「迫害が終わるまで続ける」法輪功学習者が中国大使館前で平和的抗議

2024/07/20 更新: 2024/07/20

中国共産党(中共)による法輪功への迫害の即刻停止を求め、法輪功修煉者たちは20日、東京の中国大使館前で静かに抗議を行った。当時の中国共産党党首・江沢民がすべての国家機関を総動員して断行した迫害が開始されてから今年で25年となった。

1999年、迫害が開始する前、中共当局の統計によると、中国で7千万から1億人の法輪功学習者がいた。迫害を正当化させるために、中国国内のメディアは、法輪功へのデマをでっち上げて流布させ、学校の教科書も例外ではなかった。 

「名誉を汚し、経済的に破綻させ、肉体を消滅させる」そして「打ち殺しても自殺とみなす」という政策の下、数えきれないほどの法輪功学習者が拘置所や労働収容所、刑務所、そして精神病院に拉致監禁されてきた。迫害は今なお続き、信仰を放棄させるための法輪功学習者に対する拷問と虐待は常態化している。

25年前の7月20日

昨年10月に中国から逃れた郭さんは中国で、4回も洗脳施設に入れられ、家宅捜査も受けた。郭さんは1999年7月20日の出来事を振り返った。

「99年7月20日、全国すべてのテレビ、ラジオ、新聞は法輪功を中傷する内容を流すようになりました。20日と21日、全国の協調人(世話役)がまず逮捕されました。当時、私は武漢にいました。協調人が逮捕されたことを多くの学習者が互いに通知し、7月22日に多くの人が湖北省政府に陳情に行きました。到着した時には、すでに政府建物の道路両側に多くの人が立っていました。また、武漢周辺の都市と地域からも多くの学習者が駆けつけました」

「午後3時頃にはすでに人が多く集まっていました。私が省政府に到着した時には、人が道路に出入りすることができましたが、道路の一部は封鎖され、車両の進入は禁止されていました。学習者たちは道路の両側に立ち、道路を塞いでいませんでした。道路の真ん中には宣伝車がいて、高音のスピーカーで『ここは政府機関だ。市民は集まらないように、速やかに退去しろ』といった内容を放送していました。しかし、皆さんはその場を離れませんでした。代表者が交渉に入ったからです。当時の要求は、次の3点でした。

1つ目は、2日前に逮捕された法輪功学習者を釈放すること。

2つ目は、法輪功学習者に合法、公正な修煉環境を与えること。

3つ目は、法輪功にかかわる書籍を合法ルートで出版させること。

学習者たちは秩序を守り、静かに待っていました。しかし、夕方5時か6時頃に(私達を)逮捕し始めました。その時点で、人の出入りが完全に禁止されていました。私はその前に帰ったのです。

帰る前には機動隊がすでに来ており、頭にはヘルメットをかぶり、電気棒を持ち、透明な盾を装備していました。数十人が来て、法輪功学習者と対峙しました。つまり、機動隊隊員たちは一定の距離を置いて立っていました。

私は遠くに住んでいたので、先に家に帰って待機しました。翌日には、その晩に湖北省政府を離れなかった学習者全員が逮捕されたと聞きました。多くのバスが派遣され、法輪功学習者たちはバスに押し込まれました。学習者は抵抗して、手をつないでいました。他の学習者から聞いた話では、22日の夕方、警察は法輪功学習者を殴り、年配の学習者が若い学習者を囲み、年配の学習者が外側にいました。警察は憚ることなく年配者を殴ることができないからでした。これらの学習者たちはバスで、体育館、療養型医療施設、学校など収容され、名前、住所などを聞かれ、これらの学習者は警察などの監視、嫌がらせの対象になってしまいます」

迫害が終わるまで抗議する

1999年、中国共産党政府が法輪功に対する弾圧を始めて以来、海外の法輪功学習者はずっと各国の中国大使館前で横断幕を掲げて抗議してきた。

鞍貫裕子さんは風雨に負けずに、2004年からパンデミック前まで、ほぼ毎日のように在日本中国大使館の前で迫害停止を訴えてきた。

どうやって20年間続けてきたのかを聞かれると、「中国本土で迫害は1日も止めることないから、私たちも毎日抗議します」と答え「迫害が終わるまで、続けます」と決意を示した。

鞍貫裕子さん(大紀元)
清川茜
エポックタイムズ記者。経済、金融と社会問題について執筆している。大学では日本語と経営学を専攻。
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