新疆ウイグル自治区の「再教育キャンプ」を経験したウイグル人の4人が11日、台湾東トルキスタン協会が台北で開いた「真実を暴く:ウイグル法廷の裁判」フォーラムにオンラインで参加し、収容中に受けた拷問、強制不妊手術の証言をした。
解放された今も、その傷が癒えることはないという。
イギリス・ロンドンに本部を置く独立民衆法廷「ウイグル法廷」は9日、中国政府がウイグル人などに対して「ジェノサイド」を犯したと最終判決を下した。500人以上の証人と40人の専門家の証言に基づいて出された同判決は、法の効力は持たないが、公正で独立した正義の判決であると広く評価されている。
ミグレグル・トゥルスンさん(32歳)は、新疆ウイグル自治区の「再教育キャンプ」に11カ月間投獄された。現在、アメリカに亡命した彼女は今回、オンラインで自ら受けた迫害の真実を語った。
エジプトに住んでいたミグレグルさんは2015年、生まれて間もない三つ子の乳児を連れて新疆に帰省した際に、理由もなく「再教育キャンプ」に投獄された。彼女が乗った飛行機がウルムチ空港に到着したとき、空港で赤ちゃんと一緒に強制連行された。最も健康な男の子が当局の預かる期間中に死亡したという。
「彼ら(中国共産党)が私の3人の子どもたちに何をしたのか、いまだにわからないし、説明もしてくれなかった。私は3年の間に『再教育キャンプ』に3回、延べ11カ月収容された。その間、わずか3カ月の間に9人の女性の死を目撃した。そして3年の間に、我が子を1人失った」
ミグレグルさんによると、彼女が収容された部屋には50人が詰め込まれ、スペースが狭いため2時間ごとに交代して床に横たわっていた。毎日、正体不明の薬を飲まされたり、注射をされたりする人がいた。
名前を呼ばれて部屋から連れ出され消息を絶った人も多くいた。彼女自身は髪の毛を丸坊主にされたり、棒で激しく叩かれたり、電気ショックを受けて耳から出血するなどリンチを受けた。いまだに聴力が回復しておらず、外傷後ストレス障害(PTSD)を患い治療を受けているという。
ミグレグルさんは「いまだに、自分の罪が何なのか、なぜ逮捕されたのかわからない。出所するとき、看守から『あなたがウイグル人だから、それは唯一の罪だ』と言われた」と話し、そして泣き崩れた。
ミグレグルさんは3年前に紆余曲折を経てアメリカに渡ることができた。拷問が原因で子どもが産めない体になってしまい、生き残った2人の子どものうち、息子は排泄障害を患い、娘は目が失明したという。
「再教育キャンプ」の真実を証言した後、父親は謎の急死
ズムレット・ダウトさん(39歳)は2005年にパキスタン人の夫と結婚し、3人の子どもに恵まれ、家族5人で自治区の区都ウルムチ市に住んでいた。2018年3月、派出所への出頭を指示する一本の電話が彼女の人生を変えてしまった。
彼女は派出所に着くなり、携帯電話を取り上げられ、両手両足を金属製の椅子に縛り付けられて取り調べを受けた。警察は、夫のこと、結婚のこと、財産のことなどを繰り返し質問し、翌日、彼女は「再教育キャンプ」に送られ、62日間そこで過ごした。
ズムレットさんは「再教育キャンプ」の環境は劣悪で、非人間的な扱いを受けていたと語った。
「牢屋のドアを開けたとたん、臭い匂いが押し寄せてきた。シャワーは禁止されていた。私は収容された62日の間、一度もシャワーを浴びなかった。牢屋には監視カメラがあり、毎朝、薬を渡され看守が手を口に突っ込んで飲み込んだかどうかをチェックした。10日に一度採血を受けた」
採血は臓器狩りのためではないかと彼女は当時、強い不安を覚えたという。
17~70歳までの女性は全員、膣内検査を強要されていた。夫は毎日、在パキスタンの中国大使館に出向き、抗議を続けた結果、62日後にようやく彼女は釈放された。
出所のとき、彼女は警察からイスラム教を信仰しないこと、収容所で起きた事を口外しないよう命じられ、強制的に不妊手術をされた。
家族と一緒にアメリカに移住してから、度々メディアに登場し「再教育キャンプ」で経験したこと、目撃したことを話したため、中国当局は新疆にいる親族を脅した。父親は派出所で急死し、親戚や友人は彼女のSNSのアカウトを削除し交流を絶った。父親が亡くなった後、兄たちが彼女を嘘つき呼ばわりする動画を送ってきたが、ズムレットさんは、中国共産党に監視されて強要されてやったことに違いないと信じなかった。
「再教育キャンプ」の教師:一生、忘れられない人間地獄だった
ケルビヌール・シディクさんは、ほかの被害者に比べて境遇はそれほどひどくなかったが、それでも「再教育キャンプ」を「一生、忘れられない人間地獄だった」と表現した。
彼女は、2016年に中国語教師として「再教育キャンプ」に入れられた。当時、彼女は28年の実務経験を持っていた。
毎日のように凄惨な叫び声が建物中に響き渡り、地獄のような光景が目の前で繰り広げられていたという。
「このキャンプには7000~8000人がいて、そのほとんどが東トルキスタンやウイグルのエリートで、宗教学者や教授、海外留学を経験した専門家や学者、知識人だった。彼らは皆、手足に錠をかけられていて、中には教室に這うようにして入ってきた人もいた」
シディクさんの話では、所内では女性の性器に電気ショック棒を挿入したり、女性を集団でレイプしたりする看守がいて、そのことを平気で日常雑談の話題にしている。スタッフである彼女も、非人道的な扱いから逃れられなかった。
2017年に収容所で「無料の婦人科検診」が行われた際、48歳の彼女は避妊リングの装着を強要され、大量の出血を起こし、最終的には不妊手術を受けざるを得なくなったという。
「再教育キャンプ」から離れたのは2019年10月。オランダにいた彼女の娘が助けてくれた。「私は幸運にも逃げ出すことができたが、数え切れないほどの友人、同じ民族の人がまだそこにいる。現在も中国政府は収容所を閉鎖しておらず、ウイグル族をはじめとする他の民族の人々は収容所で苦しんでいる」と心情を吐露した。
食事の前に中国共産党に感謝
新疆のトルファンで生まれ、カザフスタンに移住したオメル・バケリさん(45歳)は、2017年にウルムチでビジネス会議に出席したとき目隠しされ逮捕された。
警察はオメルさんに、テロリストに資金提供・扇動したという罪を着せ、あらかじめ作成した供述書にサインすることを強要したが、彼は「署名したら一巻の終わりだ」と思い、固く拒否した。宙吊りにされて4昼夜の拷問を受けたという。
オメルさんによると、収容所では16~70歳までの人は足枷や手錠をかけられ、飢えている人が多く、食事を与えられても食べる前に愛国歌を歌い、習近平国家主席や中国共産党、祖国に感謝しなければならないという。
彼は5カ所の部屋を転々としたが、その間に人が消えたり、新しい人が加わったりしたが、自分が生き残れたのは供述書に署名しなかったからだと考えている。
国際社会が追及を強める中、中国政府は10月中旬、これまで存在を否定していたが、ウイグル人を収容する事実上の強制収容所である「再教育キャンプ」を社会復帰を促すための「職業訓練センター」と主張している。
国際人権デーである12月10日、米議会中国問題執行委員会(CECC)は声明を発表し、中国政府に対して、ウイグル人、キリスト教徒、法輪功学習者、人権弁護士などを含むすべての政治犯を無条件に釈放するよう求めた。
CECCは、中国の人権状況を毎年追跡し、米国大統領と議会に年次報告書を提出している。
(翻訳編集・叶子静)
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