中国の最も尊敬されている人権派弁護士の1人であり、「中国の良心」と呼ばれる高智晟(こうちせい)氏。その高氏が2017年8月13日に失踪して、今年で6年になる。
今年の8月13日、世界の60以上の都市で、いまだ行方不明になっている高智晟氏との連帯を示す声援集会が開かれた。
米国在住の高智晟氏の妻・耿和(こうわ)さんもこの日、集会に姿を見せた。耿和さんは、米サンフランシスコにある中国領事館の前で、高氏への迫害に抗議するとともに、夫が今どこにいるのか明らかにすることと、夫の即時釈放を求めた。
「私の夫(高智晟)は、習近平政権下の2017年に故郷の陝西省で拉致されて以来、連絡がとれなくなりました。今はどこにいるのか、生きているのかどうかもわかりません。この6年間、夫の友人やその家族までもが巻き添えにされて、中国当局から様々な嫌がらせや迫害を受けています」
高智晟氏の妻・耿和さんはそう述べて、中国共産党による迫害が、行方不明の夫やその周囲へ、今も続いていることを明かした。
家族や友人へ及ぶ、弾圧や嫌がらせ
米政府系放送局のボイス・オブ・アメリカ(VOA)のインタビューに耿和さんは、次のように語った。
「新疆の刑務所から釈放されたとき、夫の健康状態は非常に悪かったのです。白髪だらけになり、歯もほとんど抜け落ちていました。おかゆでさえも飲み込めないほどでした。人差し指で下側の5つの歯を押さえて(口からこぼれないように)スープを飲むしかない状態でした。夫はそのまま陝西省の農村に軟禁されましたが、当局は、決して夫を村の外にある病院に行かせなかったのです」
「2017年8月13日、夫に歯の治療をさせるため、山西省からやってきた夫の支持者である李發旺氏と邵重国氏が、見張りの目を盗み、大雨のなか夫を救出して、山西省に匿ってくれました。ところが後に、所在が公安に知られて捕まりました。それから夫とは一切、連絡が取れなくなったのです」
「夫の支持者である李氏と邵氏は、夫に歯の治療をさせようとしただけなのに、それぞれ3年ずつ投獄されました。邵氏は釈放後、夫を探して再度陝西省を訪れましたが、また当局に捉えられて、さらに2年投獄されたのです。邵氏に連絡したいけれど、できません。私が連絡すれば、邵氏をまたトラブルに巻き込んでしまうからです」
「この20年来、私たちの家族や親族は当局の迫害に遭い、苦しんできました。私の姉は身分証明証を当局に没収されたため、毎月地元の公安局へ出向かなければならないのです。私が姉に電話するたび、姉は(当局から)嫌がらせを受けます」
「公安当局は、私との関係を絶つよう、本国にいる家族や親族に迫っているのです。そんな苦しい日々のなか、姉の夫はガンになり、飛び降り自殺をしました。夫(高智晟)の姉も当局による嫌がらせや弟の身を心配して、うつ病にかかり、川へ飛び込み自殺をしたのです」
耿和さんがVOAに語った証言の概要は、以上である。
これより先は、高智晟氏の手記の一部をご紹介する。タイトルの「黒夜、黒頭套、黒幇綁架」とは、それぞれの単語の意味を見れば「暗黒の夜、目隠し頭巾、悪しき者たちによる拉致」になるだろうか。
高智晟氏の手記
2007年11月28日、警察に包囲された北京の自宅で、高智晟氏は以下の文章を書いた。この記録は、それまで彼が、50日以上にわたって中国当局によって迫害された経歴を記したものである。
黒夜、黒頭套、黒幇綁架(中国共産党の拉致と拷問)
この文章は今日の世界中の中国共産党の「友人」や「パートナー」にいささか不愉快な思いをさせたり、ばつの悪い思いをさせるかもしれない――それは彼らの心に、まだ道徳と人類の良識に対する畏敬の念が残っているならば、であるが。
今日、成り金となった共産党は、世界中で「友人」や「パートナー」を増やしているだけでなく、「中国は法治国家だ」などと黒を白と言いくるめるプロパガンダを声高に叫んでいる。中国人の人権保障にとって、この二つは疑いもなく災難である。
2007年9月21日の夜20時頃、当局は私に口頭で「定期的な思想改造の談話を受けに来るよう」告げた。そこへ向かう途中、いつもは私にぴったりと尾行する秘密警察たちが、私とかなり距離をあけていた。道を曲がったところで、6、7人の見知らぬ男たちによって私は拉致された。
背後から一撃された私は、髪の毛を引っ張られ、目隠しの黒い頭巾をかぶされて、車に押し込まれた。私は車の床にうつ伏せに押し倒され、大きな革靴が私の顔を踏みつけていた。
誘拐者は私のベルトを外して私を後ろ手に縛りあげた、私の体は、おそらく4人以上の足に踏みつけられ、そのまま40分ほど車にゆられた。その後、車から引きずり降ろされ、ある部屋へ押し込まれた。この時、私のズボンは足首にまでずり落ちていた。この時まで、誰も何も話していない。
頭の被りものを乱暴に引き剥がされ、私の目に光りが当たるのと同時に、罵倒と殴打が始まった。
「高智晟。こん畜生。お前は今日で寿命が尽きたぞ」と頭目らしき男が叫び、電気警棒を持った4人の手下は私の頭と体を激しく電撃し始めた。部屋のなかには、私を殴る音と、苦しそうに呼吸する私のあえぎ声だけが響きわたった。
私は激しく殴打されて床に倒れ、全身の震えがとまらなかった。「やつを休ませるな」と、頭目(後に王と言う名前だと知った)が叫んだ。すると、190センチを超える大男が私の髪をつかんで引き起こした。頭目は、私の顔を狂ったようにひっぱたいた。
その後、私は素っ裸にされた。「ひざまずかせろ」という頭目の怒鳴りと同時に、足を激しく蹴られて、私は床にひざまずかされた。
大男は私の髪を掴み、私に頭目を見上げるよう強要した。このとき、この部屋のなかには全部で5人いて、うち4人が電気警棒を、もう1人は私のベルトを持っているのが見えた。
頭目は「いいか、よく聞け。今日はな、お前に死んだ方がましだと思わせてやる」「よく見ろ、今床の上には水が一滴もないだろう。だがな、少ししたら、くるぶしまで水につかるぞ。お前にはすぐに、その水がどこから来るのかがわかる」と言い、私の顔と体に電気刺激が走った。
私は苦しさのあまり、床中のたうち回った。頭目は私の性器にも電撃し始めた。この時、私は許しを請うたが、私の懇願と引き換えに返ってきたのは男たちの大笑いとより激しい虐待だった。
数時間後、私にはもはや許しを乞う力も、反抗する力も残されていなかった。しかし、頭だけは異常なほど醒めていた。電撃のたびに私の体は激しく震えあがった。震える手足から水しぶきが飛び跳ねるのがはっきりと感じられた。この水はこの数時間の間に、私が流した汗水だった。この時、「少ししたら、くるぶしまで水につかるぞ」というあの時の頭目の言ったことの意味がはじめてわかった。
このような深夜の拷問は、いたぶる側にとっても楽ではないようだ。夜明けが近づくと、3人は部屋を出て行った。リーダー格の男は手下2人を残し、部屋の真ん中に椅子を1脚置いて、私をその上に座らせた。
それから手下のうちう1人は、タバコを5本口にくわえて火をつけ、数回吸った後、その煙で私の鼻と目を繰り返し燻した。もう1人は、後ろから私の髪の毛を力強くわしづかみにしていた。
2時間ほど経った頃、別の2人が入れ替わりにやってきた。この時、私の目は煙で腫れ上がり、何も見えなくなっていた。新たに入った人が私にこう言った。
「高智晟。耳はまだ聞こえるだろう。お前は運が悪いな。この人たちは長年悪者を懲らしめてきたから、非常に冷酷だよ。おまえ、オレが誰かわかるか、江(音訳)だよ。去年釈放された後(おまえと)一緒に新疆へ行った者だ」
「警察なんか眼中にないというお前の態度をみて、その時からお前が再度戻ってくるのは時間の問題だと思っていたよ。お前は米国国会に手紙を書いた。この売国奴め。米国の主人は何をしてくれると言うんだ?」
「ここは中国だ、共産党の天下だ。お前を殺すことなぞ、アリを踏み殺すのと同じさ。それがわからないのか? あんなデタラメな文章を書くから(中国)政府ははっきりと態度を示さなければならなくなったんだ。一晩を経験して、お前もいろいろとわかっただろう?」
「1人の納税者に対して、暴力団の残忍な手段を使うなど、将来、十数億もの中国国民にどう顔向けできるんだ?」と私は彼に問い詰めた。
すると江という男は「中国じゃ納税者はクソだ。納税者納税者と騒ぐな」と返した。
この時、頭目が入ってきて、こういった。
「高智晟。お前のために『12品のコース料理』を用意したぞ。昨夜はまだ3品しか出していない。これからお前に尿を飲ませ、糞を食わせる。つまようじでお前の『燈』(後にこれが性器のことを指していることがわかった)を突いてやるからな。おまえは共産党は拷問をすると言ってたな。そうだ、今回は、その全てをお前に賞味させてやる」
「お前は共産党が法輪功(学習者)を拷問すると言ってたな。そうだ、全くその通りだ。お前に用意した12品目は法輪功(学習者)のところで腕を磨いてきたものだ。お前が生きてここから出られる可能性はゼロだ。お前を殺しても、遺体すら残らないぞ。おまえのような田舎者が、北京で騒ぎたてやがって」
それから数時間に及ぶ拷問の間、私は断続的な失神を経験した。長時間の発汗や脱水、飢餓が関係していたのかもしれない。私は素っ裸で冷たい床のうえに転がされ、何度か誰かが私のまぶたを剥がして、私がまだ生きているか確かめていた。意識が戻るたびに、尿の臭いしかしなかった。私の顔、鼻のなか、髪の毛は尿まみれだった。明らかに誰かが私の頭と顔に小便をかけたのだ。
このような拷問が3日目の午後まで続いた時、どこから来たのかわからないが、私に大きな力が湧いてきた。私は彼らを振り払って、子供たちの名前を大声で叫びながら、机に向かって突進した。しかし、自殺は失敗に終わった。私は神に感謝したい。神が私を引き留めてくれたのた。
この衝撃で私の目からは血が噴き出した。地面に倒れた私の体の上には少なくとも3人が座っていた。そのうち1人は、私の顔の上に座っていた。男たちは「こんなのは見慣れたもんさ」などと言いながら大笑いしていた。
残酷な拷問は夜まで続いた、私の目は何も見えなくなった。1人の男は私の髪に毛をわしづかみにして私を立たせて、「高智晟、腹減ったか。食べたいか?」と聞いた。私は「食べたい」と答えた。
しかし、そう言った瞬間、私は十数発の平手打ちを受けて、地面に倒れ込んだ。
それから、私の胸は足で踏まれ、あごを電気警棒で激しく殴られた。私が痛みで悲鳴を上げた瞬間、電気警棒は私の口に押し込まれた、だが電撃はしなかった。
頭目は「お前の口をまだぶっ壊さない理由知ってるか? 今夜は、昔の女遊びについて詳しくしゃべらせるからだ」と話した後、3本の電気警棒による電撃が始まった。私は地面に転げまわった。
十数分ほどして、私は全身で痙攣と震えが止まらなくなった。「(女遊びについて)言わないんじゃなくて、そもそもそういうことがないんだ」と私は許しを請うた。それから、私は男らによって挟まれて膝をつかせられ、爪楊枝で性器を突かれた。あの時の痛みと絶望は、今でも言葉で言い表すことができない。
それでも「女遊びの話をしろ」と強要されて私は拷問を受けながら、でっちあげの女遊びの話を聞かせた。夜が明けて、私は手をつかまれ、筆記録に署名させられ、手形を押された。
(後から知ったことだが、この翌日、孫×処長(役人)は彼らが「把握した」私の女遊びの「実情」を私の妻に話した)
この拷問の後、私は時間に対する感覚がなくなり、しばしば意識が飛ぶようになった。どのくらい時間がかかったかわからないが、男らが私を再び拷問にかけようとした時、突然誰かがやってきて「出て行け」と男たちを怒鳴りつけた。
その人は以前何度か会ったことのある市公安局の副局長の一人だと声でわかった。この人は開明的で、私と私の家族を保護してくれたこともあったため、私は好感をもっていた人物だった。
この時、私は目を開けることができず、体じゅう傷だらけで、変わり果てていた。この役人は医師を呼んで私の体を検査させた。彼は「自分も驚いている。これは党や政府の意思ではない」と言った。そこで、私は「ならば誰の意思なら、これほどの無法行為ができるのか?」と聞いたが、答えはなかった。
「私を刑務所に送るか、家に帰してくれるよう」に彼に頼んだが、彼は答えなかった。最後に、彼は私を拷問していた男たちを呼び寄せて叱りつけた後、「私に服を着せ、夜は布団を与え、食事を取らせるよう」命令してから、私に向かい「刑務所に送るか、家に戻れるよう努力する」と約束してくれた。
この役人が離れると、頭目は私に向かって怒鳴り散らした。「高智晟。お前はまだ刑務所に行くことを夢見ているのか。共産党がある限り、お前にはもう刑務所に入る機会もないんだ」などと凄んだ。
この日の夜、私は再度黒い頭巾をかぶせられて、別の場所に連れて行かれた。そこで、私は10日以上、延々と続く拷問を受けることになる。
ある日、私はまた黒い頭巾をかぶせられ、車に押し込まれた。1時間以上の移動時間の間、私の頭は股のあたりにまで押し込まれていた。死ぬよりも辛い姿勢だった。
目的地に着き、1時間ほどしてから黒い頭巾を外された。これまでに私を拷問した5人のうち4人はいなくなったが、その代わり、刑務所から出た後に私の思想改造を監督する秘密警察がやってきた。
肉体上の拷問はこれにて終わったが、精神的拷問は依然として続いた。「もうすぐ第17回大会が始まるから、ここで上の処理方針を待て」と言われた。
期間中、何人かの役人が時々やってきた、私は洗顔と歯磨きが許されるようになった。
なかには、「あなたは文章が書けるから、法輪功を批判する文章を書いてくれないか。お金はいくらでも出すよ」と提案する役人もいた。私は「これは単に技術の問題ではなくて、難しい倫理の問題だ」として、明確に断った。
すると、その役人は、こう持ち掛けた。
「法輪功について書くのが難しいなら、政府をほめることはできるだろう。お金はいくらでも払うよ」「釈放後、政府は私の家族にとてもよくしてくれた、自分は法輪功や胡佳らに惑わされて魔が差した。一時の迷いから、米国国会に公開書簡を書いてしまった」と。
そのように書け、と言われ、結局は「書かないといつまでも終わらないぞ。妻や子供のことを考えろ」と脅されたのだ。
後に私は、交換条件として、その指示の通り「釈放後、政府は私の家族に非常によくしてくれた。自分は法輪功や胡佳などに惑わされて魔が差し、一時の迷いから米国国会に公開書簡を書いてしまった」という文章を書いた。
家に帰される前、私は西安に連れて行かれ、そこから(民主活動家の)胡佳氏に電話をかけさせられた。
11月中旬に家に戻ったが、そこで家財の一部が再度没収されたことを知った。今回の差し押さえは、書類1枚もメモひとつもなかった。
この50数日間におよぶ肉体的、精神的拷問は聞く人を驚かせるものだった。その間、私は多くの奇妙な感覚を覚えた。時にははっきりと「死」を聞き、またある時にははっきりと「生」を聞いた。
12日目か13日目に、やっと完全に目を開けることができた。全身が恐ろしい姿になっていることに気づいた。私の皮膚は真っ黒だった。全身を探しても、正常な皮膚は1つもなかった。
拉致されていた間、私が経験した「食事時間」はこういうものだった。死ぬほどお腹が空いた時、彼らはマントウを取り出して、私に共産党を賛美する歌を一通り歌わせるのだ。私が歌い終えると、よっやくマントウを1つ恵んでくれる。
私はその時「やむ得ない場合を除いて、何とか生き延びよう」と心に決めていた。私が死ぬことは妻と2人の子供にとってあまりにも残酷だが(私の)魂を汚すことはできない。あの野蛮な雰囲気において、人間性も人間の尊厳もあまりに無力だった。
この50日ほどの間には、人類の政治史に残るような恥ずべき汚らわしい行為があった。今日の共産党の指導者は、自分たちの非合法な権力を守るために、非人間的な悪行を積み重ねている。
しかし、私はその卑劣な行為についてもう触れたくない、永遠に触れないかもしれない。
私を拷問するたび、彼らは繰り返し私をこう脅していた。「お前がもし、この体験を誰かに話したら、次はお前の妻子の前で拷問するぞ。このことを口外したら、お前を殺す」
最後にもう一つ、あまり人に喜ばれないことを申し上げたい。
世界中にいる(中国)共産党の「良き友人」「良きパートナー」たちよ。共産党がその人民に対して行ってきた野蛮で冷酷な仕打ちは、全て「私たち」と「あなた方」が一緒になって、共産党を甘やかしてきた結果なのだ。
(高智晟氏の手記は、以上)
「私は、後悔していない」
出所後に陜北の実家で軟禁状態に置かれてから3年が経った2017年8月、高智晟氏はNTD新唐人テレビの取材を受けた。高氏は「当時、法輪功などの弱者グループを弁護したために迫害されたことを、私は後悔していない」と語った。
その取材から3年前に、高氏は刑期満了で出所したが、高氏はそれを「小さな監獄から大きな監獄に移送されたようなものだ」と形容した。高氏は「中国共産党統治下では、全ての中国人が自由のない牢獄で暮らしているようなものだ」と語り、次のように言う。
「私一人ではありません。13億の中国人が牢獄に囚われているのです。個人の人権や人道的観念から言っても、ここは牢獄です。この邪悪な制度を変え、中国人が正常な生活を送り、文明に回帰することが私の願いです」
高智晟氏は1964年生まれ。陝西省出身のキリスト教徒である。
貧しい環境の中で育ち、人民解放軍での軍役を経たあと、独学で法律を学び弁護士資格を得た。当局の弾圧を恐れ、多くの弁護士が尻込みする法輪功学習者や中国家庭教会に対する人権侵害などの案件の弁護を、高智晟氏は請け負った。(その後、高氏の弁護士資格は剥奪されている)
過去3度にわたり、中国の指導者に「法輪功への弾圧をやめるよう求める公開書簡」を送付したため、2006年「国家政権転覆扇動罪」で懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を受けた。刑務所での懲役のほかに、生命の危険にも及ぶ迫害を、高智晟氏は何度も受けている。
「中国の良心」と称賛される人、高智晟弁護士。
その安否もふくめて、消息不明になってから6年が経つ。
神がまだ、かろうじて高智晟氏の生命を守ってくれているとするならば、高氏を一刻も早く救出することは、ひとえに私たちの責務であると考えてよい。
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