アメリカに君主がいたら 現代政治に欠けた視点

2026/01/20 更新: 2026/01/20

ご存じのように、米国人には君主制に対する懐疑が根強く存在する。

アメリカ人のDNAには、君主制を軽蔑し、実力ではなく生まれによって地位を得た者を見下し、「民衆による政治」を大切にする。これは1776年7月4日の建国以来変わらぬ原則で、当時植民地の住民は英国国王ジョージ3世の支配を終わらせる戦いに勝利した。

アメリカ人はその後、国王という存在を明示的に排し、権限が厳格に制限され、相互に均衡の取れた連邦政府を備える国家を築き上げた。これらの原則は、明確な社会契約としての憲法によって保障されている。

主権は人民に存するのであって、暴君へと転じかねない欠陥を抱えた一個人が行使すべきものではない。

上記の事実を否定する者はいないだろう。一方で、君主制がアメリカとその歴史にもたらした恩恵もまた深く根付いている。

以下の例を考えてみてほしい:クリストファー・コロンブスはスペイン王室のために勇壮な貢献を果たし、アメリカ大陸をヨーロッパ人の地図に刻み込んだ。これを機に、ヨーロッパ人は直ちに渡航を始め、やがてそこで植民地を形成していった。1620年のメイフラワー誓約から1776年まで、アメリカにはイギリス王室に忠誠を誓い、その支援を受けてきた150年以上の歴史がある。

その王室と植民者との関係が悪化すると、植民者たちは別の君主制に目を向けた。フランス国王ルイ16世のもとでのフランス王政による財政的・軍事的支援は、独立戦争における愛国派の勝利にとって決定的に重要なものだった。

20世紀において、アメリカの敵対勢力である独裁勢力に対し、ヨーロッパの最前線で断固として立ち向かったのはイギリス王室である。その独裁勢力はすなわち、第二次世界大戦期のドイツ国家社会主義者(ナチス)と、冷戦期のソビエト連邦共産党だ。

また、これら二つの大量殺戮を行ったイデオロギーであるナチズムと共産主義は、いずれも君主制という制度に反対していたことも注目する価値がある。

21世紀においても、現在なお君主が存在する日本は、中国共産党の地域的覇権に対抗するうえで、引き続きアメリカの強固な同盟国であり続けている。

アメリカ政治のある欠落点

次に、ここ現代における別の一連の事実を見てみよう。現在のアメリカの国家債務は約38兆ドルに達している。あえて書き出すと、38,000,000,000,000,000ドルだ。これは、男女や子どもを含めた国民一人当たり約11万ドルに相当する。USDebtClock.orgを見れば分かるように、この債務は毎日毎瞬増え続けている。

民主党であれ共和党であれ、この癌のような増殖を解決できず、変化の兆しは全く見えていない。両政党とも、自党候補の再選を保証したいのだ。そのため、票を得るには、医療、社会福祉、産業補助金、インフラ、目玉事業などに資金を投じなければならない。

自由市場の原則から考えれば、これは明らかに不健全な傾向だ。政府の介入が増えれば増えるほど、問題は悪化する。例えば、低所得者向けの公的な食料配給券(フードスタンプ)の受給者は、長期的にはそれを受けない方がむしろ良い状況になる可能性がある。

彼らにとっては、短期間の苦労を経験して自分を鍛え、職を得るべきだ。そうでなければ、より厳格な監視の下で自己責任を促すような、民間の地域ケアを受ける方が、結局は本人のためになる。

しかし、フードスタンプを受けている人々が、こうした主張をする候補者に投票することはないうえ、他の多くの人々も、他者にこれほど明らかな苦痛をもたらす人物に投票する気にはなれない。その結果、現状は続く。これは、ローマ共和政時代に有権者をなだめるために用いられた「パンとサーカス」と同じくらい古い、民主主義の欠陥である。

政治的権限を持つ君主の利点は、こうした困難な選択を国王や女王が行えることだ。君主は選挙で落選することがない。これは長期的には国民全体にとって利益となる。人々は自立を余儀なくされ、国家債務も減少していく。

また、君主は政党を超えた存在で、国家を代表する存在だ。フランス国王ルイ14世が述べたとされる「レタ・セ・モア(朕は国家なり)」という言葉が示すとおりだ。君主は4年から8年で任期が終わるわけではないため、特定の政党ではなく、国家の良き管理人として振る舞うべき当然の動機を持っている。

君主は国家を後継者、おそらく血縁関係者に引き継ぐ。そのため、政治的に安定し、財政的にも健全な状態で国を次代に渡すため、あらゆる手段を尽くさなければならない。この点こそが、現在のアメリカ政治に欠けている立場であるとも言えるだろう。

君主制を理解する鍵

アメリカにおける君主制への嫌悪は、歴史上の君主たちの専制的な振る舞いに根ざしている。アメリカの歴史教科書では、ジョージ3世統治下の「代表なしの課税」が、独立革命へとつながった事例として挙げられている。

実は、この政策は当初イギリス議会によるものであり、ジョージ3世はこれに反対していたことが、ハーバード大学出版局の動画の中で、歴史家で『王党派の革命(The Royalist Revolution)』の著者であるエリック・ネルソン氏によって指摘されている。

不満を抱いた植民地の住民たちは、当初自分たちを議会に反対する「王党派」、すなわち君主制支持者だと考えていた。「彼らが求めていたのは、君主制を減らすことではなく、むしろ強化することでした」とネルソン氏は述べている。

この時点で、イギリス王政はすでに二度の革命を経験しており、そのうち一度は国王が斬首されている。その約1世紀後、ジョージ3世の権限は大幅に制限されており、彼は議会に従ってアメリカの造反者たちと対立するほかなく、それゆえに入植者たちの憤慨の矛先となった。

おそらく、こうした詳細が歴史教科書から省かれてきたために、現代の人々の想像の中では、君主は独裁者と同一視されるようになっています。「北朝鮮の金正恩と君主に、本当の違いはあるのか」と、現代の若者は問いかけるかもしれません。

全体主義的で、退廃的かつ悪意に満ちた金正恩は、現代北朝鮮を築いた共産主義指導者・金日成の孫だ。現在の金正恩も、まるで王と呼ばれてもおかしくない存在のように見える。

しかし、君主制と金正恩のような現代の独裁者との間には、極めて重要な違いがある。その最大の相違点は、精神性に根ざした道徳性だ。北朝鮮は公式に無神論を掲げ、宗教は厳しく弾圧されている。

歴史的に見ると、君主は精神的信仰と結びつき、道徳秩序を体現する存在だった。現在でも、チャールズ3世国王は形式上、イギリス国教会の首長だった。

これらの君主の政治的・宗教的役割は、今日では主に象徴的なものだが、かつてはそうではなかった。彼らは、歴史を通じて君主という地位に、重要な道徳的・精神的役割が付随してきたことを示している。君主は大きな権力を持つ一方で、道徳秩序の担い手として極めて重い責任も負っていたのだ。

フランスでは、これに関連する考え方として「ノブレス・オブリージュ(高貴なる者が負う義務)」が知られている。高貴な身分や王権を与えられた者には、貴族の身分を持たない人々に対して、寛大さや思いやりを示す義務があるとされた。

こうしたあり方は、大抵において当時の常識(規範)であり、今日文化作品などで描かれる、傲慢で冷酷な貴族という使い古されたイメージとはかけ離れていた。

これは、今日の文化的表現に見られるような、鼻持ちならず意地悪な貴族というステレオタイプとは異なり、実際には大部分において当たり前の規範だった。1952年のアカデミー賞受賞作『ローマの休日』は、ノブレス・オブリージュの好例だ。

この作品では、オードリー・ヘプバーン演じる十代の王女が、王族という高い地位に求められる厳しい責任に応えるため、自らの人格を磨いていく姿が描かれている。総じて言えば、ヘプバーンが演じたような、伝統と精神性に根ざした王権は、道徳的に悪ではなく、むしろ善であるといえる。

アメリカの道徳的指導者

アメリカで、君主の存在は、偉大で善なる創造主への信仰、そして精神的・道徳的に善くあろうと努める理想と結び付けられることができる。これらは単純でありながら力強い信念であり、アメリカの国民的基盤や建国の父たちの思想に根ざしている。実際、独立宣言には「創造主」や「神の摂理(divine Providence)」という言葉が記されている。

さらに、ジョージ・ワシントンは有名な告別演説の中で、「政治的繁栄へと導くあらゆる気質や習慣の中で、宗教と道徳は不可欠な支えである」と述べている。第二代大統領ジョン・アダムズもまた、「我々の憲法は、道徳的で宗教的な人民のためにのみ作られたものである」と記している。

アメリカに君主がいれば、国を再びこうした価値観(ノブレス・オブリージュなど)へと立ち返らせるでしょう。さらに、特定の政党に属さず、代わりに国家の普遍的な道徳秩序と結びついたそのような君主は、現在アメリカが直面している多くの問題を解決できるだろう。

国のトップが政党に縛られない存在であれば、現在蔓延している、うんざりするほど画一的な党派対立は一気に鎮静化し、もっと理知的な議論ができるようになるはずだ。実際、ジョージ・ワシントンは政党に属しておらず、その形成に反対していた。

また、君主は常識的な道徳的立場を取ることができる。例えば、『性別は二つのみである』、あるいは『不法移民は強制送還されるべきだ』といった立場だ。こうした方針がわずか4年で覆されてしまうという懸念もなくなる。

外交政策に目を向けると、ロシアが2014年と2022年の二度にわたり、戦略的にウクライナを攻撃したことが分かる。ロシアは、その時のアメリカ政権を握っていた政党が、自分たちに立ち向かってこないことを見透かしていた。もし君主がいれば、米国の敵対国や競合国に付け入る隙を与えるような、こうした外交政策の空白(ギャップ)を埋めることができるだろう。

潜在的には、アメリカの憲法の大部分はそのまま維持されるが、大統領という地位を国王または女王およびその世襲の系統に置き換えるため、一部の条文は当然ながら改正されることになる。

アメリカの君主は、大統領と同様の制約を受けることになる。例えば、大統領と同じく、国王は法案に拒否権を行使できるが、議会の3分の2以上の賛成によって覆される可能性がある。

また、法律に違反した場合には、大統領が罷免されるのと同様に、その地位を失うことになる。もし適切な後継者が存在しない場合には、新たな君主とその王統が選出されることになる。

ローマ共和政は、君主制へ移行したことで、より繁栄し安定した国家となった。同様の転換は、アメリカにとっても利益をもたらす可能性がある。こうした事実や、新たな千年紀に向けて、より強く安定したアメリカを築く可能性を踏まえれば、真のアメリカ人なら、君主制を少なくとも少し真剣に考えるべきだろう。

米ニューヨークで歴史と文学を教えている。あわせて、ニューヨークに本部を置くNPO「古典詩人協会」の会長兼編集長も務めている。
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