中共軍粛清激化 文化大革命級 欠席率45.5%で上将壊滅か

2026/01/17 更新: 2026/01/17

中国共産党の軍内大粛清が苛烈さを極め、文化大革命に匹敵するとの指摘が相次いでいる。2026年中紀委第五回全体会議で軍将官欠席率45.5%、上将昇進式典出席わずか6人など、公的データが軍上層部の壊滅を示す。習近平派閥崩壊で軍権は張又侠氏へ移行か。

中国共産党は軍の人事異動について極端なまでの秘密主義を貫いているが、いくつかの公の情報から、その実態の一端をうかがうことができる。以下の事実は、今回の軍粛清の苛烈さが文化大革命並みであることを物語っている。

手掛かり1:中紀委第五回全体会議 軍関係委員の欠席率45.5%

2026年1月12日から14日にかけて開催された第20期中央紀律検査委員会(中紀委)第五回全体会議では、13人の委員が欠席し、欠席率は約10%に達した。比較のために述べれば、2025年1月の第四回全体会議での欠席はわずか2人、2024年1月の第三回全体会議では1人のみであった。

今回欠席した13人のうち、実に10人が軍関係の将官であった。その中には、中紀委常務委員であり軍紀律委員会専任副書記を務めた陳国強中将も含まれている。陳は、習近平が進めてきた軍内「反腐敗運動」の中核人物として知られていた。

2022年10月に選出された第20期中紀委の委員は133人であり、このうち軍出身者は22人(全体の15.6%)である。2025年1月の第四回会議には、この22人全員が出席していた。今回10人が欠席したという事実は、現状を踏まえれば、高い確率で彼らが失脚したとみられる状況を示している。

手掛かり2:最新の上将昇進式典に出席した上将はわずか6人

2025年12月22日、中国共産党中央軍事委員会は上将(大将)への昇進式典を開催した。CCTVニュースの映像によれば、新たに昇進した楊志斌(新・東部戦区司令官)と韓勝延(新・中部戦区司令官)の2人を除くと、式典に出席した上将はわずか4人に過ぎなかった。出席者は、軍事委員会副主席の張又侠と張升民、委員の劉振立、国防相の董軍の4人である。前年(2024年12月23日)の式典と比べると、実に16人も少ない。

習近平は2012年末の政権掌握以降、今回を含め計81人の上将を昇進させてきた。しかし、2022年の「第20回党大会」以降、すでに公式に失脚が発表された上将は14人に上り、公表こそされていないものの消息不明となっている上将も少なくとも23人いる。

すなわち、習近平が昇進させた上将のほぼ半数が権勢を大きく削がれた状態に置かれ、現役の上将たちはまさに壊滅に向かって突き進んでいると言ってよい。

手掛かり3:第20期第4回中央委員会全体会議に22人の上将が欠席

2025年10月20日から23日にかけて開催された第20期第四回全体会議(四中全会)の直前には、何衛東、苗華ら9人の上将が党籍と軍籍を剥奪されている。この全体会議では、中央委員36人、候補中央委員20人が欠席し、合計欠席率は約15%に達した。これは中共の党史上でもきわめて異例である。欠席者の中には22人の上将が含まれていた。

さらに、この会議では11人の候補中央委員が正式委員に繰り上げられたが、そのうち上位7人が大きく繰り上がる形となり、4人は軍関係者であった。複数の戦区や軍種の主要ポストが同時に空席となったことも含め、これらの事実は、軍内部における粛清の規模と深刻さを如実に示している。

今回の軍粛清の核心:習近平の軍権喪失

習近平は2012年末の就任後、これまで二度にわたり大規模な軍粛清を実施してきた。第一の粛清は、第20回党大会以前の約10年間、概ね2013年から2017年にかけて行われ、この期間に処分された将官は160人を超えた。これは、中国共産党が1927年に軍を創設して以降、内戦・外戦・文化大革命を含めて倒れた将軍の総数を上回る規模である。

ただし、このときの上将(大将)は8人にとどまり、その内訳は現役2人(房峰輝・張陽)、退役6人(徐才厚、郭伯雄、田修思、王建平、王喜斌、劉亜洲)であった。この第一次粛清では、習近平が主導して徐才厚・郭伯雄ら江沢民派の人脈を一掃することが主な目的であった。

これに対し、今回の粛清は2023年の「全国両会」後に始まり、現在も継続している。第二次粛清は第一弾をはるかに上回る広範かつ全面的なものであり、ロケット軍(ミサイル軍)を端緒として(歴代司令官4人全員が失脚)、陸・海・空三軍や国防科技工業システム全体へと急速に拡大している。

失脚した将軍と習近平との関係を振り返ると、今回の粛清は2024年4月を境に二つの段階に分けられる。2024年4月以前は、主に軍副主席張又侠の旧派閥が標的となり、張自身も常に不安を抱えていた。しかし同年4月以降、情勢は逆転し、習近平派が粛清を受ける側へと追い込まれた。

象徴的な出来事が、習近平のいわゆる「軍の鉄のトライアングル」が相次いで崩壊したことである。監軍役の鍾紹軍は中央軍事委員会弁公庁から外され、人事を掌握していた苗華、および破格昇進で軍事委副主席となった何衛東がいずれも失脚した。これにより、習近平の軍内勢力は事実上の殲滅戦にさらされ、軍権は張又侠の手中にしっかりと握られている状況となった。

中共における軍粛清の歴史的回顧

軍内粛清は、中国共産党の歴史において顕著な特徴の一つである。建軍初期には軍閥が乱立し、政治路線の対立も激しかったため、内部抗争で命を落とす者が続出した。たとえば1930年代初頭に行われた「AB団討伐運動」は、その荒唐無稽かつ血腥い粛清として知られている。中共党史学者・廖蓋隆氏によれば、「当時、紅一方面軍はわずか3万〜4万人であったが、2度の粛清で6千人以上が処分され、その半数が殺害された。すなわち、紅軍10人のうち1人が殺害され、その多くが幹部だった」という。

中共が政権を掌握した後、毛沢東はまず彭徳懐に軍事指導を委ね、劉伯承や粟裕らを抑え込んだ。1959年の廬山会議で、彭徳懐が大躍進の失敗を直言する書簡を毛に提出したことにより、彼は粛清された。その後、林彪が彭に代わって台頭し、党章によって毛の後継者と明記されるほどの軍事的権勢を握るに至った。

しかし、1971年の「九一三事件」(林彪が逃走中に墜落死した事件)後、いわゆる「林彪集団」が一掃される。黄永勝(総参謀長)、呉法憲(空軍司令)、李作鵬(海軍政治委員/副総参謀長)、邱会作(総後勤部長)らは16〜18年の実刑判決を受け、軍権は葉剣英に移った。文化大革命終結後には、さらに鄧小平が軍権を掌握した。

1989年学生の民主運動弾圧の天安門事件後には江沢民が権力の座に就いた。江は鄧小平と楊尚昆兄弟の間に楔を打ち込み、巧妙に軍権を掌握したうえで軍内に自身の派閥を築き、2002年から2012年にかけて胡錦涛を形式的な党首へと追いやった。2012年末に登場した習近平は、江派との激烈な権力闘争(第一次大粛清)を経て軍権を手中に収めた。

しかし、習近平は「党を守る」という強迫観念に囚われ、歴史の潮流に逆行する道を選んだ。2022年の第20回党大会前に開かれた中央政法委拡大会議では、法輪功への新たな国外弾圧を戦略として打ち出したが、その行為はやがて自らへの報いとなった。加えて、習近平が信じたとされる予言——「弓を帯びた一軍人あり、曰く我は白頭翁なり。東門の内に金の剣潜み、勇士、後門より帝宮に入る」——への恐怖も重なり、2023年、習近平は第二次軍粛清を発動した。その結果として、彼自身が権力の頂点から転落する事態を招いたのである。

結語

今回の軍の大粛清にしても、歴史を振り返っても、軍が常に中共内部の権力闘争の犠牲であり続けてきたことを改めて浮き彫りにしている。将官たちは皆、自らの身の安全を憂え、今日まで重用されていても、明日には誰が標的となるか分からない。一兵卒に至るまで、彼らは使い捨ての「消耗品」として扱われている。

では、いかにして自らを守ることができるのか。それは歴史の大きな潮流を見極め、「天が中共を滅ぼす」という時代の動きに順応するほかない。中国共産党の「私兵」「党衛軍」であることをやめ、真の「人民の子弟兵」へと転じることである。中共の「軍奴」である立場から離脱し、誇りある「軍人」としての尊厳を取り戻したとき、初めて真の安全と名誉を手にすることができる。

王赫
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