「知らない人について行かない」
「一度目を離した食べ物や飲み物は口にしない」
「親の知り合いだと名乗られても、確認できるまで信用しない」
「はぐれたペットを探すのを手伝って」「荷物を運ぶのを手伝って」と知らない大人に頼まれても、ついて行かない。本当に困っているなら、子供ではなく大人に助けを求めるはずだからだ。知らない人の車にも絶対に乗らない。
ここまでは、まあどこの国の親でも教えることだ。
ところが、中国のネット上では、その国ならではの事情を反映した、耳を疑うような自衛策まで語られている。
「学校で突然採血が始まったらトイレに隠れろ」
「健康調査には重い病気があると書け」
「連れ去られそうになったら通行人のスマホを奪え、店の商品を壊せ」
そこまでしなければ子供を守れないのか。いったい何を恐れているのだろうか。
例えば、学校で保護者に無断で採血が始まったら、トイレに隠れてやり過ごす。健康調査票には、あえて自分や家族に重い病気があると書き、珍しい血液型でも正直に申告しない。
いずれも、臓器を狙われることへの恐怖から生まれたとされる自衛策だ。そこには、子供の安全をめぐる強い不安と、社会への根深い不信がにじむ。
また、連れ去られそうになったら、ただ「助けて!」と叫ぶのではなく、「共産党打倒!」と叫べという。政治的な発言なら警察がすぐに反応するだろう、という発想だ。
さらに過激なのは、「他人の善意を当てにするな」という教えだ。
助けを求めても、面倒に巻き込まれたくない人は見て見ぬふりをするかもしれない。ならば、店の商品を壊し、通行人のスマホを奪い、時には人に危害を加えてでも騒ぎを起こせという。
被害を受けた人は、弁償させるために、加害者となった子供を何としても逃がすまいとする。つまり、自分を逃がさないために必死になる相手を、結果的に自分を連れ去りから守る側に回らせるという理屈だ。
もちろん、物を壊したり、人を傷つけたりすることは許されず、かえって危険を招く恐れもある。
それでも、「悪いことだとわかっている。それでも、何としても生きて帰ってきてほしい」という親の切実な思いが、こうした極端な自衛論からは伝わってくる。
そこまでして我が子を守ろうとする親たちは、いったい何を恐れ、何を信じられなくなっているのだろうか。
我が子を守ろうとする親たちの知恵から、今の中国社会に広がる不信と、その危うさが見えてくる。
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