■論評
より賢い機械の開発競争が加速するこの世界で、ある子供たちのグループが本当の知性とは何かを、私たちに思い出させてくれた。
ワシントン大学では、研究者たちが7~11歳までの子供たちを対象にあるテストを行った。彼らの目的は、子供たちに人工知能の使い方を教えるのではなく、AIより賢く考えるように学ばせることだった。
子供たちは記憶力ではなく、抽象的な推論力を試すために設計された視覚的な論理パズルの問題に取り組んだ。そして、その回答をChatGPTのような生成AIツールが出した答えと比較した。
結果は非常に示唆に富むものだった。
AIは自信満々に間違った答えを出していたが、子供たちはその欠陥にほとんど即座に気づいた。中にはAIを「デバッグ」し始める子もいて、質問の言い回しを変えたり、異なるバージョンを試したり、失敗のパターンを分析したりしていた。ある9歳の子供はこう言って、この状況を見事に言い表した。「AIはただ当てずっぽうで答えてるだけだよ」
これらの子供たちは、AIの洗練された語調や素早い応答に惑わされることなく、自分の頭で考えていた。そして、彼らはAIに勝っていたのだ。
これは称賛に値する。しかし同時に、これから何が起こるのかを立ち止まって考える価値もある。
舞台裏では、OpenAI、Google DeepMind、Anthropicといった企業が、人間よりも優れた推論能力を持つAIの開発を競い合っている。彼らの目指すのは、ただ賢そうに聞こえる機械ではなく、本当に賢い機械、つまり複雑な問題を解決し、自らの論理を省みて、あらゆる知的作業で人間を上回るシステムなのだ。そして、それを実現する唯一の方法は、我々(人間)から学ぶことなのである。
今回の場合、それは子供たちから学ぶということを意味する。
AIの欠点を子供たちに理解させるために設計されたこの研究は、その差を埋めるための青写真にもなり得たのだ。AIエンジニアたちは、どのような点で子供たちが機械を上回っているのか、そしてどうやってそれを実現しているのか、その明確な地図を手に入れたのだ。その知識が、次世代のAIを「人間の子供のように考えさせる」ため、あるいはもっと悪く言えば「人間の子供以上に考えさせる」ために使われるのは、容易に想像できる。
このパターンは、私たちはすでに見てきた。人間のチェスの対局が、今やグランドマスターを圧倒するコンピューターを育てた。人間のドライバーが、自動運転車を動かすアルゴリズムを訓練した。人間の文章が、今私たちが頼りにしている大規模言語モデルを育てた。だからこそ、こう問うことは決して大げさではない。私たちは子供たちがAIに先んじられることなく成長できるよう準備しているのか? それとも、AIが彼らを凌駕するための力を与えてしまっているのか? これが、今の私たちの進路をはらむ危機である。我々はますます強力な技術を構築する一方で、その技術を使う人間に同等の叡智を築くことを、おろそかにしているのだ。
今日、多くの大人たちは、AIが自信満々に語ることに疑問を抱くのが難しいと感じている。そもそも、私たちはそういうふうに考える訓練を受けてきていない。しかし、この子供たちは、視覚パズルと好奇心旺盛な心のおかげで、多くの大人が気づかなかったことを見抜いた。それは、賢そうに見えることと本当に賢いことはまったく別物だということだ。
この教訓こそ、学校だけでなく社会全体に広げていくべきものである。人工知能の時代において、最大の防御手段は、より優れたアプリや賢いアルゴリズムではない。それは、何かつじつまが合わないと気づく脳である。これこそ、これらの子供たちが持っているものであり、すべての親、教育者、そして立法者が守るために闘うべきものだ。たとえ機械が違うと言っても、自分の考えを明確に持ち、自信をもって疑問を抱き、自らの論理を信じる力である。
なぜなら、真の脅威とはAIが私たちより賢くなることではなく、私たちが子供たちにどう賢くなるかを教えるのをやめてしまうことなのだ。

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