検閲か 市場原理か ジミー・キンメル番組打ち切り騒動

2025/09/28 更新: 2025/09/28

突然、「検閲だ」という声が巻き起こっている。深夜番組の司会者が、視聴者やスポンサーの反発を受けて番組を打ち切られたからだ。司会者の名はジミー・キンメル。いま、同僚たちが彼のために必死に訴えている。ここで、その経緯を振り返ってみるのがよいだろう。

2023年、フォックス・ニュースはタッカー・カールソン氏を解雇した。彼は長年にわたり絶大な人気を誇る番組を持っていたが、製薬業界からロシア・ウクライナ問題、中東情勢に至るまで、局の方針から外れる発言を繰り返していた。多くの人が「検閲ではないか」と推測した。しかしカールソン氏自身は「検閲された」とは一度も言っていない。彼は新たに自分のチャンネルと番組を立ち上げ、どちらも大きな成功を収めた。

これまで何度も、カールソン氏が自身の解雇について語るのを耳にした。多くはインタビューでの質問に答える形だ。彼がその話題に触れるとき、いつも穏やかで、決して苦々しさを見せない。長く自分を起用してくれた放送局に感謝を述べ、かつての同僚や上司に温かさを示す。そして「会社には必要に応じて人材を増やしたり減らしたりする権利がある」と語った。

彼は内心、怒りを覚えていたかもしれない。確かにそうだったし、今も感じている。しかし、少なくとも彼は検閲されたとは言わなかった。これが紳士の振る舞いというものだ。

私にはいつも不思議に思える。自分を必要としていない会社で、なぜ働きたいと思うのだろうか。解雇されるということは、その会社が「あなたがいない方が会社にとって良い」と判断したということだ。

それだけで誰にとっても理解できるはずだ。招かれていない食事会に押しかける人はいないはずだ。同じように、普通の人間なら自分を望んでいない会社に働かせろとは言わない。これは単なる常識だ。

成熟した人なら理解している。労働契約は相互の合意で成り立つものだ。一方が手を引けば、それで終わりだ。それ以上議論する余地はない。

だがしかし、長年にわたり反トランプや党派的な内容を続けてきた深夜番組のコメディアンたちは違った。彼らの番組は次々と打ち切られ、視聴者は減り続けている。市場はすでに答えを出しているのだ。

さらに、放送局やネットワークは市場のボイコットを招くことを強く警戒している。例えば、ビールブランド「バドライト」が売上不振に陥り、小売大手ターゲットの株価が下落し、レストランチェーン「クラッカーバレル」の経営陣が批判にさらされた。

Bud Lightはトランスジェンダーのインフルエンサー起用、Targetはプライド月間商品などジェンダー多様性推進、Cracker Barrelは伝統的ロゴ変更が「woke迎合」と批判されて不買運動になっている。

深夜番組の司会者たちは皆、綱渡りの状況だ。番組内容を変えるべきか、それとも減り続ける視聴者にこれまでと同じものを与え続けるべきか、判断に迷っていたのだ。そこにチャーリー・カーク殺害事件が重なり、事態は一線を越えてしまった。大学キャンパスで保守派の重要な論者を失ったことを国全体が悼むなか、彼らは反射的に軽薄な態度に戻ってしまった。

キンメル氏は全世界に向けて、犯人がMAGAに近い人物だと推測し、トランプ自身が友人であるカークの死を悼んでいるという見方を退けた。

これには放送局やネットワークも堪えきれなかった。スティーブン・コルベア氏のように将来的に打ち切られるのではなく、キンメル氏の番組は即座に終了させられたのだ。

さらに米連邦通信委員会(FCC)のブレンダン・カー委員長も、キンメル氏の発言に強い怒りを示した。FCCによる介入は「言論の自由への攻撃だ」と批判され、新しい言説が広まった。「右派も数年前の左派と同じように検閲をしている」というものだ。

だが、こうした抗議を真剣に受け止めるのは難しい。ニューヨーク・タイムズのデイビッド・フレンチ氏は警鐘を鳴らす。

「アメリカで台頭している言論の自由への脅威の深刻さは計り知れない。…トランプ政権はカークの死を口実に、政治的・文化的な敵対者に対する徹底的な弾圧をちらつかせている」と。

興味深いのは、同じフレンチ氏が4年前、タイム誌で、ビッグテック企業がSNSアプリ「パーラー」を閉鎖し、トランプ氏をツイッターから追放したことを称賛していたことだ。

同氏は「政府ができなかったとき、テクノロジー企業は共和国を守るために効果的に行動した。怒りではなく感謝を示すべきだ」と書いた。

つまりこれは、原則を装った単なる党派的態度だ。

私たちは、ソーシャルメディアと主要ネットワークテレビとの違いを明確に理解しなければならない。公共放送の商業ライセンスは四大ネットワーク(ABC、NBC、CBS、Fox)に無償で与えられており、その価値は数千億ドルにのぼる。これは巨大な公共補助金に等しい。

その見返りとして、FCCは長らくルールを設けてきた。
「FCCは、犯罪や災害に関して虚偽の情報を、虚偽だと知りながら放送し、それによって重大な『公共の害』を引き起こすことを禁止する」

さらに、「放送局が意図的にニュースを歪曲することは違法」とも規定されている。

こうした規則はケーブルテレビやインターネットには適用されない。したがって、キンメル氏についてカー氏が述べたことは、不当な威圧ではなく、それは単に、1世紀にわたって何らかの形で施行されてきた既存の法律を改めて認識させたに過ぎない。さらに、カー氏の発言は、放送局やネットワーク事業者が本来行うべき行動に必要な後ろ盾を与えたのだ。

もちろん、カー氏が何も言わずに番組を自然に消えていくに任せていた方が良かったかもしれない。そうすれば「右派も左派と同じように検閲をしている」という非難を避けられただろう。とはいえ、法律を文字通り適用したいという誘惑はごく自然なことだ。実際、キンメル氏は「犯罪について虚偽の情報」を放送したように見えたのだから。

私は公共放送の全面的な民営化を主張してきた。そうすれば曖昧さ、やややこしさが取り除かれ、完全に民間製作者が責任を持つことになる。だが、私の提案が誰かの議題に上っているとは思えない。私が言いたいのは、この件を「トランプ流の検閲」の例として挙げることはできないということだ。

では、カーク氏の死を祝ったことで解雇された大学職員や民間企業の従業員についてはどうか。これは、従来右派が批判してきた「キャンセル」の一種であり、いま同じ右派が実践しているということなのか。その証拠は見当たらない。

残念ながら、大学や企業には、経営陣が長年辞めさせたいが、法的リスクを考えると手を出せない職員が少なくない。アメリカの企業社会では、「自分を解雇すれば訴える」と脅す形で雇用を守ってきた従業員が多くいるのは周知の事実だ。だが、彼らの行き過ぎた発言や行動は、むしろ会社にとって格好の口実になった。つまり、会社の利益より政治活動を優先するような社員を整理する正当な理由を与えたのだ。

また、パム・ボンディ司法長官が「言論の自由とヘイトスピーチは違う」と発言した件は大きな誤りとして保守派論客から当然の批判を浴びた。彼女はその後、この発言を撤回している。

言論の自由への脅威を軽視したり、過去5年間にメディアやテクノロジー業界を支配したような検閲に言い訳を与えたりしてはならない。同じ手法で報復するのであれば、それは批判されてしかるべきだ。

とはいえ、トランプ氏による「言論の自由への攻撃」だとする大げさな抗議を正当化する証拠は、いまだに見当たらない。実際に起きているのは、むしろ過去の政権下で抑え込まれていた市場原理が再び働き始めているという現実だ。

過去5年間の検閲は、政府機関が民間所有のテックプラットフォーム上でバックドア的手法を使ってコンテンツを操作するものだった。その一部は現在も続いており、過去のアルゴリズムが依然として機能している。トランプ政権下で同様のことが行われている証拠は一切出ておらず、同政権は言論の自由に完全にコミットしている。確かに、絶え間ない警戒は常に必要だが、読者や視聴者がますます求める検閲と基準の違いについて、正確かつ明確に理解することも重要である。

「ウォーク・イデオロギー」や「トランプ嫌悪症候群」の退屈極まりない見せ物に公衆がうんざりしたせいで職や番組を失ったと激怒している全ての人々への私のアドバイスは次の通りだ。

メディア職を解雇されたなら、カールソン氏のように振る舞え。男らしく、困難を受け止め、新たな形で自らを再構築せよ。自由な国では、組織が雇用と解雇を行う権利があるのと同様に、あなたにも仕事を選び、望む時に辞める権利がある。労働契約は双方向のものである。

 

[1] 米コメディアンのスティーヴン・コルベア氏の「レイトショー」は2025年7月に打ち切り決定が発表され、即時終了ではなく2026年5月に最終回を迎える予定となった

ブラウンストーン・インスティテュートの創設者。著書に「右翼の集団主義」(Right-Wing Collectivism: The Other Threat to Liberty)がある。
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