中国伝統の美徳 「孝順」
「孝」は、中華民族の伝統的な美徳です。現在の人々が言っている「孝順」とは、一般人の心中では、「孝」は父母に対するものであり、「孝」とはすなわち「順」(従うこと)なのです。しかしながら、本当の「孝」とは、実際にはもっと深い意味を含んでおり、より広義においては人の品徳といえます。それは、勿論父母に対してだけでなく、父母に対する「孝」は、その中の一部分にしか過ぎず、単純に父母に順ずるだけが「孝」ではありません。
中国伝統美徳物語(孝行編)その四「會参は志を立てる」
曾子(そうし)は、名が参(しん)で、字(あざな)が神輿(しよ)といい、春秋時代の魯国(ろこく・現在の中国山東省南部を指す)の人です。彼は父親の會点と共に孔子の優秀な弟子でした。
中国古典 慎重なふるまいは誠実さに繋がる
曾子(そうし)は、名が参(しん)で、字(あざな)が神輿(しよ)といい、春秋時代の魯国(ろこく・現在の中国山東省南部を指す)の人です。彼は父親の會点と共に孔子の優秀な弟子でした。
曾子(そうし)は、名が参(しん)で、字(あざな)が神輿(しよ)といい、春秋時代の魯国(ろこく・現在の中国山東省南部を指す)の人です。彼は父親の會点と共に孔子の優秀な弟子でした。
千年前の道徳教科書-「女孝経」
古代中国の唐王朝時代(618年―907年)、侯莫陳 邈(こうばくちん ばく)の妻である鄭氏は昔の賢人に関する歴史の物語が好きでした、このような物語を読むとき、彼女はいつも大いに感激にふけました。そこで、鄭氏は良い物語をまとめ「女孝経」を記し、後世のための道徳の手本としました。
【二十四孝】曽参(そうしん)の親孝行
春秋時代、曽參(そうしん)という人がいました。彼は非常に親孝行で、いつも両親の好みに合わせて食事を作っていました。曽參の父親が亡くなると、曽參は羊棗(やんつぁう、柿の一種)を二度と口にしなくなりました。曽參の父親が大好物だったからです。