イタリアが生産性の高い農地への太陽光パネル設置を禁止する決定を下したことに、多くのメディアが称賛を送る一方で、「太陽光パネルは再生型農業を支援できるのではないか」との疑問もくすぶっている。実際、地上設置型パネルの下で羊を放牧するシステムも存在している。
だが、太陽光パネルは万能薬ではなく、現在の代替エネルギーの形態で何かを「解決」したとは到底言えない。
私はテキサス州中部に住んでおり、この地域の農村郡部は規制がほとんどない。率直に言えば、それがここへ移住した理由のひとつでもある。しかし、独立精神が根付いたこの地でも、静かな侵食が進行している。動物との共生もなく、多様な農業システムへの統合もされないまま、太陽光発電所が良質な農地に次々と建設され、食料生産が完全に追いやられている。これは前進ではなく、進歩を装った後退だ。
私の活動を追ってきた人なら、地域の食料システムは国家安全保障の問題だと考えていることを知っているはずだ。本来、農地は橋や道路、送電線と同じく重要なインフラとして扱うべきである。それにもかかわらず、最良の土地が金属とガラスで覆われ、ヒートアイランドを生み、野生生物を追いやり、地域社会の食を支えることなく失われているのが現状だ。
さらに問題は深刻だ。パネル自体は受動的に見えるかもしれないが、その設置過程は全く逆だ。建設中の粉じんを抑えるため、事業者は化学的な防塵剤を散布するが、その多くは守るべき土地や水を汚染している。実際、一般的に使用される防塵剤には塩化マグネシウムや塩化カルシウムを含むものがあり、これらは周辺の池に浸透して塩分濃度を高め、魚や植物、家畜にとって有毒な水質を引き起こす。
しかし、環境的・倫理的な問題は土地利用にとどまらない。太陽光パネルの製造には重大な代償が伴う。コンゴ民主共和国のコバルト鉱山での児童労働、破壊的なリチウム採掘、希土類鉱物精製による有害廃棄物はいずれも深刻な課題だ。パネルの組み立ての多くは中国で行われ、劣悪かつ搾取的な労働環境の下で生産されており、一部の省では強制労働の懸念も根強く残っている。
いわゆる「グリーンエネルギー」運動を支えるサプライチェーンは、人間の苦痛と生態系破壊によって彩られている。進歩の名の下に、その負担を外部に押し付けることは、本当に倫理的で、持続可能と言えるのか。
中国で強制労働と最も関連付けられているのは、法輪功学習者と、新疆ウイグル自治区を中心に暮らすイスラム系少数民族ウイグル人だ。これらの集団や他の少数民族は、「再教育」の名目で大規模な収容所に拘束され、国家運営の労働プログラムへ移送されてきた。多くは太陽光パネルの主要素材であるポリシリコンの生産を含む、世界的な太陽光発電のサプライチェーンに直結する工場での労働を強いられている。こうした製品はアメリカを含む国際市場に流通している。
同時に、中国では農村出身の出稼ぎ労働者や受刑者までもが強制的な労働に従事させられており、劣悪な労働環境、賃金の未払い、透明性の欠如が問題となっている。
問うべき時が来ている。児童労働や強制労働に依存する「クリーンエネルギー」は、本当にクリーンと言えるのか。
私が知る牧場主の中には、ため池(テキサスでは「タンク」と呼ばれる)からもはや牛に水を飲ませられない者がいる。その水源が汚染されてしまったからだ。夢の自宅を田舎に建てた家族が、今や太陽光パネルと化学薬品の飛散に囲まれて暮らしている。これのどこが「グリーン」なのか。
これは一部の地域だけの問題ではない。全米各地から、家畜の中毒、生態系の破壊、干上がった小川、失われた生計といった同様の報告が相次いでいる。皮肉なことに、このいわゆるグリーン革命は、生命を維持するために不可欠な土地と水を破壊しているのだ。
これが本当に環境保護の進歩の姿なのだろうか? これが本当に私たちができる最善のことなのだろうか?
太陽光パネルには寿命があるが、多様な生態系に寿命はない。風力タービンはやがて摩耗するが、健全で強靭な土壌は、人が適切に管理すれば年々豊かになる。気候変動、土地劣化、食料不安の解決策は、より多くのパネルではなく、より多くの植物、より多くの動物、より多くの生命だ。
仕組みはこうだ。植物は大気中から炭素を吸収し、炭水化物に変えて土壌の微生物群集を養う。動物は尿や糞、唾液を通じて微生物の生命を支える。動物を日々移動させることで、自然界の捕食圧(ある生物群に対して、捕食者が捕食することによって及ぼす作用のこと)を模倣し、草原を再生させ、表土を再構築し、水循環を回復させる。これは理論ではない。古来の知恵であり、現代の生態学が裏付けている事実だ。
しかし、再生農業が太陽光や風力発電のように億万長者を生み出すことは決してない。なぜなら、それは中央集権的な利益追求を目的としていないからだ。再生農業は地域密着型で、ゆっくりとしたペースで、人間関係に根ざしたものだ。人間が自然を出し抜こうとするのではなく、自然の中に存在し、つながり、自然の力に謙虚になることを求める。
現在の形の「グリーンエネルギー」は、破滅的な結果を招く詐欺に等しい。人間であること自体を罪とみなし、その贖罪という幻を売り込む。しかし真実はこうだ。問題は人間であることではなく、自然界における自らの位置を忘れることにある。
気候や土地利用について真剣に語り、本当のレジリエンス(回復力)を求めるのであれば、幻想への補助金をやめ、現実への投資を始めるべきだ。ソーラーファームは私たちを養わない。養うのは再生型農場だ。
進歩の名の下にため池や家畜を汚染する行為は、美徳の証ではなく、盲目の証である。

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