昭恵さんが公判で伝えた安倍元首相の遺志「私を哀しむより志を継いで」

2025/12/19 更新: 2025/12/19

令和4年7月8日に発生した安倍晋三元首相銃撃事件の論告求刑公判において、妻・昭恵さんは、亡き夫が大切にしていたという幕末の思想家・吉田松陰の言葉を引用した。「われを哀しむは、われを知るにしかず。われを知るは吾が志を張りて、之を大にするにしかざるなり」という言葉である。この一節には、突然の死によって潰えた一人の政治家の無念さと、遺された人々がその「志」をどのように受け継ぐべきかという、強いメッセージが込められている。

悲しみを超えて「知る」ということ

昭恵さんは意見陳述において、夫を亡くした喪失感は一生消えることはないと吐露している。しかし同時に、彼女は憎しみや恨みといった負の感情に支配されないよう、自らの感情を俯瞰し続けてきたという。

松陰の言葉にある「われを哀しむは、われを知るにしかず(私を哀れむよりも、私という人間を理解してほしい)」という一節は、単なる同情を拒絶し、その人物が何を成そうとしたかに目を向けるよう促すものである。安倍元首相は、通算3188日の在職期間中、196の国と地域を訪問し、「日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ」という信念のもとで地球儀を俯瞰する外交を展開した。トランプ前大統領やアボット元首相ら各国首脳から寄せられた1700件以上のメッセージは、彼が日本と国民のために尽くした足跡を世界が「知っている」ことの証左といえる。

貫かれた「志」の象徴

「われを知るは吾が志を張りて、之を大にするにしかざるなり(私を知るというなら、私の志を継承し、それをさらに大きく広げてほしい)」という後半部分は、行動への呼びかけである。

安倍元首相にとって、政治家として最も果たさなければならなかった「志」の一つは、拉致被害者の救出であった。第一次政権退陣後も再起を期して活動し、首相再登板後も首脳会談のたびにこの問題を訴え続けた。事件当日、彼の胸元にあり、弾丸に弾き飛ばされながらも割れずに戻ってきたブルーリボンバッジは、拉致被害者救出への決して折れない強い意志の象徴であった。

次世代へ繋がれる「種」

昭恵さんは、刑事裁判に被害者参加制度を利用して出席し、被告の態度や表情を自らの目で見届けた。被告からの直接的な謝罪はなかったが、昭恵さんは未来を見据えている。

現在、若い世代の手によってネット上にデジタルミュージアムが作られるなど、安倍元首相の遺志を継ごうとする動きが広がっている。昭恵さんは、夫がまいた「志」という種を実らせようとする若い人々とともに、前を向いて歩んでいく決意を示した。

「政治は命がけでやるもの」と語っていた安倍元首相の生涯は、まさに吉田松陰が説いたように、哀しまれる存在であることを超え、その志を継ぐ者たちの手によって、今もなお「大きく」なり続けているのである。

この一連の出来事と松陰の言葉が示すのは、現代という時代が、個人の幸福や感情にのみ埋没する「私」の時代から、国家や社会といった「公」のあり方を再び見つめ直す時代へと、大きなうねりの中で変革しているという兆しではないだろうか。一人の政治家が命を賭して守ろうとした「志」が、次世代の若者たちに共有され、大きな種として芽吹き始めている事実は、まさに私的な悲しみを超えた「公」の精神の再生を示唆している。

▶大紀元EPOCH TIMES JAPAN編集長 ▶「日本の思想リーダーズ」「THE PARADOX 真実のへ扉」番組ナビゲーター 、「大紀元ライブ」番組ホスト。
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