【鴻門宴】
12月5日、南京工業大学で学生による大規模な抗議デモが発生した。
直接の原因は、封鎖期間中に大学内でコロナ陽性者がでたため、長期にわたり学内に閉じ込められていた学生が「郷里に帰省させろ」と要求したことによる。
学生の抗議は深夜まで続いた。大学側の幹部は「明日、改めて君たちの意見を聞く。今夜は解散しなさい」と言って、なんとか学生をなだめようとした。
その時、取り囲んだ学生から一斉に浴びせられた罵声が「鴻門宴!」である。司馬遷の『史記』にある名場面の一つ「鴻門之会(鴻門の会)」のことだが、これは一体どういうことなのか。
時は紀元前。秦王朝が倒れ、次の覇権を争ったのが楚の項羽(こうう)と漢の劉邦(りゅうほう)である。この「漢楚の戦い」の初期においては、圧倒的に項羽のほうが優勢であった。項羽は家柄もよく、英傑の相をもつ。一方の劉邦は、侠客あがりの低い身分であった。
ただ、後に勝利して漢王朝を開く劉邦は、人をつかう用兵に秀でていた。先に函谷関(かんこくかん)を突破して秦都である咸陽(かんよう)を落としてしまった劉邦に対し、項羽は「劉邦め。抜け駆けしたな」と大いに怒っていた。
両雄は、鴻門の地で会見する。項羽に釈明したものの、暗殺の危険を察知した劉邦は、夜の宴の最中、闇にまぎれて逃げ出すのである。
学生が、大学の幹部に発した「鴻門宴」は「逃げるのか!」であった。罵声も故事に習うところは、さすがに中国らしい。
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。