証言が明かす弾圧の現実 法輪功学習者たちの声 東京で響く

2024/12/12 更新: 2024/12/12

12月10日、中国で厳しい弾圧の対象となる気功、法輪功の日本在住の学習者による証言集会が東京文京シビックセンターで開催された。出席者らは中国で家族が拘束されている現状や、自身が拘束中で受けた拷問の実態を訴えた。

臓器狩りの唯一の生存者・程佩明さん

証言集会では、中国から脱出し、現在アメリカ在住の法輪功学習者・程佩明さんがオンラインで参加した。程さんは収容中に、拷問を受け、臓器を摘出された実体験について語った。



中国の刑務所で肝臓と肺の一部を摘出され生還した男性が自らの体験を語る

ワシントン—中国(共産主義)で肝臓の一部を強制的に摘出された男性が、国外脱出後に名乗り出た。強制臓器摘出として知られる北京の営利目的の大量殺戮計画に注目が集まってい

程佩明さん(58)は2001年12月、法輪功迫害の実態を人々に伝えたことで、不当に8年の実刑を言い渡された。その後、2004年11月16日、程さんは大慶第四病院に移送され、麻酔薬を投与された後、肝臓のS2、S3セグメントと肺の左下葉を強制的に摘出された。この手術によって程さんの左胸には35センチの傷跡が残された。程さんは「大慶刑務所の全ての囚人が、私が移植手術を受けたことを知っている」と話した。

2020年に米国に亡命した後、程さんはCTスキャン3回、超音波検査3回、X線検査2回、MRI検査1回と、総計9回の医療画像検査を受けた。その結果、肝臓の一部と左肺の下部が欠損していることが確認された。この診断は複数の臓器移植の専門医によっても裏付けられている。

今でも、雨の日や疲れた時には左腕や肋骨に痛みを感じるという。程さんは「大慶刑務所の全ての囚人が、私が移植手術を受けたことを知っている」と話した。

2006年、程さんはハンガーストライキを始めた後、再び病院に送られ、手術を受けることになると告げられた。

当時、病室には2人の警察がいて、左右から程さんを見張っていた。程さんがトイレに行きたいと頼むと、1人の警察が眠り込んでおり、もう1人の警察が彼の足枷をベッドから外した。トイレから戻ったとき、2人の警察がどちらも眠っている。程さんは自分の足に枷がついていなかったことに気づき、その瞬間、彼は逃げることを決意した。これは非常に不思議な体験だった。

会社員・龔さん

龔さんの母・姚佳秀(ようかしゅう)さんは、信仰を放棄しなかったことで、2000年に3 年間の刑を宣告され、非人道的な扱いを受けた。拘束中に腹部に両膝で圧力をかけられ、鼻をつまられて窒息しそうな状態で、大量の塩分を含む糊状のようなものを無理やり飲ませられた。

法輪功に対する弾圧が始まって以来、姚さんは何度も逃亡生活を余儀なくされた。

その間で合計で12 年もの不当な禁錮刑を課され、電撃や吊(縄などで手首などを拘束され長時間吊るされる)、また38kgもの重い足かせを嵌められ、炎天下で3時間歩かされるなどの仕打ちを受けた。その際、右足は血まみれになり、その時の傷跡は現在も残っている。

さらに、刑務所に「精神病」を理由に強制的に精神病院に送られ、不明な薬物を注射された。この間、全身の力が抜け、頭を上げることもできなくなった。2008年には成都女子刑務所に移送され、何度も針で刺されるなどの暴行などを受けている。

龔さんは、自分の証言を通じて、母親の迫害が軽減されることを願うだけでなく、日本の人々や日本政府にも(中共による)法輪功への迫害にもっと関心を持ってほしいと話した。

会社員・張述慧さん

中国四川省出身の張述慧さんの叔母・鐘芳瓊(しょう ほうけい)さんは30 回以上も不当に家宅捜索され、洗脳施設や強制労働所、刑務所に入れられ、極めて残酷な迫害を受けた。鐘さんは最長で 11 年の不当な実刑判決を受けている。また、職も奪われ、家計は困窮し、2 年間、鐘さんの息子は学費も払えないほどだった。

2002 年 12 月 9 日のことだった。鐘さんは地元の公安に連行され、あるホテルの部屋に拘束された。部屋では5 日間、眠ることが許されず、目を閉じると暴行され、冷水をかけられた。飲食も許されず、数日後、意識が朦朧とした鐘さんは 4 階から転落し、数時間意識を失い、その後、下半身が麻痺状態となった。病院からは治療不可能と診断され、鐘さんは担架で家に運ばれた。

大怪我を負い、一旦警察にも見放された鐘さんは再び法輪功をはじめ、2 か月後には立てるようになり、3 か月後には歩けるようになった。姪の張さんは不幸中の幸いだと語っている。

会社員・傅さん

傅さんの母親は2001 年 1 月、北京へ陳情に行った。それを知った警察は、夜 7 時から翌日午前 1 時までの間に、13 回も家に来て(押しかけて嫌がらせを行い)、母親が身につけた服装について質問し、写真を 1枚持っていった。

その後、傅さんの母親は北京駅で捕まり、上海の強制労働所で 1 年間収容された。収容中は法輪功の修煉を諦める「懺悔書」を書かない限り、家族との面会は許されず、さらに毎日 14〜15 時間の過酷な労働を強いられたという。耐え切れなくなった母は「懺悔書」を書き、強制労働はされなくなり、月に一度家族との面会が許可された。その後、傅さんの母親は修煉をやめ、法輪功を誹謗中傷するような文章を毎週提出するよう強要された。釈放された後も嫌がらせや監視が続いている。

傅さんの母親は日本にいる娘に会おうとパスポートを申請したが、国安警察に「世界のどこに行っても法輪功を修煉しない」という誓約書を書かない限り発行を拒否すると伝えられた。そのため、現在もパスポートを持っていない。

 

姚四萍(よう・しへい)さん

姚四萍さんは北京の看護師だったが、弾圧後、不法に逮捕・拘束され、強制労働、公職追放などをされた。

2005年3月、姚さんの母親が法輪功の真実を語ったことで通報され、自宅が家宅捜索され拘束された。姚さんは放浪生活を余儀なくされ、その後、家の電話が盗聴され不法に拘留されるなどの迫害を受けた。2008年には北京オリンピックを控えた中国共産党による弾圧が強化され、姚さんは内モンゴルの女子強制労働収容所に拘束された。そこで精神的拷問や長時間労働を強いられ、健康を害した。

収容所から戻ると病院を解雇され、610弁公室による嫌がらせが続いた。2012年には家宅捜索で多くの私物が押収され、翌年には83歳の母親は心身にダメージを受け翌年亡くなった。2014年、警察が家を監視し強制的に侵入、姚さんは拘置所や秘密施設に拘束され、血液採取された。
 

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