6月の第3日曜日を「父の日」としている国は多い。中国や日本も、その中に入る。
今年の「父の日」は6月18日であったが、さて世のお父さん方は、子供や奥様からどんなプレゼントを贈られただろうか。
台湾では、父親を意味する爸爸(パーパ)に発音が近いことから「八八」つまり8月8日を「父の日」にしているとのこと。外国の習慣に必ずしも迎合せず、独自の文化として日を定めてお祝いをするのは、背骨がまっすぐで、なかなか格好がよい。
「父親」に関して、いま中国のネット上で「超有名」とされる画像がある。それは雨のなか、まだ若い父親が、自分はずぶ濡れになりながら、1本の傘を小さな息子のために差している場面だ。
写真は、ニューヨークのクイーンズ区フラッシングの39番街付近で撮影されたものとされており、この父親は中国系の人だという。
この写真とともによく語られる、こんな言葉がある。「父親の愛とは何か。それは黙ってあなたを守る大きな愛。世界一優秀な父親ではないかもしれないが、それでも自分にとって一番良いものを、子供であるあなたに与える人なのだ」。
その一方で、6月18日の「父の日」に合わせて中国のSNSに投稿されたある動画が、いま物議を醸している。
結論から先に言えば、まことに低俗な内容の動画である。
場所は、中国のどこかの小学校だろうか。「ボクのパパは、家も、車も、お金もあるよ!」と教室の子供たちに合唱させ、それを皆で喜び「父親節快楽!(父の日おめでとう)」と締めくくる。
待て待て、こんなことを幼い子供の意識に刷り込んで大丈夫か、と心配されるのだ。
もう少し具体的に言うと、教室の子供たちは「男子」と「女子」の2組に分けられている。はじめに女子側から、まるで将来のお見合い相手にまっ先に問うような、なんとも生臭い、お決まりの「条件」が提示されるのだ。
「条件」とは、言うまでもなく「家あるの?」「車あるの?」「お金(貯金)あるの?」の三点セットである。
男子側は、三つの問いに、こう答える。「ボクのパパが持ってるよ!」。 女子側は、こう聞く。「じゃあ、あなたの持っているものは、なーに?」。 男子側の答えは、ボクは「家も、車も、お金も持っているパパ」を持っているよ! 最後は男女一緒に、「父親節快楽!(父の日おめでとう)」
笑い話として聞き流せばよいのだが、そうもいかない。夏の6月に季節はずれの寒風が吹くような、なんとも冷ややかな気持ちになるからだ。
子供たちにこんなことをさせる小学校が本当にあるとすれば、気は確かかと疑わずにはいられない。
いずれにしても、無邪気な子供たちに罪はないが、やらせる大人たちは批判されて当然であろう。他愛もないゲームのつもりかもしれないが、この小学生が大きくなったら「巨大な赤ん坊」になるだけだ、と動画投稿者も嘆いている。
モノや金銭を追求するのは個人の自由だが、それを結婚の「条件」にした途端に、その結婚は本当の幸せからは確実に遠のく。人間にはそれ以上の価値観があることに、気づいていないからだ。
自分の欲求を捨て、他者のために我が身を尽くし切るところに無条件の愛が生まれ、本当の人生の喜びが感じられる。子供たちが学ぶべきは、そういう価値観ではないのか。
また第二の問題点として、父親の金を当てにするばかりで、自分で働くことの大切さが抜け落ちていることも言えるだろう。
中国語圏といえども、もちろん正常な感覚の人はいる。この動画は多く転載されているが、寄せられたコメント文はやはり「批判一色」だった。
「全然かわいくない。見ていて気持ち悪い」「これは、なんという価値観の育て方なのか?」「どこの愚かな教師が企画したのか?」「このごろの中国の教師は、教育ではなく、どうやったらインフルエンサーになれるかしか頭にないらしい」
いっぽう「父の日」に合わせてSNSに投稿された動画のなかには、このようなものもあった。「明け方4時の合肥(中国安徽省)の農民労働者市場」「父親にならなければ、こんな辛い思いをしなくてもいいのに」などのコメントがつけられている。
この場合の「市場」とは、出稼ぎ農民を対象に、日雇いの肉体労働をあっせんする紹介所のことである。その場所へ、夜も明けない朝4時から、動画にみられるような大勢の労働者が集まっているのだ。
この動画に映っている中年の男性たちは、田舎の家に妻や子供がいる父親も多いだろう。彼らは、都会のマンションのような家はなく、車もなく、お金もわずかしかない人たちである。
それでも家族を養うため、太陽が昇る前からここに来て職を求め、泥まみれになって働き、毎日を懸命に生きている。
また世界には、こんな父親の姿もある。
まだ戦争が続くウクライナの子供たちは、おそらく中国の一部の子供たちのように、父親に「家、車、お金」などを求めてはいない。
ウクライナの子供たちにとって、父親が戦場から生きて帰ってきてくれること、そして力いっぱい抱きしめてくれることが、何よりも嬉しいことなのだ。
「父の日」に考える、本当の愛のありかたとは、どんなものだろう。日本人も考えてみる必要が、あるかもしれない。
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