1926年のソ連の国勢調査によると、53万人の離婚女性のうち、養育費を受けられたのはわずか12,000人。
裁判所は、離婚による児童の扶養をめぐる案件で込み合っていた。男性は職を変えたり姿をくらませたりするなど、支払いを避けるため、さまざまな方法をとってきた。
時代は、離婚後の男性にとって責任を放棄させるために有利な方向に働いていた。戦争、内戦、赤軍によるテロで、男性は不足して、より再婚はしやすくなっていた。
女性たちが独りで子どもを養うことがますます難しくなっても、政府は、彼女たちの面倒を見るという責任を果たさなかった。1926〜27年には、小学生は約1,000万人のうち約15万人しか就学していなかった。
当時の出産・幼児保護部当局者は「婚姻関係が緩み、離婚件数は増加し、独身女性の育児負担が増加している。夫の支援なしに、子供を抱きながら、人員削減で解雇され、社員寮から追い出された女性を想像してみてください…サポートなしに、生活できる術はありません」と問題を指摘している。
しばしば、離婚した女性は、ホームレスなった。
カーネギーメロン大学歴史学教授でロシア史専門家ウェンディ・ゴールドマン教授は、「共同体生活と社会主義の世では、女性が浮浪者になり、彼女たちは路上生活を強いられていく」と述べた。
共産主義者たちは、女性か個人の自由意志に基づいて、人生の選択できるという価値観を、あざわらっていた。
共産主義政権は、地方ではさらに酷い結果をもたらした。通常、離婚で土地は細かく分譲されるが、当時の土地政策では土地や農場の管理権すべて当局のものとなり、離婚した女性に残されたものはなかった。
養育の放棄が社会問題化したことについて、「フリー・ラブ」では避妊が適切におこなわれなかったと非難する者もいる。しかしながら、人口統計によると、戦争や赤軍によるテロが勃発するなか、自然妊娠はすでに低かった。ソ連は、子供を多く必要としていた時代だった。
ソ連が保育園や託児所を備えていなかったと主張する者もいる。しかし、今日のシングルマザーが抱える問題と共通しているように、ひとり親の抱える負担を大幅に減らせるものではない。
女性はもっと雇用を必要としていると言う人もいる。たしかに収入は必要だが、根本的な問題を解決していない。「女性が働いたとしても、離婚は、彼女たちの生活水準の大幅な低下させた」とゴールドマン教授は書いている。
社会全体に蔓延した災難を取り除くため、1936年までに、ソ連は「フリー・ラブ」のイデオロギーを放棄し、家庭の形を復活させる政策に転換した。中絶を禁止し、離婚を困難にするために手続きに高額な手数料を設け、同性愛を禁じ、家族を放棄したものにはより高い罰金を科すようになった。
ゴールドマン教授は、「国家が家族の機能を引き継ぐという考えは、ようやく放棄された」と述べた。
(おわり)
(英文大紀元ペートル・スバブ、翻訳編集・佐渡道世)
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