過去50年で最大のテロ攻撃をイスラエルが受け、米国、欧州、アジア、豪州、アフリカの多くの指導者がこのハマスによるテロ攻撃を強く非難した。その後、中国の王毅外相がこの件に関する立場を表明した。
10月12日、ブラジルの大統領の外交顧問を務めるアモリン元外相との電話会談で、王毅氏はハマスの残虐行為には一言も言及せず非難もせず、「パレスチナ問題は中東問題の核心であり、問題の本質は、パレスチナの人々に公正がなされていないという事実にある」と述べ、テロの非道さを別の問題に転化した。つまり、王毅氏の考えでは、ハマスがイスラエルに対して起こした大規模なテロ攻撃を、イスラエルとパレスチナの歴史的な問題にすり替えたのである。
王毅氏はまた、中国は、より権威と影響力のある国際和平会議をできるだけ早く開催し、国際社会が「二国家解決」に基づくより広範な合意形成に達するよう促すことを求めると述べた。
もちろん、王毅氏の発言は、当然ながら彼の個人的見解ではなく、習近平氏の決定であると判断されている。この決定は、紛れもなくハマスによる残虐なテロを認めていないという事実誤認に基づいている。それは以下の7つの点から、彼のこの判断の誤謬は明らかである。
第一に、ハマスによるイスラエルへのテロ攻撃は、人類の良心、道徳、正義、人間性を真っ向から否定する、邪悪で気持ちの悪い極悪非道なものを発言の意図に感じられるのである。
例えば、ハマスによって恐怖に陥れられた南部の村クファル・アザを奪還した後、イスラエルの兵士たちが家々を回ってみると、40人の乳幼児が殺され、何人かの子供や女性は首を切られ、何人かの家族全員がベッドの上で射殺されていたという事実がある。
イスラエルの救援組織ザカ氏によれば、200体のイスラエル人の遺体がクファル・アザで発見されたという。
「これは戦争ではなく、戦場でもなく、大虐殺だ」とイスラエル軍司令官イタイ・ヴェルヴ少将は語っている。
ハマスによって襲撃されたイスラエルの音楽祭会場では、260体の遺体が発見されている。このテロ攻撃では、イスラエルの民間人に加え、中国、米国、ブラジル、英国、仏、独、アイルランド、メキシコ、ネパール、タイ、カンボジア、ウクライナなどの人々が、260の遺体の中に含まれていたのだ。
もしテロリストの一団が北京に侵入し、民間人居住区や北京で開催されるコンサートでこのような非人道的な大虐殺を行ったとしたら、中国国民がどう感じるか想像してみてほしい。こうなれば、王毅氏と習近平氏は同じことが言えるのか?
始まりはもっともテロらしく、突然、ハマスが、20分という短い間に、イスラエルに向けて5千発のロケット弾を無差別に発射したのだ。 イスラエルのアイアンドーム・システムはロケット弾のほとんどを迎撃したが、それでもこの一斉砲撃はイスラエル市民に多くの死傷者をもたらした。
もし、テロリストが20分の間に、北京に向けて突然5千発のミサイルを発射したら、中国国民がどう感じるか想像してみれば、中共の発言が如何に虚言であるかが分かるだろう。
ハマスのテロリストたちは30か所からイスラエルの国境を越えてイスラエルに入り、武器を持たない無抵抗な市民を殺して回ったのだ。人質として連れ去られた市民も多い。
考えなくても明らかなのは、もしテロリストが30か所から中国の国境を越え、中国人の家で人々を殺害したとしたら、中国国民がどう感じるか、政府がどのように対応するかだ。
第二に、王毅氏によれば、ハマスのテロを解決する鍵は、「二国家解決」に従ってパレスチナの国家問題を解決することであり、この問題が解決されれば、他のすべての問題は容易に解決できるというが、実際、歴史の真相を見ればそうはならない可能性の方が高い。
過去、イスラエルは「二国家解決」に従ってパレスチナの国家問題を解決することに5回合意したが、アラブ側は5回とも拒否してきたのだ。
1936年、イギリスがこの地域を支配していたとき、アラブの反乱が勃発した。イギリスはアラブの反乱の原因を調査するため、ピール委員会を設置した。その結論は、ユダヤ人とアラブ人の双方がこの地域の支配を望んでいるというものだった。その結果、この地域にアラブ人とユダヤ人の2つの独立国家を設立することが提案され、面積の80%をアラブ人に、20%をユダヤ人に与えることになった。
ユダヤ人はこれを受け入れ、アラブ人は拒否した。アラブ人は、ユダヤ人の国家をそこに樹立することを否定したのだ。
1947年、国連は決議181号を採択し、この地域にイスラエルとパレスチナを建国し、イスラエルが土地の57%、パレスチナが43%を取得することを決定した。
ユダヤ人は受け入れ、アラブ人は再び拒否した。
アラブ人は、これを拒否しただけでなく、イスラエル建国の翌日、1948年5月15日に第一次中東戦争を起こした。イスラエルは近隣のアラブ諸国から「集団暴行」を受けたとも言える。
だが、その結果はイスラエルが勝利し、アラブは敗北した。
1967年、第3次中東戦争が勃発し、エジプトがアラブ諸国を率いてイスラエルを地図上から抹殺しようとしたのだが、その結果、イスラエルは再び勝利し、エルサレム、ガザ、ヨルダン川西岸を完全に手中に収めることになった。
戦後、クネセト(イスラエルの立法府)でこの問題が議論されたとき、半数は和平と引き換えにヨルダン川西岸をヨルダンに、ガザをエジプトに返還することを望み、もう半数はこれらの地域を地元のアラブ人(パレスチナ人と自称)に返還し、彼らがやがてパレスチナ国家を樹立することを望んだ。
クネセトの両派は、いずれにせよ妥協と引き換えに、平和を望んでいた。
しかし、イスラエルの2つの派閥が合意に達する前に、アラブ連盟はスーダンの首都ハルツームで会議を開き、イスラエルに対する「3つのノーの原則」、すなわち「承認せず、交渉せず、和解せず」を打ち出した。
ユダヤ人は受け入れ、アラブ人が拒否したのはこれが3度目だった。
2千年、米国のクリントン元大統領は、米国のキャンプ・デービッドでバラック・イスラエル前首相と故アラファト・パレスチナ議長の首脳会談を手配した。この会談でバラック首相は次のような提案をした:
(1)パレスチナ国家の樹立;
(2) 領土はガザ地区全域とヨルダン川西岸地区の94%を含む;
(3)首都は東エルサレムとする。
しかしアラファトは拒否し、イスラエルは1967年の第三次中東戦争以前の国境線に戻るべきだと主張した。
イスラエルは、第三次中東戦争はあなた方アラブ人が始めたことであり、あなた方はそれに負けたのだから、なぜ私が戦前の国境線に戻らなければならないのか、と主張した。
「私はすでに大きな譲歩をしているのに、あなたたちはまだ応じようとしないのか?」
当時、米国のクリントン大統領でさえも我慢ならなかった。
「これは詐欺以外の何物でもない!これはサミットではない!こんな信頼関係の欠如した交渉を米国から主催させるわけにはいかない。これで終わりだ!」
加えて、会談の最後に、クリントン氏は故アラファト氏に言った。「イスラエルが妥協できて、あなたが妥協できないのなら、私は帰らなければならない。 あなたは14日間ここにいて、すべての提案に『ノー』と言った。 会談の失敗は和平プロセスの終焉を意味する。 私たちは地獄の門を開いたままにして、その結果に苦しむしかないのだ」
ユダヤ人は受け入れ、アラブ人が拒否したのはこれで4度目である。
2008年、当時のイスラエルのオルメルト首相は、バラックのすべての条件に加え、より多くの土地を加えた、もっと誠意ある和平案を提示した。
しかし、アラファト同様、パレスチナの指導者アッバスはこの提案を拒否した。
ユダヤ人が受け入れ、アラブ人が拒否したのはこれで5度目である。
2005年、キャンプ・デービッド・サミットと2008年のイスラエルによる新たな提案のちょうど中間に、イスラエルは自主的にガザ地区から完全に撤退し、土地と平和を交換しようとして100%をパレスチナ人に渡したことも、注目に値する。
しかし、イスラエルが見返りに得たのは平和ではなく、テロ攻撃に次ぐテロ攻撃だった。
第三に、パレスチナ人は20年近くも国家を樹立する絶好の機会がありながら、それを果たさなかっのだ。
ユダヤ教典『ミシュナー』を初めて中国語に翻訳した学者でありラビ(宗教指導者)であり、イスラエルのテルアビブ大学東アジア学部で中国学と東アジア研究の終身教授を務める張平教授は、この状況を次のように説明した:
1948年のアラブ・イスラエル停戦から1967年の第三次中東戦争勃発まで、アラブ人は約20年間、東エルサレムを含むパレスチナ領土を占領し、それは今日国際社会がパレスチナ人に与えている国家のための土地よりも広かったが、彼らは国家を樹立しなかった。その間、イスラエルはこの地域に何の影響力も持たなかった。したがって、パレスチナの国家未確立はイスラエルとは何の関係もなく、パレスチナ人固有の問題なのだ。
第四に、中共のいつもの主張によれば、より長い歴史的観点から見れば、現在の「パレスチナ地域」は古代からイスラエルの領土であった場所なのだ。紀元前1千年、イスラエルの第2代王ダビデはエルサレムに首都を建設した。イスラエルの第3代王ソロモンは、エルサレムに最初の神殿を建てた。
当時、イスラム文化という意味でのアラブ人は存在していなかったのだ。アラブ人は遊牧民であり、「国家」という意識はなかったと言われている。アラブの部族に「国家」になることを教えたのは、第一次世界大戦後のイギリスの植民地主義者たちだった。
第五に、イスラエルの再建は神のご意思である。テロ攻撃によって第六次中東戦争を引き起こし、イスラエルを滅ぼそうとするハマスの試みは、神のご意思に反していると、イスラエル人は信じている。1948年、イスラエル国家の再建は想像を絶するほど困難だった。一般の人々にとっては、単に不可能なことだったのである。
西暦135年の時点で、ローマ皇帝ハドリアヌスは、ユダヤ人が何世代にもわたって住んでいた土地からユダヤ人を追い出した後、その土地を「パレスチナ」と改名し、ユダヤ人がそこに戻ることは決してできないと定めた。
それ以来、ユダヤ人は2千年にわたり世界中に散らばり、拷問され、辱められ、殺されてきた。第二次世界大戦中、ヒトラーは600万人のユダヤ人を殺した。
しかし、第二次世界大戦終結後、不屈のユダヤ人たちは、その知恵と勇気で、米国だけでなくソ連にも歩み寄った。
1947年11月29日、米ソ両国の承認を得て、「イスラエル・パレスチナ分割決議案」が国連加盟57か国のうち賛成33票、反対13票で可決され、ユダヤ人の祖国帰還が実現した。
イスラエル建国翌日の1948年5月15日、イスラエルは近隣のアラブ諸国から攻撃を受けた。一見したところ、アラブ諸国は非常に数が多く、強力であったため、イスラエルが生き残ることは困難だろうと思われた。しかし、イスラエルは生き延びただけでなく、最終的に勝利を収めたのだ。
以来、イスラエルは第2次、第3次、第4次、第5次と中東戦争を経験したが、滅びるどころか、逆に逆境の中で自らを強め続け、成長・発展を続け、中東随一の強国・先進国となった。
イスラエルが多くの敵に囲まれながらも、幾度となく困難を幸運に変えることができた秘訣は、イスラエルが神に助けられ、神の意志に従って行動してきたからであると言われている。
21世紀の今日、5回の中東戦争を生き延びたイスラエルは、中東に確固たる足場を築いている。 イスラエルとパレスチナの主要派閥ファタハとの関係は大きく改善した。エジプト、ヨルダン、アラブ首長国連邦、バーレーン、スーダン、モロッコ、その他のアラブ諸国とも関係を正常化している。また、アラビア半島最大の国であるサウジアラビアとの関係正常化に近づいているし、米国や欧州を含む多くの国々との関係を大きく発展させてきた。特に、世界最強の国である米国は、イスラエルの最も強力な支援国である。
ハマスがテロ攻撃によって第6次中東戦争を引き起こし、イスラエルを壊滅させようとすることはもはや不可能だ。 それどころか、自らの破滅を招きかねない。
第六に、イスラエルは中東で最も先進的な国として、過去10年余り、経済貿易とハイテク技術の面で中共に多くの支持と援助を与えてきた。
2015年1月、中国・イスラエルイノベーション協力共同委員会の第1回会議が北京で開催され、中国・イスラエル常州イノベーションパークが正式に発足した。2018年までに、合計50のプロジェクトがイノベーションパークに定住し、医療、人工知能、環境水処理、現代農業などの分野における綿密な協力に注力している。
2016年3月、イスラエル初の中国イノベーションセンターであるTaikoo Israel Global Innovation Centerが設立され、2017年3月、中国とイスラエルはイノベーションに関する包括的パートナーシップを確立した。 2018年、13組の中国代表団がイスラエルで開催されたDLD Tel Aviv Innovation Festivalに参加した。
同年、中国とイスラエルは、農業、水資源管理、情報技術、情報セキュリティ、バイオテクノロジー、ヘルスケア、人工知能などの分野における革新的協力のための3か年行動計画を策定した。
中国とイスラエルの貿易額は、外交関係開始時の5000万ドル(約74億円)から2022年には255億ドル(約3兆8千億円)に拡大し、中国の輸出額は165億ドル(約2兆4700億円)、輸入額は90億ドル(約1兆3千億円)となった。イスラエルは中国にとって中東における重要な輸出市場となっている。
2022年、中国のパレスチナとの二国間貿易はわずか1億5800万ドル(約236億6600万円)である。
このようにイスラエルと中国の関係は親密で合ったにも関わらず、イスラエルがハマスに攻撃されたとき、中国共産党はハマスの残虐行為に対して一言も言及せず、非難もしなかった。 今回のことで、中国・イスラエルの関係は逆転悪化するかもしれないと予想されている。
第七に、習近平氏がハマスへの非難を見送ったことで、習近平氏とハマスの間に特別な関係があるという噂が相次いだ。当然だろう。類は友を呼ぶという諺のごとくだ。
最も憂慮すべき噂の1つは、ハマスが習近平氏の執務室と直接連絡を取り合っているというものだった。習近平氏のオフィスのコンタクト・パーソンはZであり、ハマスのコンタクト・パーソンはハマス政治局副委員長のSFRNで、彼は中国人民大学と北京対外経済貿易大学で学んだパレスチナ人学生である。
このような噂は、今後も増えていくのではないだろうか。
これらの噂が真実かどうかは判断できない。しかし、ハマスの残虐行為によって大衆の怒りが引き起こされた現在、習近平氏とハマスが特別な関係にあるという噂は、習近平氏にとって無視できない不利なものであることは確かだ。
結語
短期的には、ハマスのテロ事件に関する習近平氏の決断は、イスラエルとサウジの関係正常化を遅らせ、中国共産党の内部危機と外交危機を緩和するかもしれないが、結局は中共が中東で重要なパートナーを失い、アメリカやヨーロッパ、その他多くの国との関係をさらに悪化させ、国際舞台で中国共産党をさらに孤立させることになる可能性が高いということだ。
習近平氏が、何故また誤った決断をしたのかについては、中国共産党に過去100年間蓄積されたあらゆる悪事が関係している。9月13日付エポックタイムズで発表した『習近平氏の9つの政策ミスはどこから来たのか?』をご覧いただきたい。
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。