【大紀元日本9月18日】福田総理が9月1日に辞任してから自民党の総裁選は話題になった。すでに出馬を表明した五人の立候補が支持を得るために国会や地方の自民党県連に奔走している。鹿を仕留めるのが一体誰だ?
日本の底力を唱えた麻生氏が現時点で過半数の票を固めた。日本の底力は一体何だろうか?明治以来に日本が欧米先進国に追いつき追い越すことを国是としてきて、100年後にそれを達成したとは言えよう。しかしこれらの成就は単なる日本人の勤勉、努力、知恵と欧米に追いかける決心から生まれた結果だろうか?もちろん、違う。それはすべて大和魂からきたものだと私が考えている。正しい魂、正統な価値観を持たない民族がいくら努力しても、いくら聡明でも、いくら欧米諸国に追いかけ追い越す願望を持ってもそれらの目標を実現するのが無理だ。日本に来て15年がたったが、15年間この民族をじっと観察してきた。東洋人があるべき正統な価値観をこの民族が備えているが、1945年後、これらの価値観が、現在なくなりかけている。しかしながら、この価値観がひとつの民族、一人の個人に対して非常に大切であり、なぜならそれはこの個人この民族のあらゆる事業の成功の源であるからである。一旦失ったら個人であれ、民族であれ、破滅の運命をたどることになるに違いない。というのは日本の底力はほかでもなく三千年来の国史の導きから形成された正統な価値観である。しかも、こ
の価値観はどんな圧力をかけられても、どんな誘惑をされても変わることの無い大和魂の柱となっている。
では如何にひとつの国や民族や個人には正統な価値観があるかないかを判断するのだろうか?幸いに馬鹿げた中共が試金石を提供してくれた。安倍と福田がその教訓を十分示してくれた。当初安倍氏は自民党支持層に期待されて自民党総裁に就き、さらに国民の期待を背負って60%の高支持率で総理になった。当選後まもなく訪中したが、その後安倍内閣の支持率が急落。支持率の低迷に悩まされて安倍氏の心身ともに疲れ果て、さらに2007年7月の参院選で自民党の参院主導権を失わせた。国民の支持と人気を呼び戻すために最後のあがきとして、2007年8月26日に一度内閣を改造したが、伸び悩んだ支持率に打たれてしおれた安倍さんが職を辞した。「美しい国、日本」のスローガンは単なる夢にとどまってしまった。
その後同年9月26日に発足した福田内閣は背水の陣を敷いた。ねじれ国会で民主党に十分にいじめられてきて、同様に支持率の低迷に悩まされた福田が人心を挽回するために内閣を改造した。なかなか効果が現れてこなかったため、まじめな福田がついにしおれて2008年9月1日に職を辞した。辞職する前に彼の北京五輪開幕式への出席は忘れてはならない。
人権迫害において悪名の高い中共に対する態度はその国の道義を十分表している。安倍や福田は道義を無視して利益を至上させ、中共の人権侵害に抗議する勇気が無いだけでなく、はなはだしく人権侵害している中共にしばしば親善の意を表し、中国大陸において中共の国民へのごろつきの統治を正当化としている。幸いにかつて三千年の正統な歴史を歩み切って来ている日本は神道に守られており、結局、正邪を識別出来ない者、日本を険しい道へみちびく者は総理の座から降りざるを得なかった。これはまさに安倍、福田氏が過去二年に歩んだ道であろう。
確かに最近、より多くの日本人が政治へ不信感や失望感を持つようになったが、優勢に立った麻生氏が日本の底力をどのように認識しているのか?どうやってそれを呼び出したいのか?これから目を据えてじっと見ていきたいが、一つ明白なのは、提唱者が自ら正気を出さないと、日本人に自信をつけるのが無理なことである。最近の自民党総裁選の公開弁論では一向に対中強硬な麻生氏が柔軟な姿勢を示してくれた。失言や不必要な出来事を避けるための戦略かもしれないが、安倍、福田の二の舞を演じてほしくない。共産主義陣営に一向強硬な安倍氏の失敗はこの点から始まったことを忘れてはならない。
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