四川省汶川県鴈門郷にある4千年前、羌(チャン)族の都であった「萝卜寨(大根村)」は世界最大で最古の黄土を建築材料とする少数民族集落だった。しかし、四川大地震でこの古い集落は廃墟になってしまったという。
「南方都市報」によると大根村は石造りの建物のない羌族の村で、密集する黄土建築物は鳳凰山にそって建てられ、入り組んだ路地はまるで迷路のようである。海抜1970mにあるため、「雲の上の街」と呼ばれる。
四川省考古研究院専門家は2005年3月、大根村が4千500年前には、すでに人類が生活しており、当時この鳳凰山にそって建てられたことから鳳凰村という名前を得たということを確定した。その後村は富順村、老虎村と次々と名が変わり、大根村となった。
四川大地震後、この村の建物はほとんどが廃墟となった。226戸の家屋は難を逃れることが出来ず、5千年近くの風雨を体験してきた黄土の壁は、倒れて地面の上でバラバラの黄土レンガとなってしまい廃墟に変わり果てた。
現在、大根村は廃墟に閉じ込められた村民と、救済のために徒歩で上がって来た解放軍と武装警察が残っているだけだという。羌族の村に入る柏油路15kmの間では地震当日に8割を超す建物が倒壊し自転車を含む小型車両さえも通行が出来ない状態である。村に入るための道路は途中で裂けているのではなく、上から落ちてきた6、70トンもの巨石で約1mの深さに陥没、多くの道路は崩れた山の斜面に埋もれているという。
1080人の村民のうち42人が地震により死亡。その中には7人の子どもと15人の老人が含まれている。この他85人が重軽傷を負っており、ここも汶川県で死亡数が最も多い村の一つとなっている。
幸運にも助かった村民は村に近いサクランボの林の中で、ビニールでできたテントを張り、緊急避難地として身を寄せているという。道路が寸断されているために食糧が被災者たちの難題となっている。先日、落下部隊が空から食品類を村に投下し、差し迫った事態はしのぐことができた。
大根村に今でも伝わる「晒富」は、干し肉をたくさんぶら下げ一族の豊かさを表現するというもので、1週間前は村民の台所に100kg、150kgほどの豚肉が掛けられているのはよく見られるものだった。有名な小吃の「洋芋滋粑」、「白豆花」、「酸菜攪団」などが多くの旅行客を引きつけていた。しかし地震後、村民たちは毎日、さらに多くの食糧が投下されることを望んでおり、しかも、分配の不公平が原因で殴り合いの喧嘩にまで発展しているという。
大根村には「女は水を背負い、男は家で子供を抱く」という伝統があり、酒を飲み、山歌を歌い、週に3日は家で即興の踊りを踊る。彼らはこのように生活してきた。しかし今はトウモロコシ畑の中や新しく積まれた墓の前で女性たちの葬歌が聞こえるだけである。
(翻訳・坂本)
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