論評
11月3日火曜日の米国中間選挙で何が起ころうとも、富裕税への支持は高まり続けている。その正当化の根拠は、超富裕層は我々全員に対して何らかの借りがあり、彼らの財産への課税はその借りの取り立てであるという考えに基づいている。彼らの成功が不平等を助長しており、社会のためにもっと貢献したいと公言しないのであれば、それほどの富を抱え込むのは利己的であると我々は聞かされている。
フランス出身で元国際通貨基金(IMF)チーフエコノミストのオリヴィエ・ブランシャールは最近、この言説を明確に代弁した。彼はXへの投稿で、カリフォルニア州の最富裕層がなぜ、億万長者の純資産に対する1回限りの5%の課税とされる「提案40号(Proposition 40)」を否決するために巨額の資金を投じているのかと疑問を呈した。ブランシャールはさらに、億万長者たちは「最終的に世界をより良くするために富を築いていると公言することは通常ない」と付け加えた。
この考え方そのものが、富がいかにして築かれるかを誤解している。市場経済において、人々は先に莫大な富を築き、後から善行によってそれを償うわけではない。彼らはまず世界をより良くすることによって、富を築くのである。
私が800ドルのスマートフォンを買うのは、そのお金で買えたであろう他の何よりも、その電話に価値を見出しているからだ。一方、売り手はその電話よりも私の800ドルに価値を見出している。我々は双方とも、独自の尺度においてより豊かになってその場を立ち去る。どちらも相手にそれ以上の借りはない。
このような取引が数億回繰り返されることで、我々が当たり前のように享受する素晴らしい技術を、安価で大量に生み出した人々の手元には莫大な富が築かれる。だがさらに重要なのは、消費者がその富の源泉となるお金をすべて自発的に支払っているという事実である。
同僚のアーノルド・クリングが週末に的確に指摘したように、「利益とは社会全体にとってのプラスサムゲームの中で生み出されるものだ。利益があるからこそ、企業は消費者に奉仕し、イノベーションを起こす」のである。富裕税を推進する動きは、これと「正反対の視点」に基づいている。「彼らは、我々がイノベーションや効率性を当たり前に享受できると錯覚し、利益を『企業が社会から奪い取るもの』と見なしている。(中略)つまり、誰かの利益が必然的に別の誰かの損失になるような、ゼロサム環境に我々が生きていると思い込んでいるのだ」
そして、その利益は人々が考えるよりもはるかに公平に分配されている。ノーベル賞受賞者でありイェール大学の経済学者であるウィリアム・ノードハウスの推計によると、1948年から2001年の間に米国のビジネス部門のイノベーターたちが生み出した社会的余剰のうち、彼ら自身が個人的に獲得したのは平均してたった2.2%に過ぎない。残りの97.8%は、価格の低下、賃金の上昇、より良い製品や商品、そして以前は存在しなかったサービスの形で、他のすべての人の手に渡ったのである。
要するに、世界はすでに、幾度となく対価を受け取っているのだ。
億万長者におとなしく税を納めるよう迫る人々は、「税金を吸い上げた政府が『世界をより良くする』ためにその資金をうまく使ってくれる」と安易に思い込んでいる点でも間違っている。国家がうまく資金を活用できるという事実を証明すべきなのは、彼ら(増税推進派)の方である。カリフォルニア州政府は、すでに年間およそ3500億ドルもの支出をしている。これほどの巨額の予算で達成できなかったことが、追加の数十億ドルでどうやって達成できるというのだろうか。
ジャーナリストであり風刺作家のP・J・オロークがかつて言ったように、「政府に金と権力を与えるのは、10代の少年にウイスキーと車の鍵を与えるようなもの」である。おそらくカリフォルニアの億万長者たちは、州が約350億ドルと見積もり、監査官が480億ドル近くかかると指摘するマーセド〜ベーカーズフィールド間の鉄道路線に資金を提供することに乗り気ではないのだろう。あるいは、プライベート・エクイティに頼らなければ想定の6.8%のリターンを達成できない可能性が高いと職員自身が認めているCalPERS(カリフォルニア州公務員退職年金基金)のような年金基金の穴埋めをすることに躊躇しているのかもしれない。
提案40号の税収は医療向けに指定されているが、お金には代替性がある。結局のところ、カリフォルニア州の予算という財布は一つなのだ。特定の目的のために1ドルが割り当てられれば、その分だけ、別の用途に回せる1ドルが浮くことになる。一部の億万長者たちは単に、自分たちの慈善活動は別の分野でこそ役立つ、あるいは、自分たちの資金は民間企業に投資した方がより有益だと結論づけただけなのかもしれない。
この税はまた、「湯水のように支出し、ひたすら増税を繰り返す」というカリフォルニア州の最悪な悪癖を助長するものでもある。これまで、すべての支出を賄えるほど資金が十分だったことなど一度もない。5年間で使い果たされる「1回限り」の徴収で、この問題が解決するわけがないのだ。一時的な財源を当てにして、新たな支出の約束を増やしているにすぎない。いずれこの税を恒久化しようとする者も現れるだろう。この税の理論的設計者たちは明らかにそれを望んでおり、すでにその道筋をつけている可能性すらある。だが、たとえ恒久化したところで、結局は資金不足に陥るだろう。
これこそが、ブランシャールも認めている、カリフォルニア州が解決できない「約束を守り通せない(コミットメントの欠如)」という問題なのだ。億万長者たちが「1回限りの課税」という言葉を信用しないのは、極めて賢明な判断である。
私が最も懸念しているのは、道徳的な枠組みである。生活をより良く、より安価にしてくれる人々こそが問題なのだと社会が思い込むようになれば、最終的に我々はそのような人々を得られなくなってしまう。
ブランシャールのナイーブな信念とは裏腹に、億万長者たちに公共精神が欠けているわけではない。彼らのしばしば莫大な慈善寄付を無視したとしても、市場がすでに彼らの貢献を徴収し、その大部分を我々残りの人々に引き渡していることを忘れてはならない。残りのわずかな取り分について、彼らに謝罪を要求するのはやめるべきである。

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