<書評>清水ともみ著『命がけの証言』

2021/04/20 更新: 2024/04/22

 この一書は、漫画家の清水ともみさんが描いた「漫画」である。

 言うまでもないが、娯楽を目的とするような漫画ではない。短時間で一気に目を通せるのは、内容の濃度が薄いからでは決してなく、このテーマがもつ岩のような重さと、清水さんの描く登場人物(それは実在の証言者である)の「目」がまっすぐに読者に向けられていて、読むものを引きつけて離さないからである。

 そこに描かれているのは、中国共産党による、残虐かつ卑劣極まる悪魔の所業である。心優しく、働きもので、善良なイスラム教徒であるウイグル人を、なんと民族浄化によって「消滅」させようとしている。しかもそれは過去のことではない。21世紀と私たちが呼んでいる現在、それが行われているのだ。

 同書の第一章は、清水ともみさんと静岡大学教授の楊海英氏との対談になっている。そこでも触れられているように、端的に言えば「アウシュビッツが今の中国にある」ということに尽きる。

 いや「臓器狩り」もふくめて、やっていることは、ナチスのアウシュビッツより悪魔的かもしれない。20世紀に実在した、人類史上の最も恥ずべき汚点として私たちは「アウシュビッツ」を記憶しているが、それに勝るとも劣らぬ残虐さと規模の大きさで、今も行っているのが中国共産党なのだ。中国政府は「根も葉もないことだ」と、ふてぶてしく居直る。笑止である。

 本稿に書くのは辛いことだが、やはり書かねばならないと思う。今夜も、罪もないウイグル人を強制収容した「教育施設」では、恐るべき夜を迎えているだろう。美しく清らかなウイグルの女性が房から連れ出され、野獣以下である漢人の看守や警官に凌辱され、何十回も輪姦されて、血を吐くほど絶叫しているに違いないのだ。明朝を迎える前に、死んでしまうかもしれない。あるいは、男女を問わず、麻酔なしで臓器を抜き取られて焼却炉に放り込まれるかもしれない。

 この「かもしれない」は根拠のない推測ではなく、隠しようのない事実である。同書のなかの証言者は皆、自分の命、家族の命、囚われている同胞の命を危険に晒すことを覚悟の上で、まさに命がけで真実を証言したのである。ゆえに書名を『命がけの証言』という。

 同書の帯に「ウイグル人たちの真実に目を背けないでください」とある。漫画家である清水ともみさんは、この著作について「神さまが描けと言ってくれたのです」とも述べている。

 それが、真実を知った人間が「次にとるべき責任ある行動」なのだと思う。その責任から、私たち日本人は逃げてはいけない。西の空から聞こえてくる彼女たちの叫び声に、日本人は耳を塞いではならないのだ。もちろん、日本国の領土領海が脅かされているという実害もあるが、それを超越して、ウイグル人、チベット人、モンゴル人など、中共の迫害に遭っている人々の立場にたち、本気で考えられる日本人であるべきではないか。

 清水ともみさんは、こう言う。「私は知ってしまったことを、自分の出来ることで描き伝えました。それだけです」。普通の日本人女性が「自分のできることを実行した」という意味であろう。つまり「実行するか否か」が分岐点なのであり、その差は天地ほど大きい。

 拙稿の筆者も、先ほど拝読した。清水さんのお気持ちをしっかり受け止めるとともに、命がけの証言をしてくれた勇気ある人と、ウイグルの全ての人々を、心の中で抱きしめながら拙稿を書いた。それはおそらく、大紀元の読者各位と同じ思いであろうと想像する。

(鳥飼聡)

 

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