体長10~15cm、体重25gしかない東アジアの鳥、スズメ。スズメは雑食性で、主に虫や穀物の粒を食べる。
1955年に農村を訪れた毛沢東は、通りすがりのスズメを指さしてこう言った。
「あの鳥は有害な鳥だ」
その一言でスズメは全滅した。しかし、そのスズメの餌だった虫が急増し、中国大陸は未曾有の飢饉に見舞われることになる。
かつて自分が中国共産党政権の忠実な学生であったと告白したA氏は「私が子供の頃、中国社会は『害虫』または『悪』を排除した。
スズメがこれに該当した。中国は「自国内のすべてのスズメを排除することを決めた」と話した。青年時代、中国共産党学生の模範とされたA氏は、中国に残って教授になることもできたが、それを放棄し、現在は自由を求めて中国本土の外で活動している。
A氏は「中国共産党はこのような方法を使って、人々が生活の中で継続的に『闘争』をすることを望んでいる。 だから『スズメを排除せよ』と指示した」と指摘した。
Aさんの記憶の中には、死んだスズメが山のように積まれたトラックの行列がまだ鮮明に残っている。では、なぜ当時、誰もがスズメを殺すことに同意したのだろうか。
A氏は「当時、人々は中国共産党に洗脳され、党の言うことをすべて信じていた」と説明した。
スズメが穀物をつつくという理由だけで「汚く、伝染力が強く、邪悪だ」と宣伝し、「みんなでスズメを倒そう」と扇動するポスター、スズメの模型を立てて老若男女がスズメ駆除を叫ぶ行進の映像など、実際に残っている当時の資料がその証拠だ。
A氏によると、男性たちはピストルとパチンコでスズメを狙って撃ったという。
他のほとんどの人々は主にスズメを怒鳴りつけ、長い棒でスズメを殴った。嫌がらせを受けたスズメが息をするためにどこかに座って休もうとすると、人々は叫び声を上げ、鞭を振り回し、スズメが土の上に倒れるまで嫌がらせをした。
そうしてスズメは一匹一匹死んでいった。闘争に成功した喜びに浮かれた人々は、死んだスズメを束ねて長く編み、これを共産党上層部に伝達、報告した。このようなことは中国全土で繰り返された。数億羽のスズメが捕獲された。
1958年末時点で中国本土にはスズメがほとんど存在しなくなった。
翌年の1959年、昆虫の捕食者であるスズメがいなくなったことで、大規模な虫害が発生し凶作となった。スズメが絶滅した地域の場合、収穫できる穀物が一粒もなかった。人々は飢え、さらに昆虫媒介の感染症まで広がった。
その後、史上最悪の大飢饉が起こり、約4500万人の中国人が餓死した。惨劇は社会主義システムによってさらに悪化した。中国共産党はソ連から検証されていない新しい農業政策を持ち込んだ。中国全土のすべての農民は、長年にわたって証明された伝統的な農業方法を放棄し、義務的に新式の農業技術に従うように指示された。
これは完全に失敗に終わり、スズメの絶滅によって発生した問題状況をさらに深刻化させた。
もちろん、中国共産党の幹部は飢えなかった。中国市民だけが飢餓でゆっくりと苦しんで死んでいった。数百、数千万人の市民は、土やおがくず、皮など何でも食べた。さらには墓に埋められた死んだ家族の遺体まで食べた。
独裁者の即興の一言で実行された前例のないスズメ駆除運動。
もちろん、今日の中国ではこのような歴史を正しく教えていない。中国は数千万人の集団虐殺を「自然災害」と呼んでいる。
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