熊本の半導体産業の振興はなぜ成功したのか 明治から続く教育と蓄積

2023/10/31 更新: 2023/10/31

九州経済が好調だ。熊本県に半導体産業が集まり、半導体受託生産の世界最大手TSMC(台湾積体電路製造)が同県に工場を建設中だ。それをもたらしたさまざまな理由の中で、大学と産業の結びつき、その背景にある先を見据えた人への投資が、今の成果をもたらしたと思う。

森鴎外の提言、九州の富人を動かす

突然だが、話は明治時代に飛ぶ。

作家で軍医であった森鴎外(1862-1922)は、福岡の小倉に軍医として1899年から1902年まで赴任した。鴎外は「左遷」と嘆きながら、九州で歴史やフランス語を学び、のちの文学活動に役立てる。彼は福岡日日新聞へ1899年(明治32年)に、「我をして九州の富人たらしめば」という寄稿をした。

当時、石炭産業が九州で急成長し、「成金」だらけだった。鴎外は汽車で騒ぐなど彼らの不品行を指摘した後で、進むべき道を提案した。彼は九州の富人(金持ち)が、社会貢献という「利他」に加えて、自分を高めて社会を発展させることを自らの喜びとする「自利」の精神を養ってほしいと呼びかけた。そのためには、学問の振興と自分の修養、学校の建設だと主張した。

もともと社会貢献の意識が九州の人々には強かったのだろう。福岡では、この文章をきっかけの一つにして小中学校への寄付と建設ブームが起こり、炭鉱主の安川敬一郎は1909年、明治専門学校(現九州工業大)の開校を支援した。同校は今ではITを中心に、人材を供給している。

TSMCが工場建設で熊本を選ぶ

話は現代に戻る。

九州は景気が良い。日本銀行や経済産業局の示す地域経済判断で、九州は景気判断がここ数年常に「緩やかな回復基調」と評され、他地域に比べて状況は同等か上だ。これを引っ張るのが製造業、特に半導体産業、そしてアジアからの観光だ。

「シリコンアイランド」と呼ばれる九州には、日本の半導体企業の3分の1以上が集まっている。台湾のTSMCの製造子会社JASMが先端半導体工場を熊本県に建設中で、来年早期に完成予定だ。ここにはソニー、デンソーなど日本企業が出資している。ソニーとTSMCは、米アップルに半導体を供給しており、「企業間の関連性が進出を決めた」とTSMCは説明する。

TSMCは日本で二番目の工場建設の構想を持つ。そしてこの地にある日本のソニーなどの半導体企業の工場増設の計画もある。TSMCは中国との有事も念頭にあるのか、米国と日本という重要な関係国に工場を建設している。

日本政策投資銀行グループの調査によると、熊本県所在の半導体関連企業における原材料需要・購買規模 (全体)は22年に677億円。それがTSMCの工場で1420億円規模まで膨らむ見込みで、130億円は県内から調達されるという。

1980年代に日本企業の半導体のシェアは5割を超えて世界トップだったが、今は1割程度だ。台湾メーカーTSMCの誘致に喜ぶことは少し悲しいが、日本への投資が選ばれたことは当然歓迎すべきことだ。同社工場の存在は日本と九州の経済に貢献するだろう。デジタル化の一段の進展で、あらゆる製品に使われ「産業のコメ」と呼ばれる半導体の戦略物資としての重要性は高まる一方だ。

豊富な水と安い電力 半導体工場を集める

熊本県のゆるキャラ、くまもん(Getty Images)

それでは、熊本でなぜ半導体産業が集まったのか。振り返ると、熊本と九州は役立つ環境が整えられている。水と電力が豊富なのだ。これは半導体産業に欠かせない。前者は洗浄、後者は製造で必要だ。

熊本は阿蘇山系から流れる豊富できれいな地下水がある。そして九州の電力は安い。4つの原子炉が稼働している。福島の東京電力福島第一原発事故の後で規制が強化され、原子力の再稼働が遅れている。九州電力はその規制を満たす努力を行い、いち早く原発の運用を正常化した。

自由化された産業用電力で、九州電力は1kWの産業用電力(特別高圧)の電力料金を10−12円にとどめている。現時点 (23年10月)でのそれは関電で11―12円程度、東電で19円程度だ。九州電の電力料金は関東圏の6割程度になれば、製造業にとって九州は魅力的な立地場所となるだろう。

ある家電メーカーの幹部に今年夏に取材した。海外生産を日本に戻そうとしているが「東京電力管内では、電力料金が高く、それが長引きそうで、生産をなかなか戻せない。九州に工場がないことが残念だ」と語っていた。

熊本は関東、関西圏より土地が安い。しかも九州は東アジアに近い。全国一律の道路・空港網、港湾の整備は全国で無駄遣いと批判されている。しかし熊本の場合はアジアとの交流で、プラスに働いた。TSMCの進出に伴い、熊本県、周辺自治体は空港、道路、港湾の一段の整備を行う予定だ。

こうした環境によって熊本では、1970年代から半導体企業が工場を建設した。環境とこれまでの産業の蓄積が、2023年の今にTSMCの投資の理由になった企業間の「関係性」を作っている。

教育、人材が産業を支える

教育と人材が半導体産業、その他の製造業、産業を支えている。

九州の高等教育は、実学志向が強い。熊本大学などの11の国立・公立大学法人が連携する、「九州・沖縄オープンユニバーシティ(KOOU)」が23年度にできた。各大学、地域の特色を活かしつつ、「九州・沖縄でひとつの大学」というスローガンを掲げている。機材購入や研究、講義の共同化も進める。熊本大学は、「半導体の熊大」を打ち出し、東京大学、久留米工業専門学校とも研究、連携協定を結んでいる。地域の中学校、高校へのP Rも進めるそうだ。

九州の学術の中心になってきた九州大学は今年8月に半導体価値創造センターを設立、学際的な知識を持った技術者の育成を目指している。

蒲島郁夫熊本県知事は人気キャラ「くまモン」と一緒に出てくる人としての印象が強いが、異色の経歴の人だ。勉強をしない高校生だった後で、農協に就職。金を稼ぐために農業研修生として渡米し、そこで大学を卒業。その後、ハーバード大学で政治学博士号を学び、筑波大、東大の政治学の教授になった。

蒲島氏は自分の経験に照らして「教育は人の可能性を切り開く」と繰り返す。 またTSMCの進出でも、その支援と関連インフラの整備で「熊本の100年後の発展につなげる」 と目標を掲げて、トップ自ら関係者との調整を重ね、TSMCに熊本への新規投資のトップセールスをしている。 

鴎外の提言は100年の蓄積を経て今に生きている。

未来のために、今投資を

 産業は簡単には生み出されない。半導体産業熊本・九州の経済をよくしているのは、長い蓄積、教育などの過去の取り組みが今になって成果が出ているものだ。
 
日本企業は1990年代から、リストラ、経済規模縮小による目先の利益の確保に追われ、そうした積み重ねを放棄してしまったように思う。今になってそのツケが、現れてしまった。鴎外に答えた九州の富人たちから、大学や蒲島知事まで、次のための布石の集積が九州・熊本の今を作っている。

ジャーナリスト。経済・環境問題を中心に執筆活動を行う。時事通信社、経済誌副編集長、アゴラ研究所のGEPR(グローバル・エナジー・ポリシー・リサーチ)の運営などを経て、ジャーナリストとして活動。経済情報サイト「with ENERGY」を運営。著書に「京都議定書は実現できるのか」(平凡社)、「気分のエコでは救えない」(日刊工業新聞社)など。記者と雑誌経営の経験から、企業の広報・コンサルティング、講演活動も行う。
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