元軍人育成大学校の講師が語る―中共の邪悪な本質に対する認識について

2006/03/03 更新: 2006/03/03

【大紀元日本3月3日】私は以前、中国人民解放軍軍需大学の講師だった。1995年に中国共産党(中共)に入党し、1997年から法輪功を修煉している。1999年7月に江沢民元国家主席と中共は法輪功に対する迫害を始めた。大学側からは法輪功を放棄するように迫られた。そのときの理由の一つは、共産党員は法輪功を修煉してはいけないということだった。私は共産党を脱退することにし、党費は納めず、いわゆる集団勉強会にも参加しなくなった。そして、学校は私の離党を認めず、党籍を剥奪することに決めた。このため、私は仕方なく、復員し学校から退職した。

子供のときから政治に興味はなかった。大学のとき、自然科学を専攻し、1985年に修士課程に進学したとき、専門重視のため、軍の大学院に入った。しかし、大学院で軍の大学特有の政治的雰囲気を味わうことになった。入学早々、学生はまず軍人で、それから院生であり、軍隊は党の絶対的な指導に従わなければならないと教育された。軍の大学では政治学習が日常茶飯事であり、入党の申請書を書くことは向上心の現われとされていた。院生は「院生隊」に配属され、隊長と指導員から指導を受ける。指導員はもっぱら政治思想教育を担当し、政治勉強会では定期的に入党申請書を提出していない人の数を公表する。私も圧力の下で、つい申請書を書いてしまった。

院生卒業後、学校に残って教師となり、教育と研究両方に携わっていた。普通の学校と違うところは、毎週半日、必ず政治学習があることだ。私は、他の会議を休んでも良いが、政治学習はできるだけ休みを取らないほうがいいと言われた。党員でない人は軍の幹部である以上、参加しなければならない。そのため、他の会議より、政治学習の出席者は最も多かった。さらに、政治学習の出席率は昇任審査の対象でもある。ひいては学術論文の評価にも影響する。何ら専門知識のない幹部たちが政治学習会ではえらそうに発言し、言っていることは全部同じである。中央から文書が出されたら、まず大会で通達され、その後、各研究室または党支部単位でそれを勉強し、議論を行なう。皆中央の決定を断固として擁護すると言い、党が偉大であると言葉を惜しまずに党を絶賛する。しかし、会議後に全く違うことを言い、党をけなす人も少なくない。これによって、表では皆良いことを言い、陰では全く違うことを言うというやり方がまかり通っており、誰もがこれに慣れていた。中共が法輪功を迫害する決定が伝達されると、私は勉強会で異議を唱えた。それを聞いた人は皆驚いてしまった。勉強会の後、「表ではやめたと言い、家でこっそりやってもいいのではないか」と言ってくる人がいた。学科の政治委員は何回か公の場で私を説得したが、全く効果がないのを見て、「家でやっても干渉しないから、もうやめると言えばいいのに」と勧めてくれた。しかし、私は真善忍の基準で自らを要求し、正々堂々と行ない、嘘をつきたくなかった。しかし、職場の上司や親族、友人らは私を理解することができなかった。なぜならば、皆が保身的になっており、表裏不一致のことがいたって正常なことだと思っていたからである。党文化がいかに中国人を深く害したのかを伺うことができる。度重なる政治学習、心のない態度表明にもうんざりしている。私も知らないうちに、共産党に洗脳されたのではなかろうか。1999年、法輪功が迫害され、テレビで法輪功が攻撃をされているのを見て、頭が混乱してしまった。そのとき、まず思ったのは、党と国は嘘をついてはいけないということである。共産党の宣伝はすでに私に深く影響し、党が人民のために考えており、悪い一面もあるが、主流は良いと思っていた。しかし、法輪功の修煉を通じて得た体験と共産党が歴史上行なったことを振り返って、共産党はまたいつもの手法を駆使して、政治運動を起こしているのだとその時はっきりと認識した。共産党はこれまでに発動した運動に対して、自ら間違ったと認めているのだ。

私は、無理やり中国共産党に入党するよう強制された。軍需要員育成学校の長年の仕事を通して、政治家になるためには必ず共産党に加入する必要があると分かった。なぜなら、中国は共産党の天下だからだ。しかし、私は学術的な研究をしたいのであり、官吏の道は考えておらず、ましてや政治家になるような人材ではないと思っていたので、仕事をしてから何年も入党することを考えていなかった。ある日、党の人材育成部の書記が私に対して不満そうに、「あなたが入党申請書を書かないと、私は党員を育成することもできない(当時の研究室の中で私だけが党員ではなかった)」とこぼした。情にほだされて、私はそれに承諾した。書記が私の代わりに入党申請書を他の党員に書かせてから、2人の入党に関する紹介者を手配した。熱意が少しもなかった私が自分の考えを報告しないのを不満に思い、紹介者たちは仕方なくでっち上げた思想報告を出して、私の入党が許可された。

党の規約では、党員は自由に脱党することができると明確に規定し、6ヶ月以上党費を納めない場合、または組織活動に参加しなければ、自ら脱党したとみなすとされていた。しかし実際はそうではなかった。法輪功の修煉を続ける私が脱党を申し込んだとき、党員が自由に共産党から離脱する規定はないと知らされた。私は党支部のすべての活動に参加することを拒絶し、半年以上も党費を納めなかったため、党籍の除籍処分が与えられ、そして復員を強いられた私は仕事を失った。まさに『九評』の第八部の中で述べられているように「共産党に加入することは身を売る行為であり、国家を統治する法律の上には共産党の法がある。共産党が個人の党員を除籍することができるが、党員は多大な代価を支払わずには共産党から脱退することが不可能なのだ」。全くその通りだ。

『九評』を読む前から、私は共産党の政治形態や執政の方法に、少し戸惑いを感じていた。たとえば入党宣誓がそうである。誓いを立てることは宣誓を意味し、それは有神論を基礎として、すなわち神々に証明させ、あるいは直接神に向かって誓いを立てることである。かつて西洋諸国の決闘もそうであった。問題が解決できず決闘する際に、神が正しい者の側を支援し、正しい者に勝たせると言われていた。しかし共産党は無神論を基礎として成り立ち、誓いを立てることは封建的な迷信とみなされ、詐欺行為だとされていた。ならばどうして宗教の宣誓に類似することをやるのだろうか?誰に対して宣誓するのだろうか?『九評』を読み終えて始めてこのことが分かった。つまり共産党にも「神」があったのだ。ただし共産党の「神」は悪霊であり、入党する際に血の色の旗に対して宣誓することは、つまりその悪霊に対して宣誓するのであり、運命をその「悪霊」に任せたということである。脱党声明を公表しないかぎり、「悪霊」はその党員を手放そうとしないのだ。また、共産党の重要人物にはすべて著作があり、党員に繰り返し学ぶように強制する制度があった。まさに当年宣伝された人物・雷鋒のように、まずよい事をすること、その次に毛沢東選集を学ぶことが何よりも重視されていたのだ。雷鋒を宣伝する際に使われた写真は、まさに雷鋒が運転席で毛沢東選集を勉強する場面であった。党から配布された文書も繰り返し学ぶように求められ、共産党の精神の本質をしっかり理解しなければならないと教育されていた。共産党は与党として国家を統治し、文書を管理の命令と見なし、具体的な事件に対して、容易に操縦できる工場の行政命令のようなものを、なぜ繰り返し学んで理解する必要があるのだろうか?その上共産党指導者の著作、文書はすでに過去のものとなり、繰り返して読む必要が果たしてあるのだろうか?ただ宗教の経典だけが、信者にとって繰り返し読んでも、永遠に変わらないものである。和尚のような修練者が毎日読む経は、限られた数冊しかなかった。なぜなら、彼らが使う経典の背後には、守っている神がおり、読むたびに次元を高めることができるのだから。

共産党はその党員に繰り返し指導者の著作および文書を学ぶよう要求し、指導人物の写真を仏像のように掲げるので、宗教との間に驚異的な相似性がある。しかし共産党が神仏の存在を否定し、宗教を人の精神を麻痺させるアヘンに喩えていることから、共産党は彼らが実は「邪教」であることをうまく隠すことができた。更に、中国共産党は精神と物質の両方から中国人をコントロールしているため、たとえ党員でなくても、共産党のすべての領域を支配する影響力から逃れることができなくなる。共産党の創設以来、行われてきたさまざまな犯罪行為を見れば、その邪教の本質がはっきりと分かる。

ここで再び宣言したいのは、若い頃加入した「少年先鋒隊隊員」、「紅衛兵」、「共産主義青年団」および「共産党」から脱退するということだ。共産党に対して立てたすべての宣誓が無効になることを宣言する!