世界巡回を目指す「第1回香港自由芸術賞」受賞作品の展示がスタートする。その皮切りとなる展示会が、台湾で開催(12月7日~16日)されている。
会場となった台北市の「台湾基督長老教会濟南教会」の前には、香港の民主化を求めるデモ参加者を想起させる、ヘルメットにゴーグル、防毒マスク姿の女性の像が立てられている。
4年前、彼らは戦っていた
女性の像は右手に傘をもち、左手には4年前、香港の民主化を求めるデモ参加者が使用してきたスローガン「光復香港、時代革命(香港を取り戻せ、時代の革命だ)」が印字された黒い旗を高く掲げている。
デモ参加者が持つ傘やゴーグルなどは、鎮圧する警察側からの放水や催涙スプレーを防ぐためにも用いられた。
海外に亡命した香港人たちは、こうした芸術を通して自由への憧れを表現するとともに、「両岸三地(中国大陸、台湾、香港)」に残された、唯一の自由な土地である台湾が「香港の二の舞になってほしくない」と訴えている。
「香港自由芸術賞」の審査員を務めた香港人芸術く家のケイシー・ウォン (Kacey Wong、黃国才)氏は、NTD新唐人テレビの取材に対し「あの時の恐怖は、私たちの脳裏にある傷のように、永遠に拭い去ることができない」と、今も苦しい心中を語った。
また、台湾に来て1年になる香港人脚本家・法蘭奇氏は「以前のような(平穏な)生活には、もう戻れないかもしれない。しかしどこにいようとも、私たちは自分の信念や、やるべきことのために、生きていくしかない」と述べて、信念を貫く決意を新たにした。
最大の失敗は「中共の言葉を信じたこと」
1997年7月1日、香港は英国から「中国」に返還された。アヘン戦争の後、1842年の南京条約によって、当時の清朝から香港島が英国に割譲されて以来、155年にわたる英国統治を離れて、香港は確かに東アジアの中国に戻った。
しかし、その戻った先の「中国」は、自由主義世界にちかい体制の中国ではなく、中国共産党が一党支配する「自由のない中国」であった。
今から39年前の1984年12月19日、英中共同声明が発表された。そのなかに、鄧小平が提示した「一国二制度」により、97年の香港返還後も50年間は中国の社会主義体制を香港で実施しないことが約束されていた。
今ここで「当時、中国共産党を甘く見ていた」と過去を反省することは、無駄ではないにしても、あまり大きな意味はない。
肝心なことは、今も中共は「伝統中国」を強奪したままであるとともに、国内経済が破綻し、国家として全く体をなしていない悲惨な状態であるにもかかわらず、その内政においては、とんでもない凶暴性をむき出しにしている現在の事実に目を向けることである。
そのことを正確に認識し、例えば、日本としてどうするか。50年前に、ジャイアントパンダでとろけさせられた「日中友好」のままであってはならないことは、言うまでもない。
確かに、80年代終わりから90年代に入って、ソ連や東欧の社会主義体制が相次ぎ倒れたように、香港についても「50年あれば、中国も自由な体制になるだろう」という夢見るような楽観論が、私たちの心の奥底に存在したことは事実である。
しかし、歴史が証明するように、そうはならなかった。20世紀が、共産主義という妖魔が地球上に跋扈した世紀であったとすれば、21世紀の今も、その亡霊は恐ろしさを増して東アジアの一角に存在している。
「香港民主女神団体」の創立者であるAlric Lee氏は、こう話す。
「何十年も民主化運動を進めてきた私たち香港の最大の失敗は、中国共産党の言葉を信じてしまったことだ。台湾は、いま香港で起きていることを見て、共産党など信用できないと気づいただろう」
また、脚本家の法蘭奇氏は、来年1月13日に実施される中華民国(台湾)総統選挙に向けて、こう語った。
「台湾人は、今ある自由を大切にしてほしい。そして、自身の責任と義務を果たす一票を投じてほしいと願っている」
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