台湾の林佳龍外交部長は、ウィップス氏の招きを受けて、この会議に出席した。
ウィップス氏によると、台湾の参加を阻もうとした中共の外交官からの要求を退けたという。この一件は、中国が自らの思惑をパラオに押しつけようとしていることを浮き彫りにした。
さらにウィップス氏は、中共の当局者らが「一つの中国」原則のもと、パラオが「違法な活動」を行っていると非難してきたと指摘。こうした中共側の主張を容認しない姿勢を示した。
「言うまでもなく、パラオは台湾を承認している。だから『一つの中国』原則は、パラオには当てはまらない。それが当てはまるのは、彼らを承認している国々だけだ」
「我々は、自決の権利を持つすべての国が、その自決の権利を干渉されるべきではないと考えている」
米国を含む多くの国は、「一つの中国」政策をとっている。これは、「中国」という名を持つ主権国家は一つだけであるとする立場だ。この政策は、中共政権が主張する「一つの中国」原則とは区別される。
「一つの中国」原則は、中共政権が台湾を中国の一部とする立場を示すものだ。
小国に対する中共政権の姿勢にも驚かされたという。ウィップス氏は、パラオが延長大陸棚を主張していることをめぐる、ある中共の外交官との会話を振り返った。
大陸棚に関するパラオの主張について、政府間で何らかの誤解があるのではないかと尋ねたところ、その外交官は、パラオは「小さな国」であり、「そんなに多くの海を持つべきではない」と答えたという。
ウィップス氏は、この出来事について、相互の尊重や国際的なルールへの配慮が欠けていることの表れだと指摘する。
近年、パラオは、中共当局の船舶が自国の排他的経済水域(EEZ)に侵入することについて、繰り返し抗議してきた。
そこには、フィリピン海の海底地形である九州・パラオ海嶺周辺の海域も含まれる。

薬物危機
パラオも、太平洋の他の島国と同様、覚醒剤(メタンフェタミン)やコカインをめぐる違法薬物問題に直面している。ウィップス氏は、その背景には中共の非協力的な姿勢もあると指摘する。
「私たちは、薬物の大半がマカオや香港からの便に乗ってやってくることを分かっている」
ウィップス氏によれば、この問題を中共政権に提起し、薬物が航空便に積み込まれるのを防ぐよう求めた。しかし、中共政権は「この問題について、私たちをあまり助けてはくれなかった」という。
ウィップス氏が今年の施政方針演説で引用したデータによれば、パラオでは2024年に覚醒剤関連の有罪判決が15件あり、19万5750ドル(約2940万円)の罰金が科された。15件という有罪判決数は、2019会計年度の3倍にあたる。
2025年には、有罪判決は21件へと跳ね上がり、罰金も36万2000ドル(約5430万円)に増えた。
パラオ司法省によれば、2025年には複数の中国国籍者が薬物関連の罪で有罪となり、刑を言い渡された。薬物関連の有罪判決の増加は、パラオの刑務所の収容能力への負担を強めている。
「彼らが、私たちの刑務所を埋め尽くしている」と、ウィップス氏は述べた。「それが、私たちの制度をあふれさせているのだ」

薬物関連の受刑者は、いまや同国の刑務所人口の15%を占めており、その割合は増え続けているという。
パラオは、この薬物危機に取り組むため、米国との協力を進めている。
「私はこの問題を、米国に対して絶えず持ち出してきた」
ウィップス氏は、米麻薬取締局(DEA)、米連邦捜査局(FBI)、米軍の情報機関、そして米国土安全保障省に支援を求めてきた。事件の訴追を支援する連邦検察官の派遣も要請している。

この問題は、年2回開かれる米・パラオ合同委員会でも、主要議題の一つとなっているという。3月にコロールで開かれた会合では、パラオの当局者が、米インド太平洋軍やそのほかの米政府機関の代表と会い、違法薬物と、より広範な安全保障協力について話し合った。
2月には、違法薬物に立ち向かうための国家作業部会を設置する大統領令に署名した。
ウィップス氏は、米国に対し、より直接的な法執行面での支援を求めている。
両国間の盟約のもとで、「米国は積極的な役割を果たすべきだ」と訴える。
ウィップス氏は、「私たちは話し合いを続けている。しかし、現場に実際の要員を派遣することが、必要な速さで進んでいないこともある」と述べた。
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