『赤い津波—あなたの自由を奪う静かなる嵐』を執筆した理由

2026/02/01 更新: 2026/02/01

解説

私は先日、内部告発者による暴露本であり、同時に生き残るためのサバイバル・ガイドでもある『赤い津波—あなたの自由を奪う静かなる嵐(The Red Tsunami—The Silent Storm Killing Your Freedom)』を執筆した。時間が残されていないからだ。グローバルな競争をめぐる華やかな議論や不都合な真実の隠蔽は、その影響を最も受ける人々、すなわち「市民」を置き去りにしている。

戦略は会議室や政治家の間で議論される遠い話のように思えるが、その結果は、私たちの家庭やSNS、人間関係、そして学校といった「日常」に直結している。物価の変動や雇用、プライバシー、情報の真偽、さらには社会制度への信頼といった形で、私たちはその影響を日々肌で感じているのだ。

これらすべてが、国家間の競争の結果だ。国同士のパワーゲームばかりに目を奪われ、そこで暮らす市民を置き去りにすることは、決してあってはならない間違いだ。

今、私たちの安全を脅かしているのは、もはや戦車やミサイルによる「従来の戦争」ではない。27年前、中国共産党(CCP)は戦争を「軍事以外のあらゆる手段を用いるもの」へと再定義した。それが「超限戦」だ。

この戦略には、平和と紛争、民間と軍事、経済と政治といった境界線が一切存在しない。貿易、技術、教育、メディア、医療、インフラ、さらには人々の絆(社会の結束)までもが、すべて攻撃の「戦場」となる。このモデルにおいて、市民は「巻き添えを食らう被害者」ではない。最初から、破壊すべき「主戦場であり、最大の標的」として狙われているのだ。

これこそが『赤い津波』が告発する真実だ。それはどこかで起きている劇的な事件や衝突ではなく、私たちが日々頼りにしている生活基盤(システム)の中に、悪意ある影響力がじわじわと染み込んでいくプロセスである。

例えば、サプライチェーンの問題は「モノの値段や手に入りやすさ」を左右し、デジタルプラットフォームは「私たちが何を信じるか」を裏で操る。労働市場の歪みは「職の安定とチャンス」を奪い、データの流出は「プライバシーと自らの意思」を脅かす。これらの仕組みが外部勢力に支配されるとき、その被害は決して他人事ではない。あなた自身の生活を直撃する、きわめて個人的な脅威となるのだ。

超限戦が成功する理由は、それが人々の「警戒アラート」が鳴らないほど静かに行われるからだ。国境を越えてくる戦車も、宣戦布告も、国民を立ち上がらせるような劇的な瞬間も一切ない。

その代わりに、圧力は「静かに、執拗に、そして密かに」加えられる。気づかぬうちに経済的に依存させられ、技術のルールを握られ、あらゆるデータを抜き取られる。さらには世論の「空気」が操作され、違法薬物は毎年15万人もの若者の命を奪い続けている。

こうして人々の精神は深く傷つけられ、支配されていく。時が経つにつれ、市民は「なぜか分からないが、人生の選択肢が減り、立ち直る力が弱まり、自分で決める自由が失われている」という状況に追い込まれていくのだ。

これは、特定の政党を支持したり批判したりするための話ではない。社会の「仕組み」そのものに関する指摘だ。

本来、自由で開かれた社会は、情報の透明性や効率、成長を重視して作られている。これらは私たちに大きな恩恵をもたらすが、一方で「相手も同じルールを守る」という前提が崩れると、そのまま致命的な弱点(アキレス腱)に変わってしまう。

敵対者が法律も倫理も無視し、「ルール無用の戦い」で長期的な野望を追求してくる場合、このアンバランスさは単なる理論上の話では済まない。その歪みは、私たちの日常生活の中に、逃れようのない実害として積み重なっていくのだ。

最大の誤解は、「戦争なのだから、まずは政府が狙われるはずだ」と思い込むことだ。実際には、敵はあえて政府を無視し、あなたに直接狙いを定めている。

彼らは、消費活動を通じた依存関係、SNSなどのデジタルな影響力、職場の人間関係、そして教育の場を巧みに利用する。真実と嘘の境目を分からなくさせることで、政府を介さずとも、市民の心へ直接手を伸ばしてくるのだ。

民主主義は、ある日突然目に見える形で崩壊するわけではない。「この社会の仕組みは、もはや自分たちの味方ではない」と人々が不信感を抱き、社会の絆がじわじわと内側から腐り落ちていくことで終わるのである。

問題は、他国と関わりを持つことそのものではない。無防備なまま、市民を守る備えもなしに関わってしまうことだ。

私たちは「コスト削減」という言葉に惑わされてきた。だが、効率ばかりを重視して重要な産業を他国に委ねれば、有事の際に困り果てるのは私たち自身だ。

利便性ばかりを追い求めてデータ保護を後回しにすれば、自分たちのプライバシーを相手に差し出すことになり、市民はプライバシーという個人の尊厳を失う。

「今さえ良ければいい、安ければいい」という短期的な利益のために「不測の事態への強さ(回復力)」を捨てれば、いつか来る衝撃をコミュニティ全体でまともに食らうことになる。これらは単なる理屈の上での選択ではない。一つひとつが積み重なり、私たちの生活を実際に破壊する実害となるのだ。

私が最も危惧しているのは、専門家の知識が足りないことではない。「国家の戦略」が、私たちの「日々の暮らし」からあまりにも遠く離れてしまっていることだ。

民主主義が本当の力を発揮するのは、市民がリスクを自分事として理解し、「国が行っている対策は、自分たちの自由や生活を守るためのものだ」と確信できた時である。

もし、国際競争がどこか遠い「あちら側」の出来事として語られる一方で、実際には私たちの仕事や生活がじわじわと追い詰められている。このギャップこそが、民主主義を弱らせる最大の原因なのだ。

私が伝えたいのは、他国を排除しようとか、思想で対立しようといった話ではない。ましてや、不安を煽ってパニックに陥れたいわけでもないし、敵と同じような超限戦の手法を使えと言いたいわけでもない。

これは、事実を包み隠さず議論し、市民一人ひとりが責任を持ち、共に手を取り合うという「真っ当な現実主義」への呼びかけだ。

もし相手が、私たちの生活のすべてを「戦場」として仕掛けてくるのなら、私たちは「国の安全」「経済の豊かさ」「個人の自由」は切り離せないセットなのだと、いい加減認めなければならない。市民を守るためには、そのすべてを同時に守り抜く覚悟が必要なのだ。

私たちが持つべき「社会の強さ(レジリエンス)」は、市民一人ひとりが正しく事態を知ることから始まる。

それは、特定の国に「依存」するのをやめて「選択肢を増やす」ことだ。不都合な真実を「否定」するのではなく、「透明性」を持って明らかにすることだ。そして、目先の「便利さ」よりも、長く使い続けられる「頑丈さ」を選ぶことである。

国が他国より優位に立つことだけが目的ではない。政府、企業、そして私たち市民が手を取り合い、「自分たちの人生を自分で決める権利(主体性)」を全力で守り抜く。その共通の目標に向かって、社会全体が連携しなければならない。

「これこそが本当の危機だ」と誰もが確信できるような決定的な瞬間は、永遠に訪れないかもしれない。世の中がひっくり返るような大事件も、「今こそ立ち上がる時だ」という国民全員の一致した意見も、ついには得られないままかもしれない。

だが、それこそが「超限戦」の狙いであり、最も恐ろしい点なのだ。 異変が誰の目にも明らかになった時には、私たちの生活を支える仕組みはすでに作り変えられてしまっている。その時になって抗おうとしても、もう手遅れなのだ。

私が『赤い津波』を書き上げたのは、私たちの未来はまだ「自分たちの選択」で変えられると信じているからだ。そして、その選択の主役は政府ではなく、市民一人ひとりでなければならない。

まず現状を正しく知ることで、初めて私たちは「どう生きるか」の選択肢を手にできる。そして備えを固めることで、どんな衝撃にも負けない強さを得られる。 逆に、もし現実から目を逸らし続ければ、市民は知らないうちに「同意した覚えのない戦い」に引きずり込まれ、逃げ場のないまま無防備に晒されることになるのだ。

この津波は決して理論上のものではない。それはすでに私たちの足元で動き出している。私たちが現実をはっきりと見極め、冷静さを保ち、そして一致団結して立ち向かえるか。その成否は、単なる世界の勢力図を左右するだけでなく、私たちの未来の自由や安全、そしてこの社会という仕組みが本来が守るべき「次世代のチャンス」「未来への機会」を守り抜けるかどうかの分かれ道となる。

国家安全保障アナリストであり、戦略的リスク・アドバイザーを務めるブラックオプス・パートナーズ(BlackOps Partners)社のCEO
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