中国 九頌基金の創設者・管金生 波乱の生涯に幕

2025/10/10 更新: 2025/10/10

10月7日、九頌基金(私募投資ファンド)の実質的支配者であり、執行董事の管金生(かん・きんせい)が突発的な病により救命処置の甲斐なく逝去した。享年78歳であった。

10月9日深夜、九頌基金は公式WeChatアカウントを通じて声明を発表し、同社の執行董事である管金生が2025年10月7日に突発的な病により死去したことを公表した。

管は1947年、江西省清江県の山村に生まれた。1982年に上海外国語学院(現・上海外国語大学)フランス語学科に入学し、その後公安機関の翻訳職から転じて上海国際信託投資公司に勤務。経理補佐、副経理を歴任し、さらにベルギー・ブリュッセル自由大学に派遣され、法学と経営学の修士号を取得した。

1988年、管は中国初の証券会社である「万国証券」を創設した。当初の資本金は数千万元にすぎなかったが、短期間で資産規模数十億元の総合金融機関へと急成長させた。最盛期には、万国証券は中国国内すべてのB株を保有し、A株の70%以上を運用、引受業務では中国全体の60%を占めていた。

当時管は、まさに時代の寵児であった。しかし、1995年の「327国債事件」により、管は一夜にして栄光の頂点から転落することになる。

「327」とは国債先物契約のコード名であり、当該国債の発行総額は240億元(約4800億円)、償還方法は表面利率8%に保値補助を加算するものであった。

証券業界専門紙『券商中国』の報道によれば、管金生は保値補助率が8%の水準にとどまると予測し、国債は132元(約2640円)で償還されると判断。これに基づき、万国証券は遼寧国発グループと連携して「327国債」の空売りに大規模に動いた。一方、対する買い方は、財政部傘下の中国国際信託投資公司であった。

時事評論家の陳思敏氏が大紀元に寄せた過去の論考によれば、当時、管金生率いる空売り側は「過去7年連続でインフレ率が2桁に達し、国庫が逼迫している状況下で、政府が巨額の補助金を投じて327国債を償還することはない」と見ていた。しかし1995年2月23日午前、財政部は「327国債を148.50元(約2970円)で償還する」との声明を発表。つまり、政府は追加で16億元(約320億円)の補助を支出することを決定したのである。

「言い換えれば、管金生の経済的ファンダメンタルズや技術的な分析は、たったひとつのインサイダー情報に敗れた」と陳氏は述べる。当日の取引終了直前の8分間、管金生らはシステムの盲点を突き大量の売り注文を出したが、流れを変えるには至らず、最終的には「権力によって直接操作された判定」により取引そのものが無効とされた。その結果、万国証券は60億元の損失を被った。

事件の翌日、万国証券には取り付け騒ぎが起こった。1995年4月、管金生は責任を取り辞職。同年5月19日、管金生は海南省で汚職および公金横領の容疑により逮捕された。同月、国債先物市場は閉鎖した。1997年2月3日、管は贈賄および公金横領罪により懲役17年の実刑判決を受けた。

その後、管金生は2003年に病気治療を理由に仮釈放され、以降は公の場から姿を消した。2016年、69歳となった管は再び起業し、「上海九頌山河股権投資基金管理有限公司」を設立。新技術・新素材分野に注力した中外協力型の平行ファンドの設立を主導した。

 

高慧
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