建国70周年、なのだという。そりゃどこの国かと、とぼけてみたくなるのは、他国のことに無関心だからではない。隣国の国民として、たとえ儀礼的にせよ慶賀すべきかも知れないが、彼の国の場合、とてもそんな気持ちにはならないからだ。その70年は、罪なき人民にとってあまりにも苛烈であった。また、その非道ぶりを隠蔽することに極めて厚顔であるという欺瞞性に、ほとほと嫌気がさす。今の中国のことである。
8千万人を異常死させた政権
その元凶は何か。用語を正確に使うならば、中国といわず「中国共産党」と名指しせねばならない。これを中国というと、そこに太古から近現代までの悠久の歴史があるように、対象とするものの概念がどこまでも広がってしまう。そのため、中国を好きな人も嫌いな人も、それぞれに足を泥濘に取られて70年の本質が見えなくなるのである。
この点、私たち日本人は、努めて自律的に注意したい。中国を好きな人(さほど嫌いではない人、というべきか)は「日本も昔、中国で悪いことをした」などと、おかしな負い目の方向へ、なぜか自分から意識を転換させてしまう。中国を大嫌いな日本人は、「あいつらは、大昔からひどいのだ」と、分析的思考よりも先に、ある種の観念によって黒ペンキを塗りたくってしまう。いずれにしても、極端はよろしくない。
私の中国人についての理解は、いわゆる「嫌中本」と呼ばれる書籍にあるような事象を、部分的には首肯する。それほど中国の現状のひどさは目を覆うものがある。そのため「(中共以前の)昔の中国人は皆良かった」などと暢気な思考にもなれない。しかし、好悪を超えて、中国人という困った人々を、私は自分の精神世界の同居者だと思っている。日本人は、動かせない地勢的条件のなかで、今後も彼らと向き合っていくしかない。ただし、中国共産党の70年(厳密にいえば1921年7月の結党から98年)について、私は、ためらうことなく完全否定する。
中共70年の本質を一言でいえば、戦時ではない平時において、8000万人ともいわれる自国民を異常死させた人類史上最大の罪悪に他ならない。
共産党内部の残虐性は、すでに40年代の延安整風運動において露呈していたが、49年の北京政権収奪の後は、その恐るべき凶暴性を中国全土にわたって現出させた。50年代末から60年代初頭にかけての大躍進政策では、中共は「3年連続の自然災害」であると責任転嫁するが、明らかに政治上の失策(土法炉による粗悪な鉄づくり等)が招いた大凶作により、中国は阿鼻叫喚の飢餓地獄となった。餓死者は、中国全土で数千万人という。
少ない食糧を、せめて機能的に分配する行政力がはたらけばよかったが、それは皆無だった。毛沢東のもとに、「私が担当する村は、これほど増産に成功しました」の虚偽報告ばかりしていたため、もはやごまかしが効かない。農民は、鍋の底の雑穀まで奪いとられ、その鍋はクズ鉄づくりに供出させられた。死ねといわれるに等しかった。
それゆえに、中国国内で国慶節などと白々しく自賛する10月1日を、海外在住で、自己のルーツを中国にもつ心あるチャイニーズは「国殤日」と呼ぶ。死んだ祖国を悼む日、という悲壮感あふれる名前である。
私たち日本人も、この70年を看破しなければならない。たかが70年と呼び捨ててもよいが、それは決して五千年の文化文明を擁する中国史の一部ではなく、マルキシズムという、毒針を全身にまとった悪魔が異星から舞い降りたようなものだった。
他稿にも書いたことだが、王朝としての連続性を全くもたない中国史は、いわばタチウオのような長い魚をブツ切りにしたような形状をしている。これに対し、神話の時代もふくむ中国の精神文化史を5000年(考古学的には4千年としても)とカウントするならば、連続した4930年と、後の70年は、明確かつ厳密に区別されるべきである。
後の70年とは、漢民族のみならず、同じ地に住むチベット人、モンゴル人、ウイグル人(彼らは「少数民族」ではなく数百万以上の人口をもつ大民族である)をふくめて、まるごと巨大な牢獄に入れたような暗黒の時代であった。
日本人も騙された催眠術
多少の皮肉を込めていうが、日本は良い国で、言論も報道も出版も自由である。ゆえに、集団催眠にもかかりやすい。日本人は努めて明晰であらねばならないのだが、日本と歴史的に因縁深い隣国のことであるがために、これがなかなか難しい。
日本人の中国理解という視点からも、この70年を回顧してみる必要がある。1945年8月、第二次世界大戦の最後までただ一国で戦った日本が降伏(ポツダム宣言受諾8月14日、降伏文書調印9月2日)した。以来まだ4年、日本全土に焼け跡が残る同49年の1月31日に、中国共産党の軍隊である人民解放軍が北京に入城。同年10月1日、天安門の壇上から中華人民共和国の成立が宣言された。
当時はもちろんモノクロの写真とフィルム映像であったが、それらによって伝えられる中国人民が歓喜する光景に、日本の左翼とそのシンパも狂喜し、宗教の創始者を仰ぐように同調した。当初のそれが日本人のなかの多数であったとはいえないが、その後の戦後史において、ある種の空気のなかで、大陸で敗れて台湾に敗走した国民党を「悪」とし、勝者として北京に君臨する中国共産党を「正義」とする、一種の病気としか言いようのない固定観念が日本人のなかに形成されていった。
ほめてはいけないが、中国共産党というのは、内部には極めて凶暴でありながら、外に向けては役者以上にプレゼンテーションがうまい。これには日本の有識者も、見事に騙された。今でこそ、そんな人はいるまいが、40年ぐらい前には中共シンパの大学教授は多くいたし、なかには文化大革命を表立って絶賛する教師もいた。赤いビニール表紙の、日本語訳された毛沢東語録などを携帯する人も、日本の教育の場に少なからずいたことを仄聞ながら知っている。
私は、直接的にその人たちの影響を受けたとは思わないが、書物による影響(悪影響というべきだが、もちろん当時は気がつかない)は少なからず受けた。
岩波新書は手ごろであり、古本なら安価なので、よく買って読んだ。いま手にしている岩村三千夫・野原四郎『中国現代史』改訂版は、図書館で借りてきたもの(自分の本はとうの昔に処分した)で、1982年の第22刷であるが、その220ページに次のように書かれている。
「ふるい中国であったならば、1960年のような規模の自然災害を一年うけただけでも、被災地区の農民は郷土をすてて離村し、至るところで数十万から数百万もの餓死者をだした。しかし、新しい中国のもとで、三年つづきの自然災害をうけても餓死者はでなかったし、離村現象さえみられず、農民たちはあくまで郷土をまもって生産をつづけた。この一つのことをもってしても、新中国十余年の改造と建設が、いかに大地に深く根をおろしたかを知ることができる」
岩波書店は日本でも有数の権威ある書店であり、その学術書に、私は心からの敬意をもっている。しかし事実として指摘しなければならないが、やはり上記引用のように、岩波でも「その時代の無知」はあった。それを高校生ぐらいで読んだ私は、自分の誤認を訂正するため、その後に長い時間を要することになる。
同じく、私が高校のころに読んだ本で、衝撃的なのがあった。1972年、本多勝一『中国の旅』朝日新聞社。現地取材のルポルタージュを同新聞に連載の後、単行本および文庫化。私が初めて見たのは、公立図書館にあった単行本だったと思う。
相手側(つまりは中国共産党)が恣意的に用意した証言者の話を、そのまま検証なしで文字化したもので、後で考えればとんでもない本だと思うのだが、その時は全く気づかない。路上の石を、うまそうな焼き芋と勘違いするレベルで、この本に書かれていた内容を「事実」として呑み込んだ。
内容とは、戦時中の日本軍が中国大陸でおこなった(と本に書いてある)残虐ぶりの数々であるが、それらについては、すでに詳細な検証本が多々出ているので、ここでは触れない。同書中に掲載された日本兵の写真が、今日では第一次証拠になりえないことも周知の通りである。
本稿で述べたいのは、日本人である私自身の反省として、自分も「その時代の無知」の影響を受けたし、シンパではないにしても、ある時期まで「新中国」の催眠術に騙されていたという苦々しい気持ちをもっていることだ。ある時期とは、たしか私が大学で中国文学を専攻していた時期だが、この時でさえも、まだ真実に対して半信半疑で、中共の欺瞞性を完全に見抜くところまでは達していなかったと思う。
中共を認めぬ日本たれ
それほど中国共産党は、悪魔のプレゼンがうまい。今日でも、中国側から提示される文化交流や友好事業は、たとえ民間レベルの体裁をとっていても、釣り針につけられた餌だと見て、よくよく警戒したほうがよい。
国殤日である10月1日を前にして、深い悲しみを抱える海外在住のチャイニーズに心を寄せながら、私は本稿を書いた。
最後に、先述の『中国の旅』のなかから、日本兵のフェイク写真よりもはるかに許し難いと思われる言葉を、二度と催眠術に騙されない教訓として、以下に引用しておく。本多氏がインタビューした胡さんという中国人男性の証言の一部だが、もちろん胡さんを批判する意図ではなく、彼にそう言わせている周囲の「妖気」を見抜くためである。
「私はご飯のとき、茶碗をもちあげる瞬間に、よくあのころのことを思いだすのです。おいしいコメの飯や小麦粉のパン。こんなものは夢だった。しあわせです。この幸福は、でも降ってきたわけじゃありません。毛沢東主席が正しく指導してくれた中国共産党や人民解放軍。それが戦いとって、私たちを暗い海底から救い上げたのです」
胡さんの証言はまだ続くが、引用はここまでにする。今日の読者諸氏に悪影響を及ぼすとは思わないが、かつての私がこうした催眠術に騙されたように、日本語の活字を見てもそこにコレラのような病原菌の存在を感じて、今でも不快感を覚えるからだ。
香港の若者が、連日闘っている。それぞれ立場や思想の違いはあるが、私たち日本人は、中国共産党そのものを認めてはならない、という一点において、あの若者に近い位置に立ちたいと思う。
彼らは、ただ香港のためにそうしているのではない。人類史のなかの正常な反応として、悪魔的な催眠術にかけられることを断固拒否している勇者たちなのだ。
(牧)
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