BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)の第16回首脳会議が閉幕した。この会議では、32ページにわたる宣言が発表され、人権、正義、自由、平等、アクセス、公平性、その他あらゆる政治委員会のために用意された、気まぐれな辞書に載っている、異論を挟む余地のない言葉で埋め尽くされた。
この宣言では、開放性から互恵性、持続可能性、気候変動管理、無差別に至るまで、見栄を張った流行の目標がすべてコミットされている。また、世界貿易機関(WTO)、世界保健機関(WHO)、国際通貨基金(IMF)、国連など、流行の国際機関への忠誠を誓っている。
しかし、同宣言には「ドル」という言葉は出て来てない。
しかし、この一言こそが、この宣言、サミット、BRICS組織、その他多くの同盟国の主要な理由なのである。目標は明確だ。近い将来、同グループは、アメリカやNATO諸国からの制裁や政治介入から自国を守るために、通貨と貿易の統合を始めようとしているのだ。
長期的には、米ドル決済以外の選択肢を持つ、多極化に支配された世界の創造がその目標である。要するに、BRICSは世界の準備通貨である米ドルとペトロダラー(オイルマネー)を失脚させ、そうすることで冷戦終結後に生まれた、アメリカが世界の舞台で支配的なプレーヤーであるという勢力関係を後退させる準備を進めている。
BRICSのメンバーは、ドルに代わる通貨として何を提案しているのだろうか? 彼らは明言していないが、オブザーバーによれば、代替となりそうなのは自国通貨、他の通貨バスケット、暗号通貨、そしておそらく金である。重要なのは代替通貨ではなく、ドルそのものをターゲットにしていることだ。これに関しては、BRICSの全加盟国が同意している。ドルは打倒されなければならない。
すぐに成功する見込みはないが、米ドルの覇権をめぐる雲行きは怪しくなっている。プーチン氏の対ウクライナ行動に対抗して、アメリカがロシアの海外保有ドル資産を凍結した後、その動きは非常に強まった。ここでの政策選択は、中立的な決済メカニズムとしてのドルの信頼性にとって極めて危険なものである。
世界の準備通貨であるドルは、純粋に経済的な機能を果たし、それ以外は政治的に中立であるはずだ。ほとんどの場合、それは真実であった。今回の措置で、アメリカはロシアだけでなく全世界に対して、ドル依存には政治的リスクが伴うことを表明した。不順守には資産の差し押さえもありうる。
この時点で、世界中の多くの国々が選択肢を固めようとした。
その結果はどうだろうか? IMFは次のような結論の報告書を発表した。「長期的な視点で見ると、過去20年間に米ドルの価値が大きく変わらなかった一方で世界の準備資産に占める米ドルの比率が低下したという事実は、中央銀行が確かに少しずつ米ドル離れしていることを示す」
IMFはドルが外国為替で使われている証拠を提示しているが、これは為替レートと金利を調整すれば明白になる。外国為替で使われる機会が減ったにもかかわらず、ドルの価値は上がっている。
米ドルは第二次世界大戦終結直前から世界の準備通貨となっている。1944年のブレトンウッズ協定(連合国国際通貨金融会議において調印されたIMF協定)は、戦後世界の通貨制度を成文化した。
当時の経済学者たちの懸念は、理にかなった19世紀の理論に基づいていた。強く支配的な通貨は輸出を高く、輸入を安くし、やがて他国からの利己的な行動を招き、支配的なホスト国、すなわちアメリカの生産部門を枯渇させる可能性があるというものだった。
当時、この懸念はほとんど差し迫ったものではなかった。さらに、この制度は世界的なドル本位制ではなく、ドルと金の価格を1オンス=35ドルに固定した金為替本位制を採用しているため、その懸念は緩和された。各国は金で決済するため、各国の国内価格は金の流入と流出で調整されることになる。これにより、どの国も永久に有利にも不利にもならない貿易収支が実現する。
理屈上では良いことだが、途中には警告もあった。アメリカからの資金流出が高水準になれば、アメリカは自国内でデフレによる価格圧力に直面することになるという批評家もいた。そうなれば貿易収支の問題は解決するかもしれないが、政府の資金調達や一般的な収益性には別の問題が生じるだろう。この見解は、その10年前の世界大恐慌時の経験に由来する。 第32代アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトは1933年、増大する債務超過に対処する方法として、すでにドル切り下げを行っていた。
他のアイデアがなかったため、いわゆるブレトンウッズ体制が採用され、どの国の国民も紙幣を金と交換できなかったにもかかわらず金本位制と呼ばれるようになった。わずか2世代前までは、品質が保証されていた国内兌換制度は完全に消滅した。今や、最終的な決済方法として金を出荷するのは、国家、つまり政府とその中央銀行だけとなった。長い間、工業用と宝飾用以外の金の所有は違法だった。
アメリカが1960年代に極端な政府支出を採用し、福祉と戦争の両方に資金を注ぎ込み、それを可能にするための財源を必要としたとき、このシステムは崩壊し始めた。一方、金の流出は絶えず増加し、まさに予測通りであった。 1971年、リチャード・ニクソン大統領はこの制度を廃止し、金の窓を閉めた。ニクソン大統領の行動により、アメリカは純粋なペーパースタンダードを採用せざるを得なくなり、その過程でインフレに対するすべての保護が打ち切られた。
ついに連邦準備制度理事会の裁量が、金融と財政の浪費に対する唯一の歯止めとなり、インフレの加速化が始まった。それから10年も経たないうちに、アメリカはひどいインフレに直面し、それ以来、危機から危機へと転々としている。一方、アメリカは全世界に流動性を提供する任務を負い、貿易の流れを決済する必要性は国際取引の方程式から完全に削除された。
次に何が起こったかは極めて明白であり、その原因も明白である。米ドルは世界の中央銀行の準備資産となり、それらの銀行はアメリカの資産を担保に国内の製造業に資金を供給するようになった。世界の他の地域が工業化する一方で、アメリカの産業は次々と疲弊していった。アメリカは、その産業基盤がことごとく打撃を受けながらも、容赦ないインフレと景気循環を経験した。
これは、海外でのドル支配と国内での無謀な紙幣膨張の結果である。過去4年間、パンデミック期に通貨が膨張して物価が上昇したため、ドルは少なくとも20%、おそらくそれ以上、40%以上の価値を失った。
1913年に連邦準備制度が設立された当時のドルの価値と比較すると、状況はさらに厳しくなる。当時のドルの購買力は3.1セントまで低下している。
(データ:連邦準備制度理事会経済データ(FRED)、セントルイス連銀;図表:Jeffrey A. Tucker)
「何を考えているのか(ペニー・フォー・ユア・ソーツ)」という表現がなぜかつて意味があったのか、おわかりいただけただろうか。1913年当時、1ペニー(1セント硬貨)は現在の30セントに相当する。かつてはファイブ・アンド・ダイム・ショップ(5セントや10セントで物が買える店)で何でも売っていた。今ではペニー(1セント)やニッケル(5セント)はほとんど捨てられている。ダラーストア(1ドルストア)は事実上のダラーフィフティストア(1.5ドルストア)になっている。誰もがそれを知っている。
他の国際通貨との相対的なドルの価値は、まったく別の問題である。ここではドルはまだ支配的な通貨である。ドルの地位は多少低下したが、その地位を脅かすほどではない。今日、選挙に出馬するすべての人、そしてアメリカ金融帝国のすべての経営者は、製造業基盤の再建を公約に掲げながらも、ドルを世界の準備通貨として維持すると誓っている。この2つの目標は緊張関係にある。
最後に異端的な考えを述べよう。最後まで聞いてほしい。アメリカは世界の準備通貨としてのドルを守るのをやめ、国内の価値貯蔵としてのドルを守るべきだ。そうすれば、アメリカ人を第一に考え、世界の他の国々には流動性の源泉を自分で見つけるよう求めることになる。それがドルを使うことなら構わないし、それ以外のことでも構わない。アメリカはどちらでも構わないはずだ。
世界通貨としての義務がなくなれば、アメリカの製造業や輸出産業に大きなメリットがもたらされるだろう。わが国の輸出は再び競争力を取り戻し、海外に拠点を置くメーカーは、これまで回避できていた不利な立場に置かれることになるだろう。たしかに、健全な金融政策をとれば、アメリカはデフレ圧力に直面するだろうが、これまで耐えてきたことを考えれば、購買力の上昇は歓迎されるだろう。
この時点では、単純な経済論理の問題だ。アメリカは、競争力のある製造業の基盤を再構築すると同時に、国際舞台であらゆる相手に対してドルを守り続けることはできない。
それにBRICS諸国は喜ぶだろうか? 私にはわからないし、誰も気にする必要はないと思う。アメリカ人のために健全な通貨を確立する時が来たのだ。多くの他国を無傷のまま、さらには貿易上の優位性を保ったままにしておきながら、アメリカ国民をこれほど苦しめたインフレの後では、私たちはそれくらいのことをしてもいいはずだ。
この時点で、アメリカには選択肢がある。世界のマネープリンターであり続けるか、アメリカの中産階級の生活水準を守るか。後者がベターな選択である。
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