福島第一原子力発電所が位置する双葉町。避難指示の解除は最も遅れ、一部の地域への立ち入りが可能となったのは2020年3月4日だった。隣接する大熊町では先立って解除されたが、いまだに完全な復興復旧には至っていない。大紀元の取材班は3月11日、大熊町と双葉町を訪れ、震災10年目の現状を取材した。
大熊町
大熊町ではいまも除染作業が続けられている。放射性物質で汚染された上層土を重機で重機で除去し、黒い大きな袋に詰め込む作業現場がいくつも見られた。記者は作業員に詳細を尋ねたが、「話してはいけないと言われている。詳しく知りたいなら上に聞いてほしい」とのことだった。
さらに車を走らせ、大熊小学校に着く。10年経った今もフェンスとカラーコーンで校門が封鎖されており立ち入りができない。校門近くのマンホールは液状化による影響なのか、周囲が陥没している。
町自体は立ち入りが可能となっているが、道路の両脇にある民家へと通じる道はほとんど封鎖されている。タイヤがパンクし、苔が生えた自動車も所どころ見られた。
双葉町
取材班は続けて双葉町へ向かった。途中で福島第一原子力発電所へと通じる道があったため、その足で向かった。
福島第一原子力発電所へと通じる道には検問所が設けられていた。車で近づくと作業員が車を止め、通行許可証を求めた。取材の許可は得られなかった。町の中心部へ向かった。
双葉町は去年避難指示が解除されたばかりで、水道や電気といった基礎インフラの工事中だ。現場の作業員に状況について聞くと、「道路のアスファルトが新しくなっているところは水道管だ。新しく敷設した。さすがに10年経つと使い物にならないよ」と教えてくれた。
町中には地震で歪んだ建物がいくつも見受けられた。住民の受け入れを開始するために、解体作業が進められている。
双葉駅の近くにある消防署。壁に掛かっている時計の指し示す時刻は、大地震発生直後の2時47分のままだ。
当日午後に行われた追悼式で、双葉町長は亡くなった方を弔うのみならず、復興へ歩みだしていることについても言及した。常磐線も全線が開通し、各種インフラの整備も進められている。一方、住民の多くは避難先に定住しており、復旧してもどの程度の住民が町に帰ってくるかは未知数。双葉町にとって、復興はまだ始まったばかりだ。
(王文亮)
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