【大紀元日本4月18日】津波による甚大な被害を受け、再開の長期化が懸念されていた宮城県仙台空港が13日朝、開港した。およそ1カ月前、大津波が運んだ瓦礫と泥で埋め尽くされた同空港だったが、早期再開に利用者や空港職員らは驚き、感激した。しかしこの実現に、自衛隊はじめ日本政府の立場を阻害しないよう復旧活動に尽力した米軍の「黒子」役については、あまり知られていない。
空港の復旧支援活動していた、海兵隊や在沖縄の空軍特殊部隊を含む約300人の米兵は、開港の当日、どこにも姿を見せなかった。既に彼らは横須賀や沖縄に戻っていたのだ。支援活動に参加したジョン・トラックスラー少佐は、「私たちの目的は、私たちがいたことに誰も気づかないようにすること」とニューヨーク・タイムスのインタビューに答えた。
米空軍の特殊部隊は本来、戦争などの戦闘地で、目的地に迅速に侵入して活動拠点を敷くという任務をもっている。これまでにイラク・アフガン戦争、ソマリア内戦、スマトラ沖地震などに参加し、瓦礫除去や物資輸送困難な状況での活動経験を豊富に積んでいた。「それでもこれほどの被害は戦場でも見たことがない」と、トラックスラー少佐は話した。
米軍はまず航空機が着陸できるように、滑走路を利用可能にした。ジャーナリストで元自衛官の惠隆之介氏によると、「震災の翌日、米軍司令部は東北全域の空中写真を偵察機から撮影し判断した結果、復旧支援活動の要は仙台空港の復旧作業を優先させることだと見なしたから」だという。
まず空輸で重機を運び、津波で流された5千台以上の車両を空港敷地内から移動させた。津波により管制塔が破損したので、米軍は滞在中、ラジオを背中に担いで米軍用機の誘導を行なったという。
空港に離着陸可能なスペースを設けた後、米軍司令部は、オーストラリア軍を含む復旧作業に関わる250機以上の航空機を利用して、200万トン以上の食料、水、毛布を被災地に運び、1万5千ガロンの石油と輸送車を運んだ。
ジェームス・ルビーノ海軍指揮官は被災地での活動について、ホスト国である日本政府と自衛隊に指導権があることに配慮し、確認していたという。「私たちは脇役であることを常に意識していた」と同紙の取材に答えている。ペンタゴンは、米軍部隊が駐留する日本への善意を育むことを目的とする今回の復旧作業を「トモダチ作戦」と名付けた。
米国は最近まで、財政難により次年度予算案が決定しないことから、議会閉鎖が危ぶまれるほどの財政難に陥っていた。在米日本大使館関係筋の話によると、「このままでは軍を除く在外公館が一斉閉鎖となる」と知らされるほどの状況だという。それにもかかわらず、米軍は日本の復旧支援に尽力した。
空港再開の喜びの声
表舞台に立つ自衛隊と、黒子の米軍の活躍により、空港は早期に開催された。入学式を待っていた大学新入生や、東京からの単身赴任で仙台から動けずにいた人々らが、空の便の回復に喜びの声を上げた。
福岡出身の木下さん(18)は、東北福祉大学に今年の春、入学した。25日に延期した入学式に参加するため、15日に大阪から仙台へ降り立った。空港再開について、「とても便利です、もし再開できなかったら、どうやって学校に行けるか分からなかった」と話した。また、避難のため地元兵庫県へ戻っていた、東北大学3年生の山田さん(21)は、「再開していなかったら、頑張って電車とバスを使って学校に戻るつもりだった。良かった」と述べた。
株式会社ウェザーニューズに勤める中神武志さんは、3月15日から仙台に入って、平日に被災地で仕事して、週末に千葉市の実家に戻る生活を繰り返している。仙台では、実況監視のための空港ライブカメラの設置や、被災地が局所的に気象観測ができる設備を置いているのだという。「空港再開までは、車で大体5時間かけて仙台へ向かっていた。道路は途中でこぼこしていて余震もあり危険を感じた。再開してとても便利だし、安全」と語った。
震災支援と政治性
東日本大震災の人命救助・復興支援活動「トモダチ作戦」には、1万8千人もの在日駐留米軍兵と原子力空母を含む約20隻の戦艦が加わった。米軍の日本への配慮について、「日本での米軍の微妙な立場を意味している。ホスト国の立場を阻害しないよう、かつ最大の救援活動を行った」と伝えた。また、「5万人を駐留させている日本に対して、良い関係を構築しようとした」と指摘した。
1万8千人の米軍が駐留する沖縄では、この震災支援活動について肯定的な意見は比較的少ない。沖縄タイムスは米軍飛行場移設問題と絡んだ「震災の政治利用」との声を取り上げ、米軍側に投げかける。この批判について、在沖縄米軍トップのグラック中将は、「支援活動に政治性はない」としながらも、普天間基地の重要性を強調した。
「ありがとうを言う必要はありません」
仙台空港の復旧支援に携わった、沖縄特殊部隊のトス大佐の現地活動報告書が、米軍公式サイトにて公開されている。それによると、米軍の活動終了まぎわの4月3日、仙台空港を離陸し、上空から空港を見たトス大佐は、「わずか19日前の荒廃ぶりを思えば、同じ空港だったとは思えないものになった」と、復旧活動の感想を述べた。
また「それよりもっと信じ難い光景」として、津波で倒された木の枝で作られた「ARIGATO」の文字が、浜辺に作られているを発見したことだったという。15日の電話記者会見でトス大佐は、「日本人が、苦境の中にいながらも、我々に感謝を表したことに感動した」と語った。
「正当な行うべきことを行ったなら、賞賛には値しない」という聖アウグスティヌスの言葉を引用し、現地活動報告書はこう締めくくられた。「日本の皆さんに伝えたい、ありがとうを言う必要はありません」
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。