米副大統領候補の重要性 真逆の対中姿勢を見せる両候補

2024/10/05 更新: 2024/10/05

日本時間2日、両副大統領候補による米テレビ討論会が行われた。両者が論戦を繰り広げる中で、有権者らは過去の歴史に思いをはせるかもしれない。歴代のアメリカ大統領46人のうち、実に15人が副大統領経験者なのだ。

命を落とした大統領に代わって就任したハリー・S・トルーマンとリンドン・ジョンソン、大統領へ昇格したジェラルド・R・フォード、選挙で選ばれたリチャード・ニクソン、ジョージ・W・ブッシュ、そして今のバイデン大統領は、みな副大統領上がりだ。

すなわち今回、両候補のどちらかが将来大統領になる確率は3分の1にも上る。従来、副大統領候補が大統領選挙の行方を左右することはないと言われてきた。しかし今回に限っては、中国共産党がもたらす経済的、安全保障的な脅威を懸念する米有権者にとって極めて重要な意味を持つ。

両副大統領補を単純比較するだけでも、対中政策においてタカ派のバンス候補とハト派のウォルツ候補という対比構造が鮮明に浮かび上がる。

数多くの証拠が示すように、中国共産党の対米破壊戦略は学術界、ビジネス界、政界のいたるところに及んでいる。買収された者は意識的に、あるいは無意識的に中共の計略達成を手助けしている。

毛沢東による文化大革命が始まるちょうど2年前の1964年に生まれたウォルツ氏は子供の頃から「毛沢東の肖像画が街に飾られ、パレードで担がれる」景色に憧れを抱いていた。

数千人が虐殺された天安門事件が発生した1989年(バンス氏は5歳)、当時25歳だったウォルツ氏は初めて中国へ赴き、中国共産党から受けた「最高のもてなし」を称賛した。

ウォルツ氏は天安門事件のわずか1年後、「この先の人生であれほど良い待遇を受けることはもうないだろう。私は持ち帰れないほどの贈り物をいただいた。すばらしい体験だった」と夢中で話した。

1994年、ウォルツ夫妻は新婚旅行で中国・昆明に行った。その前には、ウォルツ氏は意図的に天安門事件5周年記念にあたる6月4日に結婚式を挙げていた。ネブラスカ州の地元紙から結婚式の日付について聞かれた際、グウェン・ウォルツ夫人が、夫は単に「記憶に残る日を選びたかっただけ」と話した。

1990年初めから2008年にかけて、ウォルツ氏はアメリカの学生向け旅行を企画する会社を立ち上げ、洗脳を受けたであろう高校生たちを中国へ送り込んだ。ウォルツ氏はまた、「旅行費用」という名目で中国共産党から金銭を受け取っていた。

議会の財務情報開示陳述書によれば、中国への教育旅行企画はウォルツ氏が下院議員に就任して1年半後の2008年まで続いた。その間、ウォルツ氏は中国を30回以上訪れていた。

一方、共和党のバンス候補は中国共産党とその経済的脅威に対して全く逆の体験を持つ。彼は2016年に発表した回顧録『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』で自身の記憶を振り返る。

バンス氏は1984年、「ラストベルト(さびついた工業地帯)」に位置するオハイオ州のミドルタウンに生まれた。叔父や叔母から「兄弟の名誉を守る」ことや「犯罪者が報いを受ける」といった「善と悪」に関する言い伝えを聞いてきたバンス氏の少年時代は、そのような教訓に満ち溢れていた。

『ヒルビリー・エレジー』を通じて、バンス氏は生まれ育った町を襲った共産主義中国の脅威を大きく描いている。7月、副大統領候補の指名受諾演説でバンス氏は2001年に実現した中国の世界貿易機関(WTO)加盟について、現実に疎い政治家と利益目的の実力者たちによって実現した「なれ合いの取引」であり、「すばらしいアメリカ中流階級の製造業を一段と破壊した」と非難した。

バンス氏は、アメリカ社会が「中国製の安い商品、安い外国人労働力によって圧倒される」現実を目の当たりにし、「数十年すれば、中国産麻薬フェンタニルに侵食される」と述べた。一方、当時37歳だったウォルツ氏は、WTO加盟で波に乗る中国の経済成長に乗じて中国への学生旅行を企画し続け、大きな利益を得た。

2005年、当時海兵隊員のバンス氏と陸軍州兵のウォルツ氏はイラクへ派遣される予定だった。ところが、実際にイラクで従軍したのはバンス氏のみで、ウォルツ氏は連邦議会選挙に参加するためイラク派遣命令が出る2か月前に軍を退役した。後にウォルツ氏の条件付き階級昇格は無効となり、偽りの戦闘経験を述べたために軍歴詐称だと非難を受けた。

2007年、バンス氏はイラク従軍の後、伍長(下士官)として名誉ある退役を迎えた。そのわずか2年後、復員兵援助法(通称:GI法)の支援を受けたバンス氏はオハイオ州立大学を優秀な成績で卒業し、さらにイェール大学のロースクールで法務博士の学位を取得した。

ウォルツ氏は下院議員に就任したのち、中国のマカオ理工大学で客員研究員となった。国立大学であるマカオ理工大学は習近平の「一帯一路」政策を支持し、「祖国中国への献身と愛国心」をアピールしている。

その同じ年にバンス氏は『ヒルビリー・エレジー』を発表し、自らのコミュニティが共産主義中国によって経済的な破壊を受けた顛末を語った。しかしウォルツ氏は2016年のインタビューで、「中国と必ずしも敵対的な関係になる必要があるとは思わない。そのような意見には全く反対だ」と述べ、中国共産党の脅威に立ち向かう必要性を過小評価した。

2019年、ウォルツ氏はその親中戦略をいっそう強化させる。ミネソタ州知事として、中共の経済侵略からアメリカの産業を守ることにとって極めて重要な関税政策に反対の立場を取り、当時のトランプ大統領に対し、「中国との貿易戦争をやめる」よう求めた。

ウォルツ氏の考えでは、「飢えている16億人の消費者に代われるものはない。我々は中国との貿易交渉を正常化させなければならない」「世界において、アメリカの生産能力を吸収できるだけの市場はもう他に残っていない」という。

同年、ウォルツ氏は趙建駐シカゴ総領事と面会し、「米中関係およびサブナショナル協力」──事実上米国における中国の影響力を国家レベルで拡大すること──を議論した。

中国共産党中央宣伝部の保有する英字メディア「チャイナ・デイリー」はウォルツ氏の副大統領候補選出を受け、彼が米中関係正常化をもたらしてくれるだろうと報じた。中国共産党のもたらす経済的脅威に対し、ウォルツ氏は穏健な態度をとると見られている。

8月、ウォルツ氏は民主党大会での指名受諾演説の中で中国共産党や中国のもたらす経済的脅威に言及することはなかった。

対照的にバンス氏は7月の演説で、中国共産党とその脅威からアメリカを守ると明確に述べた。

バンス氏は約束した。「我々は力を合わせてアメリカ人労働者の賃金を守り、中国共産党によるアメリカ搾取を止める」と。

大統領選で民主党が勝利した場合、ウォルツ氏は中国共産党と極めて密接な関係にある者として最も高いポスト(副大統領)につくことになる。それは将来的な大統領候補をも意味し、中共の脅威を懸念する者にとって好ましくない選択になるだろう。

記事作成にあたり、中国研究者・アダム・モロン氏の協力をいただいた。

関連特集: オピニオン