独裁者が教える 独裁者の倒し方

2025/07/08 更新: 2025/07/08

故ピーター・ドラッカーは現代経営学の父とされている。ウィーン生まれの彼は、ヒトラー政権初期にフランクフルト大学の若き講師だった。著書『傍観者の冒険』(『第三帝国の生活』でも再話)で、1933年のヒトラー政権成立直後に行われた、ナチスが支配する最初の教授会について語っている。

ドラッカーは当時の状況を次のように説明している。「フランクフルトには、学問的にもリベラルな思想の面でも優れた科学系の学部があった。中でも際立っていたのは、ノーベル賞級の業績を持ち、自由主義の理念に忠実な生化学者・生理学者だった。」

ナチスの委員は会議の主導権を即座に握った。委員は教授たちに対して、「ユダヤ人は大学構内への立ち入りを禁じられ、3月15日付で無給のまま解雇される」と告げた。

「ナチスの激しい反ユダヤ主義にもかかわらず」、教授陣はそこまでやるとは予想していなかった。

委員は下品な言葉と脅しを繰り返し、「次々と各学科長を指差しながら、『言うことを聞かなければ強制収容所に送るぞ』と告げた」とドラッカーは記している。

その場の空気は凍りつき、誰もが偉大な科学者でありリベラルの象徴である人物の発言を待った。彼は立ち上がって次にように言った。「非常に興味深く、部分的には大変啓発的だった。ただ、一つだけよく分からなかった。生理学の研究予算は増えるのかね?」

教授たちは簡単に買収された。委員は「人種的に純粋な科学」には十分な資金があると保証し、教授たちはそれに何の反発も示さなかった。(学問の世界に身を置いたことがある者なら、それに驚くことはないだろう)

勇気ある少数の教授は、ユダヤ人の同僚とともに退席したが、多くの者は、数時間前まで親しかった友人たちから距離を取った。

ショックを受けたドラッカーは、48時間以内にドイツを離れると決意し、実際にそうした。

同様の出来事はドイツ各地の大学で起きていた。ロバート・ゲレリー氏は著書『ヒトラーの真の信奉者たち』の中で、1933年以前から国家社会主義がすでに大学に根を張っていたことを説明している。

ピーター・ドラッカーがナチス・ドイツを去った直後、ゲレリー氏は次にように記している。「著名な物理学者マックス・プランクは、ユダヤ人教授の待遇について話し合う会議への参加を打診された。プランクは、『もし30人の教授がそんなことをすれば、その職を得たいがために、明日にはヒトラーへの忠誠を宣言する者が150人現れるだろう』とおとなしく答えた」(プランク自身はユダヤ人ではなかった)

ゲレリー氏は「沈黙を貫いた教授たちは、共犯とみなされても仕方ない」と結論づけている。

長期的な生活の破綻は、ドイツの教授たちが短期的な利益のために払った代償だった。

妬みと貪欲、すなわち、何も差し出さずに何かを得ようとする欲望は、人間に共通する感情である。F・A・ハイエクは『法・立法・自由』第3巻で、「開かれた社会を支える道徳は、人間の感情を満たすためのものではない」と説明している。

ハイエクはまた、「文明は、個人が特定の対象に対する欲望を抑え、広く認められた公正な行動の規範に従うことを学んできたという事実に、大きく依存している」とも述べている。

ユダヤ人の職に就こうと列をなしたのは学者だけではない。ゲレリー氏は、「医学博士たちがユダヤ人医師の地位を欲しがってナチ党に駆け込んだ」と報じた。

またドトマス・チルダーズ氏は著書『第三帝国:ナチス・ドイツの歴史』の中で、「すべての『非アーリア人』は、国家、州、地方自治体の公務から直ちに排除された。ユダヤ人は学校教師、大学教授、裁判官、その他あらゆる政府の職に就くことを禁じられた」と記している。

要するに、ユダヤ人を殺害する以前に、ナチス・ドイツは「アーリア人」のための原始的なDEI(多様性・公平性・包摂)プログラムを実施していた。

現在、反ユダヤ主義的な行為を黙認していると非難されているハーバード大学では、ユダヤ人学生の割合は5%未満である。1970年代には、ハーバードの学生の最大25%がユダヤ人だった。

現代の「進歩的」なDEIプログラムは、ナチスのDEIプログラムと同様、ユダヤ人や白人の代表性を教育機関や企業から減らす、あるいは排除することを目的としている。

ソール・フリードレンダー氏の『絶滅の時代』によれば、ナチスの布告は、大衆が受け入れられる範囲を超えることはなかった。国民感情や教会、産業などの有力な団体の意向が考慮されていたという。フリードレンダー氏は次のように記している。

「ドイツおよびヨーロッパ全体において、どの社会集団も、どの宗教団体も、どの学術機関や職業団体も、ユダヤ人に連帯を示すことはなかった……多くの権力集団は、ユダヤ人からの財産略奪に直接関与し、強欲からか、彼らの完全な消滅を望んでいた」

そしてフリードレンダー氏は、「ナチスおよびそれに関連する反ユダヤ的政策は、主要な対抗勢力から一切の干渉を受けることなく、極限まで遂行されることが可能だった」と悲痛な結論を下している。

反ユダヤ主義が最も深刻な結果をもたらすには、国家による強制力が必要である。

チルダーズ氏は、1933年4月1日に政府が支援したユダヤ人商店へのボイコットについても語っている。

「突撃隊員たちはユダヤ人経営の商店、百貨店、法律・医療事務所の前に陣取り、入ろうとする者を威嚇した。彼らは反ユダヤ的なプラカードを掲げ、ユダヤ人の店の窓ガラスにスローガンを落書きした」

「ドイツ人よ、自らを守れ。ユダヤ人から物を買うな」はナチスによるボイコット時に掲げられたスローガンの一つだった。

しかしナチスは、このボイコットに対する国民の反応に満足していなかった。チルダーズ氏は次のように記している。

「多くの買い物客がボイコットを無視し、突撃隊(SA)の見張りを押しのけて、ユダヤ人の商店やデパートに買い物に出かけた」

さらに悪いことに、「一部の客はユダヤ人経営の店に無理やり入ろうとし」、「他の買い物客はボイコット開始前から熱心にユダヤ人の店で商品を買いだめしていた」という。

その翌日、ボイコットは中止された。ナチスは、より過激な措置に移る機会を待つことにした。

チルダーズ氏はまた、1933年当時、ドイツ人は「依然としてユダヤ人の医師や弁護士のもとを訪れていた」とも報告している。だがそれから間もなく、新たな布告によって、ユダヤ人医師はユダヤ人患者のみを診療することが許されるようになり、多くの医師が国外逃亡を余儀なくされ、やがて強制収容所で命を落とすこととなった。

当初は、商取引の絆がナチスの憎悪よりも強かった。だがナチスは、人々の生活を支えるその商業的な結びつきを破壊しようと、執拗に動き続けた。

デイヴィッド・ヒュームは『道徳原理に関する探究』の中で「すべての人間は社会と強く結びついており、孤立して生きることが不可能であると認識するがゆえに、社会の秩序を促進する習慣や原則に好意を抱くようになるのだ」と書いている。

ヒュームはこのような秩序を「計り知れない祝福」と呼び、それは「正義と人道の実践によってのみ維持されうる。これによってこそ社会的連帯は保たれ、すべての人が相互の保護と援助の恩恵を受けることができる」と述べている。

また、彼の主著『人間本性論』では、「情念(感情)は非常に感染力が強く、最も容易に人から人へと伝播する」とも述べている。

社会の崩壊の根底にある人間の情念のひとつは、「必要から解放されたい」という飽くなき欲望だと言えるかもしれない。F・A・ハイエクは『隷従への道』において、この欲望を「私たちすべての選択肢を制限する状況からの解放への渇望」と表現している。

私たちにできる選択は、「不足という現実からの完全な自由」という不可能な約束を掲げる政治家を支持するのか、それとも「強制からの自由」という実現可能な自由を掲げる政治家を支持するのか、ということである。

ハイエクが『自由の憲章』で述べたように、自由とは、「私たちの願望を満たすために政府が強制力を行使することを排除する」ものである。

人間の本性は、しばしば自由ではない手段(不寛容・抑圧的な政策)を通じて欲望を満たそうとするが、自由(強制からの解放)こそが、反ユダヤ主義の危険な拡大に対する最も効果的な処方箋となる。
 

(出典:米国経済研究所[AIER])

ボルチモア大学における経済学およびリーダーシップ理論の名誉教授。著書に『The Inner-Work of Leadership(リーダーシップの内なる仕事)』があり、その論考は、経済教育基金(Foundation for Economic Education)やインテレクチュアル・テイクアウト(Intellectual Takeout)などの出版社に掲載されている。
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