孔子と弟子たちの問答
儒教の始祖・孔子は「有教無類」を唱え、身分や地位にかかわらず、すべての人が教育を受けるべきだとし、私塾を開いて教育を普及させました。門下に3千人の弟子がおり、中国の伝統文化を後世に伝えることを自らの責務として、生涯を通じて学問を教えました。また、孔子は人を啓蒙することを重視し、それぞれの能力と素質に応じて、異なる言葉で諭しました。その一例を紹介しましょう。
韓流スターに孔子の末裔 高麗に渡った唯一の子孫
今年のカンヌ映画祭にも出席した韓流スターの1人、コン・ユさん(37)は最近、台湾メディアの取材に対し、自身が孔子の子孫であることを語った。コン・ユさんは「僕の両親は嘘をつくような人じゃないからね」と笑いを誘った後、「孔子の子孫であることを誇りに思っている」と語った。
今年のカンヌ映画祭にも出席した韓流の俳優コン・ユさん(37)は最近、台湾メディアの取材に対し、自身が孔子の子孫であることを語った。コン・ユさんは「僕の両親は嘘をつくような人じゃないよ」と笑いを誘った後、「孔子の子孫であることを誇りに思って
【二十四孝】曽参(そうしん)の親孝行
春秋時代、曽參(そうしん)という人がいました。彼は非常に親孝行で、いつも両親の好みに合わせて食事を作っていました。曽參の父親が亡くなると、曽參は羊棗(やんつぁう、柿の一種)を二度と口にしなくなりました。曽參の父親が大好物だったからです。
中国社会に見られるルネサンス
中国では近年、茶道や書道などの伝統文化を楽しむ「お稽古」の人気が高まっている。簡体字ではなく、伝統的な繁体字を書く人も現れ、20代の人達にもこのような「ルネサンス」の傾向が見られる。彼らは繁体字を書くことによって、道徳を重んじた伝統文化との距離が縮まると考えているようだ。中国社会に広がる物欲主義に、閉そく感を覚えていると指摘する声もある。
シンプルな思考は幸福を招く
幸福は自分の力で得たものですか? この問いに、皆さん一人ひとり異なる見解があると思います。また、幸福を得るために、どのような努力が必要なのかは、人によって方法が異なります。世の中にシンプルな思考の人たちがいます。彼らはただ純粋に人間としての道理、そして、正しい道理に従って事を処理しています。彼らの人生は苦難に満ちた経験があるものの、毎日の生活はシンプルで充実し、楽観的で小さなことにこだわりを持たず、いつも心が満たされています。
孔子が認めた七歳の子ども
孔子が弟子たちを連れて泰山に向かった時の話である。弟子の子路が馬車を引き、孔子は馬車の中から外を眺めていた。ある村を通り過ぎようとしたとき、突然道端から子供が飛び出して馬車の前に立ち塞がった。「あなたたちは、礼儀というものを知らないのですか」と子供は意気込んで言った。
孔子と儒教――中国思想の一源流の形成
孔子(前551~前479)は、儒教の創始者である。生年は一説に前552年といわれ、名は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。魯の国(山東省曲阜)に生まれた。
先祖は殷の王族の子孫である。幼少のころに両親をうしなった。「吾、十有五にして学に志す」(『論語』為政篇)に示されるように、孔子は年少の頃より勉学に励み、貧賤のうちに成長して魯の官吏となり、大司寇(だいしこう)という地位にまでのぼりつめた。
孔子が説く「君子の道」
一、君子の徳行
孔子曰く、「顔回は君子の徳行を四つ持っている。一つ目は仁義を貫く事、二つ目は人の勧告を素直に受け入れる事、三つ目は官職に慎重で謙虚である事、四つ目は日頃の行いを慎んでいる事。史鰍も君子の徳行を三つ持っている。一つ目は官職がなくても上の者に忠誠を尽くす事、二つ目は祭祀を行わなくても神様を尊敬する事、三つ目は自分に厳格であり、他人に寛容である事」
【儒家故事】 学問は何よりも勝る
【大紀元日本6月15日】ある日、孔子は息子の伯魚にこう言った。「人を夢中にさせ、飽きさせないものは、おそらく学問しかないだろう。容姿が悪くとも、力がなくとも、家柄が貧しくとも、頼れる人がいなくとも、末
【儒家故事】 孔子と弟子の問答
【大紀元日本5月18日】子夏は孔子に聞いた。「顔回は、どのような人ですか」 孔子は、「顔回は人として正直であり、この点では私より優れているのだ」と答えた。 子夏は聞いた。「子貢はどのような人ですか」
【道家故事】 楽しきかな人生
【大紀元日本11月25日】ある日、孔子が泰山を遊覧していると、街で栄啓期と言う人物を見かけた。彼は質素な身なりをして腰ひもがわりに荒縄を巻き、琴を弾きながら大声で歌い、とても楽しそうに見えた。 孔子は
【儒家故事】 聖人の勇気
【大紀元日本10月2日】古代、中国ではどういう人物が勇士と呼ばれたのか。山奥で虎を捕獲できる人、海で竜を生け捕りする人、戦場で砲火を恐れない人、義侠心のある人。しかし、孔子が指す勇士とは、それらの人物
寸暇を惜しんで学ぶこと
【大紀元日本8月12日】古人曰く、「君子はどんな大きさの翡翠を見ても見向きもしないが、時間ならほんの少しでも大切にする」。時間は水や光のごとく、あっと言う間に過ぎ去ってしまうと古代の聖人たちは語りかけ
同じ質問 異なる答え
弟子の子路が孔子に聞いた。「もし意義のある事を耳にしたら、それをやってもいいですか?」 孔子は答えた。
【道家故事】 世界で一番物忘れのひどい人
【大紀元日本6月30日】昔、魯の哀公が孔子に尋ねた。「物忘れのひどい人が引っ越しをした時に、妻を置き去りにしてしまい、焦って妻を探し回ったという話を聞きましたが、世間にこのような人は本当にいるのでしょ
【道家故事】 孔子と急流の中の男
【大紀元日本6月13日】ある日、孔子が呂梁(ろりょう)に遊んだ時、一人の男が急流の中で泳いでいるのを見かけた。孔子は悩みごとを抱えて自殺しようとしているのだと思い、急いで弟子をやって岸辺から彼を助けよ
ー孔子の教訓ー
【大紀元日本7月22日】孔子が諸国を巡遊していた時のことである。彼らは陳国と蔡国へ行く途中、食料が底をつき7日間も食事にありつけなかった。孔子は空腹をなだめようと昼寝をした。 それを見た弟子の顔回は、
誠実であること
【大紀元日本7月9日】道徳と教養が重んじられていた古代中国の頃、「修身斉家治国平天下(まず自分の行いを正しくし、次に家庭を整え、国を治めて天下を平らかにする)」という教えがあった。その中で最も大切な素養は「誠実さ」であり、これが基本的な徳であるとされていた。
道を究めた蝉取りの男
【大紀元日本3月27日】およそ三千年前の『易経』には次のように書かれています。「形而上者謂之道、形而下者謂之器 (形よりして上なるもの、これを道といい、形よりして下なるもの、これを器という)」。武術・
文化と教育の古城 足利学校の伝統
「日本最古の学校」「坂東の大学」と称される、足利学校のある栃木県足利市を訪れたのは8月1日。この日も猛暑だったが、クーラーの排気で熱せられた東京とは全く違う、澄んだ空気を感じら
孔子生誕2562周年 共産党イデオロギー宣伝に乱用される
【大紀元日本10月7日】9月28日は中国儒学の始祖・孔子の生誕2562周年記念日。中国政府の主催で、国内の多くの地区で記念行事が大々的に行われた。近年、中国政府は孔子の儒学を批判する姿勢を180度転換
かつての造反派リーダーも「お目見え」 中国、左傾化がすすむ
【大紀元日本4月29日】24日、人民大会堂で開かれた清華大学創立100周年の記念行事に出席したある人物が多くの注目を集めた。蒯大富さん、65歳、文化大革命初期の清華大学の造反派リーダー
<記者日記>現世に魂を呼びもどされた孔子、噴火口に座る中共を救えるのか
【大紀元日本1月17日】16日早朝、ひとつの記事をようやく仕上げ、朝の日差しを浴びようとカーテンを開けると、目に飛び込んだのは銀色の世界。今年初めての雪だ。 ちょうどその時、東京の友人から電話があり
天安門付近に孔子像 ネットユーザー猛批判「王朝も変えたら?」
【大紀元日本1月14日】中国・北京の天安門広場から東へ100メートルほどの所にある中国国家博物館北広場に、高さ9.5メートルの孔子の銅像が設置され、12日銅像の落成式が行われた。当局は中国の伝統文化
【漢詩の楽しみ】 偶成(ぐうせい)
【大紀元日本12月11日】少年易老学難成一寸光陰不可軽未覚池塘春草夢階前梧葉已秋声 少年、老い易く、学成り難し。一寸の光陰、軽んずべからず。未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢。階前(かいぜん
ノーベル平和賞に対抗か 中国、「孔子平和賞」設立
【大紀元日本12月9日】ノーベル平和賞が中国で監禁中の民主活動家・劉暁波さんに授与されたことに対抗して、中国は自分たちの平和賞を立ち上げた。初年度の受賞者は台湾の連戦・国民党名誉主席に決定したもよう
【図説】中国共産党政権の無常な権力闘争史
【大紀元日本11月21日】1959年、劉少奇が国家主席に選ばれる。祝賀モード一色…(ネット資料)和やかな雰囲気、親密な関係(ネット資料)1966年、「裏切り者・敵の回し者・人民の敵の劉少奇を打倒!」
漢字の神秘(14):儒
【大紀元日本3月15日】儒(rú)は、「儒学」、または儒学を研究・実践する「儒者」にも使われます。字を見れば分かるように、「人」を意味する二ンベンと、求めること・必要なものといった意味
【中国伝統文化】誤りから学ぶ
【大紀元日本1月1日】人間は、どんなに賢くても間違えることがある。古代中国では、「君子」と呼ばれる人であっても、間違いを犯すことがあったが、間違いを犯すかどうかより、その間違いを正し、そこから学ぶこ
孔子の諭し「忠信の徳」
孔子が遊説先の衛国から魯国へと戻る帰路、橋の上で車を停めると、眼前に絶景が現れた。それは巨大な滝で、高さは約80m、その下には大きな滝つぼが渦を巻き、その激流は45kmにも達した。魚も亀もここを通ろうとはせず、鰐もここに留まろうとはしなかった。