【大紀元日本5月5日】宮城県石巻市立渡波小学校では4日、東京都多摩美術大学OB生らで構成されたボランティア団体「TAF」の13人が、子供たちに気軽に楽しんでもらおうと、図工や体育のイベントを催した。
避難所の多くのスペースは利用者たちの共有空間となっており、被災地で子供たちがのびのび遊べる場所は少ない。渡波小の校内は臨時宿泊施設や物資保管場所となり、校庭は自衛隊やボランティアなどの関係者の車両で狭くなっている。「子供たちを自由に楽しませる」をモットーに連休の間、被災地でボランティア活動を行うTAFメンバーに、話を伺った。
リーダー役を務める目瀬幸太さんは兵庫県明石市出身。中学生だった1995年に阪神淡路大震災に遭い、自宅が倒壊するなどの被害を受けた。「あのとき感じたのは、物の支援じゃなくて心の支えが大きな意味をもつということ。自分にとって小さなサポートが大きな助けになった」と話す。3月11日の震災後、まもなく現地入りしして、NPO団体「つなプロ」に参加。災害弱者を見つけ出し、ニーズを知り、社会福祉協議会や日本赤十字社へその情報を伝える、という活動をしていたという。
数週間の滞在後、東京に戻って自らの体験を周辺に話し、有志を募り、ゴールデンウィークを利用した被災地ボランティア活動を計画した。大学のサッカー部OBや先輩らに声をかけ、最終的に13人で3日、宮城県に入った。参加したメンバーは、「東京に居ると、被災地にはボランティア敬遠のような雰囲気がある、という思い込みが広がっているように伝わってくる。友人らに実際の現状を見て確認してもらいたかった」という。目瀬さんらは6日には東京へ戻るが、長期的な支援の必要性を知る目瀬さんは、土日を利用した活動計画を立てている。
目瀬さんと共に多摩美大のサッカー部だった秋山朋也(ともなり)さんは、「被災地にいる子供たちの小さな仕草から、内面的なダメージが大きいのではないか、と感じる」という。現在、東京の成城学園初等学校で図工の科目を担当している。秋山さんの実家は茨城県いわき市にあり、自宅の一階部分は津波で使えなくなった。メンバーからは最初、秋山さんの実家に行こう、という声もあったが、秋山さんは「状況の酷い地域に行ったほうがいい」と提案を断り、津波の被害が深刻な宮城県石巻市を選んで来たという。「6日に東京に戻ったら、他の教員たちと、震災被害と生徒たちに対する心のケアについて研究会を開きたいと考えている。そして夏休みになったら、状況を調べ、またこちらに来たい」と付け加えた。
TAFの活動に参加した、東京世田谷区にワークショップを構える美術家・山添joseph勇さんは、渡波小学校の校庭に、軽い粘土や顔料、ビーズを使ってアクセサリーや腕輪が作れる簡易アトリエを設置した。小学生たちは夢中になって遊んでいた。「簡単に楽しめるもので子供たちの心が明るくなれば。笑顔作りに役に立ちたい」と山添さんは述べた。
山添さんは他にも視覚的に楽しい作品を作った。校舎と地面を結んだ紐に、子供たちはプラスチックで作ったカラフルな風車を通した。風が吹けば、クルクルと色とりどりの風車が上へ回る。校舎に掲げられた鯉のぼりと合わせて、可愛らしい風車が空で踊っているようだった。
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