友人間の恩と怨【雅(みやび)を語る】
前回は友人間の信頼関係についてお話ししました。
しかし、現実社会では、すべての人がいかなることにおいても信頼を重んじ、義理を大事にするとは限らないのです。そのため、多くの人は友人に傷つけられたと感じることもあり、ひいては、一生顔を合わせないと決める人も少なくありません。
では、このような時、どうすればよいのでしょうか?
古医が説く「うがいの効能」虫歯予防から全身の健康へ
「うがい」というと、皆様の日本では主に、水をふくみ、鳥の鵜のように上を向いて喉をガラガラ洗うことを指すそうですが、本記事では、上を向かず「口を漱(すす)ぐこと」をそのように称します。
中国伝統美徳物語(孝行編)その五「老莱子の色鮮やかな着物」
老莱子(ろうらいし)は春秋時代の楚国の人です。彼の生涯についてさまざまな臆説(おくせつ・根拠のない、推測に基づく意見)があって、『史記』では、老莱子が老子ではないかと疑っていました。しかし、歴史的な証拠がないため、結局、彼の本当の名前は誰も知りません。
夏、殷、周 上古三代の天命観について考察する(一)
司馬遷は中国の歴史上で最も有名な歴史家で、彼の『史記』は「二十四史」(中国の王朝の正史24書のこと)の第一に数えられ、中国の歴史上における最初の紀伝体の通史として、上古の伝説の黄帝時代から、漢武帝の太初4年まで、合わせて3000年余りの歴史を記載しました。
数千年前、大洪水は本当にあったのか?
古に大洪水があったという伝説がいろんな民族に伝えられています。例えば ギリシャ、インド、マヤ文明など。また、聖書に記されているノアの箱舟の物語もそうです。
2200年前、日本に農具や五穀を運んだ伝説の人
今から2200年前の秦の時代の中国に、徐福という人物がいました。『史記』によると、徐福は始皇帝から命を受け、幼い子供たち500人を含め総勢3000人の集団を引き連れ、仙人と不老不死の仙薬を求めて、中国大陸から東方の桃源郷、日本へ渡ったとされます。
東京・小石川後楽園:和漢の才人 水戸光圀と朱舜水
【大紀元日本11月1日】奈良朝において日本は、国家の大事業として遣唐使を派遣し、国政の基盤となる律令制度を唐に学んだ。 もちろん、日本が中国文化を受容したのは奈良・平安朝だけではない。鎌倉時代には、