イーロン・マスク氏が新党「アメリカ党」設立を発表。だが、制度的制約、人材確保の難しさ、トランプ政権の妨害という三つの壁が立ちはだかる。アメリカ政治の分極化の中、第三党はどこまで影響力を持てるのか注目される。
イーロン・マスク氏とトランプ大統領の決裂によって、マスク氏は議会に影響力を及ぼす第三党の設立に踏み切った。では、誰がこの動きを最も恐れているのか。
本稿では、マスク氏の政界進出を阻む三つの壁を検証する。「ウォール・ストリート・ジャーナル」は、マスク氏の中国での事業展開がすでに行き詰まっていると警鐘を鳴らしている。
一方、トランプ大統領は大統領選挙に向けた「秘密兵器」を準備済みであり、その手法は大半の経済学者やウォール街の常識と正反対の道を取っている。トランプ大統領はマスク氏に対して「完全に脱線した」と評したが、民主党の静けさが本物であるのかは依然として疑問が残る。
2025年7月5日、かつてトランプ大統領と親密な関係にあった億万長者イーロン・マスク氏が、「アメリカ党(America Party)」の設立を正式に発表し、独自の選挙計画を公表した。マスク氏の狙いは、精緻な戦略によって議会に影響力を持ち、上院で2~3議席、下院で8~10議席の獲得を目指し、2026年選挙で重要な役割を果たすことである。
この発表から1日後、トランプ大統領が反応を示した。記者に対し、アメリカ政治は二大政党制であり、第三党が成功する可能性は低く、マスク氏の動きは愚かだと語った。さらに自身のSNS「トゥルース・ソーシャル」では、「イーロン・マスク氏は完全に脱線し、この5週間は列車事故の残骸のようだ。非常に悲しい」と投稿した。それ以外では比較的抑制的な姿勢を取り、グリーンエネルギーに関する連邦補助金の廃止を以前から主張していた点、NASA局長候補に関するマスク氏の推薦内容についても、「その人物は優秀だが、民主党員であり共和党に寄付したことがない点には驚いた」と説明した。
新党設立の背景とトランプ大統領との対立
しかし、トランプ大統領のこの説明は、マスク氏が抱える不満の核心と乖離している。マスク氏は「アメリカ党」の中心課題として赤字削減を掲げ、政府効率部(DOGE)の設立にも関与し、その任務として財政健全化を強調してきた。過去1か月間、マスク氏はトランプ政権の巨額予算を批判し、DOGEチームの努力が「笑いもの」にされたと嘆いている。最近では、トランプ大統領が推進する「大きくて美しい法案」に多数の利益誘導条項が含まれ、結果的に5兆ドルの財政赤字を招いたと強く非難した。
政府支出削減の是非に関しては、すでに別稿で論じた通り、トランプ大統領が当初掲げた1兆ドル削減案を2千億ドルに縮小し、その後打ち切ったのは、経済の軟着陸と政治的妥協の両立を狙った現実的判断であった。大統領として、民間主導経済への平和的移行を保証する責任があり、一挙に政府支出を削減すれば、大量失業と深刻な経済混乱を招くリスクが高い。これに対し、マスク氏の立場は理想主義に傾いており、企業経営であれば即効性のある改革も可能だが、国家運営には段階的な調整と妥協が不可欠である。
とはいえ、現在の焦点はそこではない。アメリカと世界の注目は、「アメリカ党」がアメリカ政局に与える影響、そして「アメリカを再び偉大に」を掲げるトランプ陣営がどれほどの打撃を受けるかという点に移っている。
米主流メディアや評論家は、マスク氏がトランプ大統領への対抗を本格化させたと捉えている。右派の「ニューヨーク・ポスト」は即座に論評を掲載し、左派メディアは反応が遅れた。「ニューヨーク・タイムズ」は珍しく中立的な姿勢を示し、新党設立の困難性や、マスク氏が2千万ドルを投じたウィスコンシン州最高裁の選挙で敗北した事例を挙げて解説した。多くの評論家は、民主党は当面静観し、マスク氏と共和党との抗争の行方を見極めようとしていると推測している。
政治学者の多くは、「アメリカ党」が共和党にとってより深刻な脅威になると分析している。例えば、ポーツマス大学のダフィッド・タウンリー氏は「ニュースウィーク」で、「マスク氏の新党は共和党の票を分裂させ、短期的には民主党が下院を掌握する可能性がある。なぜならアメリカの選挙制度は勝者総取り方式だからだ」と述べている。
「Voxニュース」も同様に、アメリカ党が短期的に民主党を利する可能性を指摘しており、接戦区での共和党票の分裂が民主党の勝利に繋がると見ている。
しかし、私はこうした見解に同意しない。抑制やけん制を求める有権者が、必ずしもマスク氏の候補に投票するとは限らない。マスク氏は「中間80%」という立ち位置を掲げ、既存政党に不満を持つ無党派層や中道層を直接狙っている。現時点でのアメリカ政界における最大の特徴は、民主党が著しく民心を失っており、共和党の支持率が比較的高い点にある。この状況下で最もマスク氏を恐れているのは、明らかに民主党である。
2025年3月末、CNNが発表した世論調査は全米に衝撃を与えた。議会民主党の支持率はわずか21%にとどまり、不支持率は68%に達した。
さらに、マスク氏はテスラおよびスペースXのリーダーとして若年層やテック業界に強い影響力を持つ。これにより、カリフォルニア州やワシントン州など、テクノロジー関連の民主党地盤が揺らぐ可能性が高まっている。
現代アメリカの政治的分極化は極端に進行しており、多くの有権者はトランプ大統領の政策を評価しつつも、トランプ本人には好意を抱いていない。このような中道左派や独立系の有権者層が、より穏健で現実的な政策を訴えるマスク氏に期待を寄せることは十分にあり得る。
そのため、民主党はマスク氏を標的に定め、広告キャンペーンなどで彼をトランプ大統領と結びつけ、リベラル層の反発を煽ろうとするだろう。しかし、マスク氏は無党派層への訴求力を依然として保っており(2025年2月のピュー・リサーチ・センター調査では、国民の54%がマスク氏に否定的な見解を示したにもかかわらず)、この要素が民主党にとっての接戦区戦略を損なう恐れがある。
したがって、現在左派メディアが見せている冷静さは表面上の演出に過ぎず、内心では他の誰よりも強い警戒心を抱いていると考える。
政治は容易な道ではない マスク氏の建党構想を阻む三つの壁
マスク氏の建党構想が最終的に誰にとって破壊的な結果をもたらすかは、彼が誰を主要な政治標的とするかに左右されるという見方も存在する。この見解には一定の説得力がある。しかし、マスク氏が直面するであろう現実的な困難を冷静に見れば、彼が最終的に理性的な判断を下し、トランプ政権と過度な対立を避けるという予測に至る。
トランプ大統領が語ったように、「アメリカは二大政党制を基盤としており、第三党は機能しない。楽しみのためにやるなら理解できるが、本気でやるなら愚かである」という認識は、事実に即している。多くの人々がマスク氏の影響力や資産に注目するが、それだけで政党を築くことは不可能である。彼の前には、三つの重大な壁が立ちはだかっている。
第一の壁 制度的なレッドライン 企業経営と政党運営の両立は不可能
アメリカの選挙法(52 US Code §30118)は、企業資源による政党活動の支援を厳しく禁じている。企業が政党のために資金や人材、ブランドプラットフォームを提供すれば、刑事罰や巨額の罰金の対象となる。マスク氏がテスラやX(旧Twitter)を利用して「アメリカ党」の宣伝を行えば、即座に違法行為と見なされる。
2011年、Googleが社員によるオバマ陣営の技術支援を黙認した件では、FEC(連邦選挙管理委員会)の調査が入った。この前例を見ても、マスク氏には企業と政治の間に明確な「ファイアウォール」を設け、政党運営を完全に分離させる必要がある。
政党活動に使用できる資金も大幅に制限される。マスク氏はSuper PAC(政治活動委員会)を設立し、第三者に政党運営と資金調達を委ねるほかない。その結果、彼の巨額の資産であっても、政治活動に投入できるのは限定的となる。
さらに、企業の株主や取締役会も政治活動への関与を警戒する。ベッセント米財務長官が指摘したように、マスク氏の背後には時価総額数千億ドルの企業群が控えており、これらの経営陣が期待するのは、政治家マスク氏ではなく、事業に専念する技術者マスク氏である。
テスラの運営にも不安要素が増している。左右の政治勢力を同時に敵に回したことで、アメリカ国内での事業展開は困難を増し、中国市場への依存度も高まっている。しかし問題の核心は、「ウォール・ストリート・ジャーナル」の最新報道が示したように、中国共産党(中共)は新たな貿易戦争の中でテスラに対して直接的な報復を行っていないものの、中国国内の企業を優遇する政策を進めている点にある。たとえば、テスラの自動運転技術「FSD」の承認が遅れている背景には、中国企業が同様の技術を獲得しようと激しく競い合っている状況がある。同時に、マスク氏とトランプ大統領の公然の対立が、マスク氏の中共に対する政治的価値をさらに低下させている。
第二の壁 制度と構造が政治人材の獲得を妨げる
マスク氏自身が議員選挙に立候補することはできない。したがって、優秀な政治人材をいかに集めるかが鍵となる。しかし、現実には非常に困難である。
アメリカの各州では、新党設立や候補者の立候補に関して複雑かつ厳格な登録条件を設けている。カリフォルニア州では、7万5千人の有権者登録、または110万人の署名が必要となる。50州すべてでこの手続きをクリアするには膨大な時間と費用がかかり、マスク氏の財力をもってしても容易ではない。
アメリカの選挙制度は「勝者総取り」方式を採用しており、第三党が議席を獲得するのは極めて難しい。過去の例では、自由党などの得票率は3%未満にとどまっている。1992年のロス・ペロー氏の改革党は19%の票を得たものの、選挙人票はゼロであった。
優秀な政治家ほど、現実的な影響力や支援を求めて二大政党に流れやすい。マスク氏の新党には、確立された組織構造、明確な綱領、政権運営の実績が欠けており、経験豊かな人材の参入は極めて困難である。
第三の壁 トランプ政権の圧力と妨害
最大の政治的壁は、トランプ政権による直接的な妨害である。トランプ大統領は過去にSpaceXの政府契約削減を示唆しており、今後もアメリカ証券取引委員会(SEC)などの規制機関を使ってマスク氏に圧力をかける可能性がある。2023年には、X上での発言を理由に2千万ドルの罰金を科した。
トランプ大統領はまた、マスク氏の新党に対抗して共和党内の協力者を動かし、選挙戦で妨害することもできる。現実的には、マスク氏が出馬しても、下院で数議席の獲得が精一杯であり、上院進出は政治生命を危険にさらす選択となる。これでは、有能な人材の確保はさらに難しくなる。
トランプ大統領政策こそが最大の壁である
マスク氏の最大の敵は、トランプ大統領その人ではなく、彼の政策そのものである。トランプ大統領の経済政策は極めて現実的かつ成果主義的であり、それ自体がマスク氏の建党構想を無力化する。
トランプ大統領は国内エネルギー生産を促進し、中東との外交関係を安定させることで、原油価格とインフレを抑制した。さらに、関税政策は交渉戦略の一環として用いられ、実質的な関税率はそれほど高くない。輸出国がその負担を吸収することで、アメリカのインフレ率に影響を及ぼさず、同時に巨額の税収を確保している。
「大きく美しい法案」と称された財政政策は、支出を増やすように見えるが、実態はレーガン時代の供給サイド経済学に基づいており、減税によって経済成長と税収増加を目指す。これにより、財政赤字の自然な縮小を狙う。
一方で、マスク氏が財政均衡の必要性を訴えれば、庶民の可処分所得を脅かす存在と映り、政治的に不利となる。したがって、マスク氏がいかに論理的であっても、有権者の「財布」を潤す存在が選挙に勝利する。
マスク氏とヴァンス副大統領の微妙な距離感
マスク氏とヴァンス副大統領の関係について語る者は少ない。ヴァンス副大統領は、シリコンバレーにおける保守的勢力の代表格であり、その勢力はトランプ大統領がデジタル通貨、ハイテク、そしてAIの分野で大きな飛躍を遂げることを期待している。現在、トランプ政権はステーブルコイン法案などを通じて、そうした期待に応える政策を一つずつ実行に移している。だが、仮にマスク氏がテクノロジーやAIへの支持を掲げたとしても、果たしてどこまでその支持層を引きつけられるかは不透明である。
私(秦鵬)は個人的には、マスク氏に好感を持っており、彼とヴァンス副大統領が全面的に協力すれば、アメリカをより強く導けると考えている。そのため、できる限り客観的かつ中立的な立場から状況を分析しているつもりである。ただし、現実には、強い個性を持つ者同士が長期的な協力関係を維持することは容易ではない。両者の進む道がいずれ分かれる可能性も否定できない。
今後の動向について、引き続き注視していく必要がある。

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