2013年12月、鈴木氏は北京で在日本中国大使館の元参事官である湯本淵(タン・ベンユァン)氏と会食を行った。湯氏はその時、日本での外務を終えて北京に戻り、中央党校に在籍していた。食事の席で、鈴木氏は湯氏に、北朝鮮の金正恩委員長が叔父の張成澤氏を処刑した件について知っているか尋ねたが、湯氏は「知らない」と答えた。
この会食の会話が、数年後に牢獄送りになるとは、二人とも全く予想していなかった。
逮捕の翌年、2017年2月16日に鈴木氏はスパイ罪で正式に逮捕され、北京市国家安全局の看守所に収監された。
担当官は、湯氏との面会時に張成澤の処刑に関する情報を探ったかどうか尋ねた。鈴木氏は「当時日本のメディアはすでに張成澤が処刑されたと報じていたので、それは秘密ではない」と答えた。しかし、担当官は「新華社が報じていないニュースは秘密だ」と言い返した。
消えた外交官
2017年5月、鈴木氏は起訴された。起訴状には、鈴木氏が中日友好人士の身分を利用し、日本の情報機関である公安調査庁の依頼を受けて、在日中国大使館の元参事官、湯本淵氏や名古屋の中国領事館の総領事、葛広彪氏などと頻繁に会い、情報を収集したと記されている。
公開資料によると、葛広彪氏は2014年1月に在名古屋中国領事館の総領事に就任し、2016年8月に退任した。
鈴木氏は、自分が中国共産党にマークされたのは、中国共産党の権力闘争に巻き込まれたためだと考えている。その人脈は主に団派(共青団)であり、習近平氏が権力を握った後は団派の粛清が強まり、彼の境遇にも影響が及んだと推測している。
「私をスパイに仕立て上げることで、『団派はスパイと接触している』として、団派への攻撃材料にすることができるからだ」
いっぽう、湯氏に関する情報は一切見つからない。拘留中、在アイルランド中国大使がスパイ罪で一審で死刑判決を受けたという噂が流れた。「中国では、スパイ事件の裁判と結果は公開されない。湯本淵も死刑判決を受けた可能性がある」と鈴木氏は懸念を表した。
獄中見聞
収監先で鈴木氏と共に拘留されていたのは、腐敗高官や外交官、外国人容疑者、新疆ウイグルから来た人々など多様な人物だった。これらの人々との接触を通じて、鈴木氏は中国共産党のあまり知られていない側面を垣間見ることができた。
国家安全部の職員もここに拘留されていた。彼は表向きはマカオの会社の社長だったが、後に米中央情報局(CIA)に転向し、二重スパイとなり逮捕された。彼は鈴木氏に、尖閣諸島近くで活動している中国漁船に「軍人が乗っており、普通の民兵ではない」と語った。
また、テロ疑惑で収監された新疆ウイグル自治区の人々もいた。彼らは若く、中には大学生もいた。新疆の人々の到着により、看守はかなり緊張し、鈴木氏たちの持ち物も厳しくチェックされた。新疆の人々は通常、非常に短期間拘留され、1、2日後には移送されて行方不明になることが多かったという。
裁判所の元裁判官とも交流があった。同氏は恣意的な法の執行で逮捕される前、中国では法律が完備されていると思っていたが、今は「中国に法律は存在しない」「(中国共産党の)法治は全て人を騙すためのものだ」「中国には人権がない」と考えを改めていた。出所後は中国を出て米国に渡る計画を立てていた。
正式な逮捕後、鈴木氏は北京市第二監獄に収監された。そこでは、外国人受刑者は中国共産党の紅歌を歌うことを強いられ、毎日中国中央テレビの英語番組を強制視聴させられた。中国共産党の歴史に関するビデオも見せられた。刑務所では、抗日戦争や朝鮮戦争のプロパガンダ映画が頻繁に放映されていた。
鈴木氏は毎月一回、家族に電話をすることができた。90歳の父親は「体を大切に」と彼を励ました。父の言葉は彼にとって計り知れない慰めとなった。「私はスパイではない。生きて父に会いたい」という信念を持って、鈴木氏は刑期を終えた2022年10月11日、日本に帰国した。
中国で逮捕された他の日本人は帰国後沈黙を守っているが、鈴木氏は異なっていた。彼は自分の体験を本に書き、積極的にメディアのインタビューを受け、講演を行い、他の日本人が自分と同じ過ちを繰り返さないよう啓発をしている。
「中国共産党の下の中国には人権がない。中国の人権問題を解決するために力を尽くしたいと思っている。そのために余生を捧げるつもりだ。中国が好きで、中国人が好きだからだ。それは今も変わっていない。しかし、中国共産党は好きではない」と述べた。
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