中国の女子中学生暴行事件が引き金に 高まる共産党体制への不満の声

2025/08/20 更新: 2025/08/20

事件は、中国南西部の江油市で起きた学校でのいじめから始まった。しかしその結末は「共産党打倒」「習近平辞任」という政治的スローガンにまで発展した。

全国的な怒りが広がったのは、複数の女子生徒が14歳の少女をいじめる映像が拡散し、被害者家族による正義を求める訴えが当局に無視されたためである。本来であれば地域的な紛争にとどまるはずの問題は、当局の強硬な対応も重なり、中国共産党(中共)政権への公然たる抵抗行為へと急速に発展した。

専門家は、この事件はもはや地方レベルの不満を超え、中国社会全体に深刻な構造的危機が存在することを浮き彫りにしたと指摘する。すなわち、政治権力は責任追及から自らを守り、法は権力者の利益に合わせて歪められ、一般市民には安心して不満を訴える経路が存在しないという現実である。

情勢は変化しつつあり、そこから四つの重要な示唆が読み取れる。

当局は無関心

当初、この事件は悲劇的ではあるものの、ありふれた構図にとどまっていた。子供がいじめを受け、世論が同情し、責任追及を求める声が高まる。人々は真相解明、少女への正義、加害者の処罰を望んだ。だが当局の冷淡で高圧的な態度がすべてを変えた。

全国の人々の神経を逆撫でした場面があった。被害者の両親は、拡声器を手にした市職員の前にひざまずき、助けを懇願した。母親は悲しみに打ちひしがれて倒れ込んだが、職員は慰めることなく、周囲の市民に退去を命じ続けた。

この無関心な当局の態度が人々の怒りを呼び起こした。抗議に参加する人々は増え続け、彼らはもはや被害者のためだけではなく、少女とその家族に降りかかった出来事が、明日には自分たちに及ぶかもしれないという恐怖から行動していた。

正義を求める声から反共産党の抗議へ

デモ参加者が街頭に繰り出した際、中共は事態の沈静化を図ろうとはしなかった。むしろ当局は武装警察を投入し、デモ隊を殴打し、催涙スプレーを使用した。拘束された人々は、家畜運搬用のトラックに押し込まれて連行されたと報じられている。

こうした暴力行為は、思わぬ結果を招いた。抗議者たちは「共産党打倒」「習近平退陣」といった政治的スローガンを叫び始めたのである。

混乱の様子を撮影していた男性は、苦々しく次のように語った。「これが人民に奉仕するやり方だ。市民を殴り、トラックに詰め込んで連れ去る。しかし人民が目覚めて団結すれば、彼らは打ち負かすことができない」。

この事件は転換点となった。人々はもはや体制が自らの不満を解決するとは信じていない。運動は正義を求める闘いから、政治的弾圧そのものに対抗する闘いへと姿を変えた。

北京は恐れているのか

共産党内部では、この事件を「瓮安事件の江油版」と位置付ける声も出ている。これは2008年、貴州省で女子高生の強姦・殺害疑惑を発端に発生した大規模な蜂起を指すものである。

当局は遺族が求めた完全な解剖を拒否したと報じられた。さらに、拘束からわずか8時間で釈放された3人の容疑者が地元警察や官僚とつながりを持っていたことが後に判明した。地元政府による事件の隠蔽に抗議して、少なくとも1万人が街頭に繰り出し、警察署や政府庁舎を焼き討ちした。その様子はネット上で瞬く間に拡散した。

しかし江油事件は異なる。共産党を動揺させたように見える。

一部のネットユーザーは、中国指導者の習近平が当時、北戴河で開かれていた党の夏季会合に滞在しており、この事件に激怒したと主張している。また江油の地元党委員会書記が即座に解任されたとの情報もある。さらに秩序回復のために省レベルの機動部隊が派遣されたことは、北京がこの事件を他地域への抗議拡大につながりかねないと懸念したことを示している。

「人民が目覚め団結する時」

長年にわたり、中共は検閲と武力に依存して安定を維持してきた。言い換えれば、民意の異議申し立てを抑圧し、封じ込めることで秩序を保ってきた。しかし江油事件は、その手法の限界を示した。地元住民はもはや恐れなくなった。傍観者はただ見ていただけではなく、抗議行動に加わった。かつてはタブー視された叫び声が公然と響き渡った。抗議の映像はインターネット上で急速に拡散し、全国各地から連帯の声を呼び起こした。

中国問題の観察者で政治評論家の蔡慎坤氏は、このいじめ事件が、庶民の正義感が目覚めつつあることを証明していると指摘する。不正義に直面したとき、沈黙するのではなく行動を選ぶ人々が増えているという。その連帯の火花は、一度ともれば一都市をはるかに超えて広がる可能性を持つ。

政府が正義を無視し、警察を人民に向ける時、さらに多くの市民が街頭に立つだろう。事件の映像の中で、ある抗議者はこう語った。「人民が目覚めて団結する時、彼らは打ち負かされることはない」。

歴史の大きな流れの中では、江油という地名は地図上の一地点に過ぎないかもしれない。だが、そこで噴き出した怒りと芽生えた覚醒、そして示された抵抗の姿勢は、中国の歩みにおける新たな章の幕開けを告げる兆しとなる可能性がある。

Yuan Bin
関連特集: オピニオン