中国伝統文化と日本(六) 漢詩を遺した赤穂浪士
江戸時代の中期、元禄16年(1703)というと今から319年前のことになる。その2月4日(新暦3月20日)に、前年の12月14日に本所松坂町の吉良邸へ討ち入った赤穂46士が、が、幕命により切腹して果てた。
中国伝統文化と日本(五) 共鳴する武人の心
旅順港閉塞作戦は、日露戦争(1904~1905)の初期において三次にわたって敢行された。
旅順港の入り口273mの細い水路に複数の古船を沈めて、ロシアの太平洋艦隊が拠点とする旅順港をまるごと封鎖する、という大胆きわまる
中国伝統文化と日本(四)
日本史上における中国文化の受容は、大陸から海を隔てた日本にとって、程よい春風であった。この点は、大国の文化的圧力という強風をまともに受けねばならなかった朝鮮半島と根本的に異なっている。文化とは総じて良いものであるが、その風当りによっては、花びらにも石つぶてにもなる。