安倍元首相暗殺から始まった「人民裁判」 旧統一教会バッシングの異常性と日本の危機

2025/08/14 更新: 2025/08/14

2022年7月8日、日本中を震撼させた安倍晋三元首相の暗殺事件。この悲劇は、なぜ特定の宗教団体、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)への大規模なバッシングへと発展したのか。

8月11日、日本のキリスト者たちが東京・御茶ノ水に集い「信教の自由を脅かす解散命令〜旧統一教会信者強制改宗の闇を暴く」と題した集会で語り合った。

政治評論家の西岡力氏と論説委員の中川晴久氏による対談は、事件後のメディア報道の異常性、政府の不可解な方針転換、そしてその根底にある日本の「法の支配」と「信教の自由」の危機を鋭く浮き彫りにした。

発端 テロリストの動機が「正義」にすり替わった日

事件発生後、メディアは一斉に、容疑者の母親が統一教会の信者であり、多額の献金によって家庭が崩壊したことが動機であると報じた。しかし、西岡氏はこの流れに強い警鐘を鳴らした。

「テロリストが統一教会を恨んでいたというリークがあっただけだ。オーストラリアでは、テロリストに名前を与えたら駄目だと言われている。テロというものは、政治的目的で行う暴力行為であり、その目的を果たさせてはならない」

本来であれば、テロリストの動機を検証し、それに正当性を与えるかのような報道は厳に慎むべきだ。高村正彦・元自民党副総裁も当時、「この事件で統一教会が取り上げられることは、テロをやった人の思うつぼであり、正しいと思えない」と発言したが、その声はメディアの度重なる報道の中で瞬く間にかき消された。

なぜ、テロリストの動機が、教会を断罪する「正義」へとすり替わってしまったのか。西岡氏は、その背景に「安倍さんの功績を認めたくなかったマスコミ、そして一部の政治勢力がいたのではないか」と推測。何もなければ安倍氏の国葬が行われ、その偉大な功績が再評価される。それを阻止するために、メディアは統一教会との関係性をクローズアップし、「安倍叩き」の新たな材料として利用したという構図だ。

法の支配を揺るがす「一晩での解釈変更」

メディアによって作られた「教会は悪」という空気は、ついに政府の方針をも捻じ曲げた。2022年10月19日、岸田文雄首相(当時)は国会で、なぜか宗教法人の解散命令請求の要件となる「不法行為」に、従来の「刑法上の犯罪行為」だけでなく「民法上の不法行為」も含まれると、それまでの政府見解を一晩で覆した。

この方針転換の異常性は、そのプロセスにあった。わずか5日前の10月14日、岸田政権は「(現行法では)解散命令請求はできない」という趣旨の閣議決定を行っていたにもかかわらず、この矛盾した決定について、政府は「担当者間で協議した」と説明するのみで、その議事録は存在しない。

西岡氏は「民主主義は手続きによって正当性が担保される。議事録もなしに、時の政権の都合で法の解釈が変えられてしまう。これは法治国家の根幹を揺るがす、本当に怖いことだ」と断じた。一度レールを引けば、官僚はそれに沿って動く。こうして、本来であれば法的根拠の薄い解散命令請求へと突き進んでいった。

数字と乖離した「世論」という名の空気

では、政府を動かしたとされる「世論」の実態はどうだったのだろうか。もともとは「アンチ統一教会」の立場だったという中川氏は、ある数字に衝撃を受けたと語る。

「安倍さんが亡くなった2022年、消費者庁に寄せられた統一教会に関する相談件数は、全体のわずか0.0032%だった。1kmの長さを100%とすれば、わずか3.2cmです。その僅かな部分に対し、100%の力で攻撃が加えられていた」

事件直前の2022年7月号の弁護士向け会報誌でも、旧統一教会による『霊感商法被害の根絶』と『被害者の救済』を目的として結成された全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)の山口広弁護士が「統一教会の問題は少なくなった」と記述していた。

旧統一教会は2009年から「コンプライアンス遵守」に取り組んでおり、被害は減少していた。事件さえなければ、問題は沈静化していた可能性が高い。

この事実と報道の熱量との巨大な乖離。これを生み出したのが、メディアが作り上げた「世論」という名の「空気」だった。西岡氏はこれを、かつての慰安婦問題報道になぞらえ、「人民裁判だ」と喝破した。一度「悪」のレッテルが貼られれば、事実は検証されず、異論を唱える者は「人非人」と罵られる。西岡氏はその空気が、政府や司法、さらには宗教界全体を飲み込んでいったと分析した。

「対岸の火事」ではない―信教の自由の危機

この一連の動きは、単一の宗教団体の問題に留まらない。文部科学大臣の諮問機関・宗教法人審議会では、プロテスタントやカトリックの委員も含め、全会一致で解散命令請求を「是」とした。西岡氏は、キリスト教徒の立場からこう語った。

「日本の中のクリスチャンは少数派だ。突然社会の雰囲気が変わったら、基準が変わってしまう。日本の信教の自由というのは、こんなに危ういものなのかと、本当に恐怖を覚えた」

政治的圧力があったとの報道もあるが、特定の宗教団体が「世論」によって断罪される前例が作られれば、それはいつ他の少数派に向けられるか分からない。これは、日本の民主主義の根幹である「信教の自由」が、いかに脆い土台の上にあるかを物語っている。

安倍元首相の暗殺という悲劇は、テロリストの歪んだ動機をメディアが拡散し、それに乗じた政治的思惑によって、日本の「法の支配」と「信教の自由」を脅かす深刻な事態へと発展した。感情的な「空気」に流されることなく、事実と法に基づいた冷静な視点でこの問題を見つめ直すことが、今、私たち一人ひとりに問われている。

大道修
社会からライフ記事まで幅広く扱っています。
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